最蒐話
絡繰りをいじっていると、扉をノックする音が聞こえた。恐らく女中がお茶でも持ってきたのだろう。私は入るように促した。
失礼しますという言と共に女中が姿を現す。
露草だった。彼女は私が作った絡繰り給仕の四号機だ。主に清掃と客人の案内、食事の準備を任せている。私の作る絡繰り給仕には公式探しの機能が搭載されているのだが、露草は非常に義理堅く、私の元を離れようとしないので残念ながら公式探しに出向くことはない。仕方が無いので私の身の回りの世話を頼むことにした訳である。まあ公式探しは一号機と二号機で充分間に合っているので文句のつけようはないのだが。
「お茶をお持ち致しました」
露草はココアの入ったビーカーを机の上に置いた。チョコレートの良い匂いがする。ココアと言うと一般的にはゲテモノだが、私は大好きだ。甘い香りが何とも堪らない。
私は露草に礼を言う。露草はにこりと笑ってどういたしましてと返した。
「それにしても髪が伸びましたね。そろそろ切りましょう」
確かに私の髪は地に毛先が着くほどに伸びていた。
研究室に詰めているとどうしても身だしなみに頓着がなくなる。特に髪は厄介だ。放っておくといつの間にか前髪が腹の辺りまで伸びている。これでは非常に視界が悪い。しかし後ろで結おうものならたちまち暴漢に襲われでもして命を落としかねない。かと言って散髪屋へ出向くのも億劫なのだ。
そんな訳だから私はこの優秀な女中に散髪を頼むしかないのである。
「ハサミを持ってきますから、どうかその場を一歩も動かないで下さいね」
私がこの場を動かぬ旨を了承すると、露草はハサミを取りに部屋から退出した。
私はジッと待つ。不動であるのは得意だ。一歩どころか指一本動かさずに居ることだって出来る。これは研究者であるが故の性質だ。
暫くすると、露草がハサミを持って戻ってきた。
「どんな髪型にしましょう? いつも通りで良いですか?」
特定の髪型に執着などない私だが、今回は少し気分を変えてみようと思う。
時には粧してみるのも一興だ。とは言ってもファッションには疎い私であるから髪型のバリエーションなど全く判らない。
少し調べてみようか。
露草に断りを入れ、机の上に置かれた絡繰りを操作して情報を集める。三千年分のデータベースを一から漁るのには骨が折れたが、三分後、ようやく私に似合いそうな髪型を発見した。何でもボブカットと言うらしい。三年前に『普通の街』の三丁目で流行した髪型なのだそうだ。ボブという名の人形が考案したそのヘアスタイルは、どういう訳か人間にも似合うものだったのだ。
人間が人形の真似をするというのは奇妙な話だが、実際にモニタに映し出されたボブカットの人間を見ると、なるほど何とも可愛らしい髪型であることが判る。
私はモニタに映し出された画像を指差し、この髪型にしてくれと露草に頼んだ。
「了解致しました。では一歩も動かないでくださいね」
私は改めて体の動きを止めた。
チョキチョキチョキ。露草は慣れた手つきで私の髪を切る。快とも不快ともつかぬ感情のような、あるいは自我のようなものが私の頭を包んだ。それは露草の手の感触かもしれなかったし、私の髪がはらはらと落ちることに依る浮遊感かもしれなかった。まあ兎に角何であれ、それが生きるということと何か関係があるのかというのが私にとっては重要なことだったのである。
「はい。もう動いても良いですよ」
終わったようだ。何だか頭が軽くなった。脳みそを抜き取った時の感覚によく似ている。いや、それでは意味が通らない。
そうだ。子宮の中で寝返りを打つという妄挙を犯してしまったときの罪悪感に似ているのだ。犬も、猿でさえも喰わぬその感覚は決して悪いものではなかった。なるほど、獣が喰わぬからと言って人が喰わぬ道理はないということか。
「あ、そういえば」
露草が私の髪の毛を食べながら、何かを思い出したかのように言った。
「瑠璃から公式に関する報告が挙がりました」
絡繰り給仕の第一号、瑠璃。人の感情を汲まぬ冷めた絡繰りではあるが公式探しに関しては優秀なのだ。
と言うかその報告は髪を切る前にしてほしかった。
「Aの公式が花の遺跡で見つかったそうです。どうされますか? いつも通り、ここから指示を出されますか?」
Aの公式。原初の公式ではないか。手に入れていない公式の中でも特に重要度の高い公式だ。こんな所で悠々と指示を出している場合ではない。この目で確かめなくては。
私は撃鉄に打たれた雷管のような笑顔で、現場に向かうよと露草に告げた。
外出するとなると服を着なければならない。流石に寝間着では周囲の目を集めてしまうだろう。我が愛すべき友人である塔子さんはこの前、寝間着のままここへやって来たがそれは事故のようなもので本人の意思とは関係ないものだった。やはりきちんとした格好でなくてはなるまい。
何を着ていこう。なんせ久しぶりの外の世界だ。恥のない服装がどのようなものか判らない。
こういったことは露草に聞くのが一番だ。彼女は服についての造詣が深い。
「そうですね。こういうのは如何でしょう」
露草は自分の腹部からショートパンツと、何だか良く判らないデフォルメーションキャラクターがプリントされたティーシャツを取り出した。扇情的であると言わざるを得ない風情だ。どこぞのバッタ怪人のようである。しかし露草が言うからにはお洒落なのだろう。ここは納得しておくのが吉だ。吉凶は同じようなものだが、言葉が分けられている以上は私には感ずることの出来ない、何か溝のようなものがあるのだろう。
私は露草から服を受け取り、着替えると、その上から白衣を羽織った。露草は顔をしかめて、変ですよと言ったがこれだけは外せないのだ。白衣がなければ始まらない。始まらないということは、また終わりもないということだ。そんな間抜けは避けなければならない。
私は研究室の扉を開け、公式への一歩を踏み出した。