第4話 影
「まだ早ぇだろ。しかも単独って、どういうことだよ?」
涼がイライラしながら言った。他の2人は黙って兵士と向き合っていた。
“まだ早い”というのがどういう意味を示すか分からなかったが、入り口の近くにいた未来と友香はとりあえず立ち上がり、同じく近くにいた矢野が前に立った。未来は矢野がさりげなく庇ってくれているということに気づくのに数秒かかった――他の生徒たちが、教室の後ろいっぱいまで下がっているのを見ると、矢野が良い奴だということを再認識させられた。
「俺は今機嫌悪ぃんだよ!!」
涼がそういう声が耳に入って来たのと同時に、涼たちの方へ視線を戻した未来。見ると涼は兵士に殴りかかっていた。
だが兵士はそれを軽々と交わし、右手に持っていたチップを涼の右手首についている腕輪に向かって突っ込もうとした。
それに何とか反応し、腕を引っ込めることで何とか交わした涼。同時に左手で腕輪ごと自分の右手首を掴んでいた。一瞬遅れて涼の左手に兵士が再び突き出したチップが当たっていた――涼が左手でガードしてなかったらやられていただろう。
動きが止まった兵士をすかさず両脇から抑え込む晃と隼人。隼人は同時に兵士の右手からチップを奪っていた。そこで一瞬気を抜いた涼に向かって、兵士は両脇を抱えられたまま、涼の腹めがけて蹴りを入れた――晃たちにしっかり両脇を支えられているため、ほぼ飛び蹴りに近い蹴りだった。涼は後ろの石壁に叩きつけられそのまま倒れ込み、せき込んでいた。
「涼!」
晃が心配そうに声を上げたのと、隼人が体制の崩れた兵士に向かって鳩尾に肘鉄を食らわせるのは同時だった。
声も出さずに倒れ込む兵士。晃はどこから持って来たのか、手錠を兵士の両手足にはめていた。
「大丈夫?」
手錠をはめ、鍵のかかる隣の生物研究室に兵士を閉じ込めてから――完璧に監禁だ。隼人と晃は涼の前にしゃがみ込んだ。涼は晃たちが出て行ってすぐに起き上がり先ほどぶつかった壁に寄りかかっていたのだが、とても未来たちが声をかけられるような雰囲気ではなかった。
「なんとか……」
壁に強打した腰を抑えつつ軽くせき込みながら涼は立ち上がった。本当は全然大丈夫ではないのだろう。涼は一瞬つらそうに顔をしかめていた。
「さんざん啖呵切った後でやられちゃったねえ。かっこわるっ」
そんな涼の姿を見ていた晃が笑いながら言った。
「うるせえ」
さすがに殴る元気まではなかったらしく呟くように涼は言った。
「不運だったよな。普段はお前が一番なのに――あいつ何者だ?」
隼人が真剣な顔をして言った。未だ教室は緊迫した雰囲気が漂っており、3人の声は教室中に響いていた。
「俺も思った。完璧に腕輪狙ってたし、ただの兵士じゃなくね?」
やはりキツかったのだろう、涼は立ったまま壁に寄りかかっていた。
「さすがに向こうも対策立てたんかもな」
隼人と涼が真剣に話し合っている中、晃は興味がなさそうに教卓の上に座りこんでいた。ただ涼たちもそれ以上は話し合わず、少し沈黙状態が続いた。
ふいにそんな沈黙を隼人が破った。
「分かっただろ? 俺らだってこれの参加者。あんたらを確実に守れるわけじゃないんだ。俺らは、あんたら1人助ける度に10万。ってことで契約されてる。好き好んで助けてるわけじゃない、金儲けの道具なんだよ、あんたらは」
隼人が静かに言った。生徒たちは誰も何も言えず、ただ下を向いているだけだった。それもそうだ。未来自身助けて貰えることが当たり前になっていた。でも違う。さっきだって涼は間一髪だった……。未来は無意識のうちに自分の腕輪を握りしめていた。自分の体が震えていることが分かった。
金儲けの道具。それにしちゃそれを守るために随分命懸けだよね。そう思うと隼人の言葉が嘘っぽく感じた。
しばらくの沈黙。すると今まで側にした矢野が急に口を開いた。
「ごめん……。やっぱ俺は出来ない。他の連中見捨てることなんか出来ない」
矢野はそのまま2・3歩前に出ると、いつもの優しい笑顔で続けた。
「だから俺は他の連中を助けに行く」
「矢野!」「矢野君!」と言う未来と友香の声が重なり合った。未来はとっさに自分が矢野の腕を掴んでいることに気づいた。
「まだ逃げてる生徒はいるはずだろ? なら1人でも多く助けるのが仲間だろ」
矢野は普段と同じ口調で未来たちに向かって言った。
「だめだよ。矢野君が行っても兵士には勝てないよ。捕まりに行くようなものだよ?」
友香が必死に止めていた。
もしかして友香って……。
未来は場違いだと分かっていたが、思わずニヤリと笑わずにはいられなかった。
「梨田はさ。他の連中助けたくないの? 仲良かった奴とか、クラスの連中とか見捨てていいの? なあ、お前らもそれでいいのか?」
矢野は友香と後ろの方にいた生徒たちに向かって言った。
友香も生徒たちも下を向いていた。それは未来も同じだった。
「助けたくないわけないでしょ。でも怖いの。あたしらが行っても助けられるの? あたしらは萩原たちとは違うんだよ」
未来は思ったことをそのまま口にしていた。隼人は腕組みをしながら、涼は赤髪をいじりながら、それぞれ黙って話を聞いていた。と、ふいに今まで教卓の上に座っていた晃が口を開いた。
「滝沢さんの言う通り。ちゃんと説明してなかったけど、これはね。最初の4時間は兵士にも持ち場があるんだ。だから各階に4・5人しかいない。でも残りの2時間はフリー。どこに誰がいるか分からない。しかも、奴らは大体複数で行動してんだ。矢野君に複数の兵士を相手にしながら、他の人守るなんてこと出来る?」
晃はにっこり笑って言った。ただその笑みは矢野が見せたような優しい笑顔ではなかったが。
「それは……」
矢野は言葉に詰まっていた。
「出来ないよね? もし矢野君がやられて、兵士にこの場所が分かったら20人以上の兵士がここに来るんだよ? 矢野君だけの問題じゃないんだ」
小さい子供に言い聞かせるような口調だった。言葉使いは穏やかだが、怒鳴り散らして収めようとする涼や、冷たく突き放してしまう隼人とは違う――影のようなものを感じた。
「好きにしていいけどさ〜。もうオレらは助けないからね。ここには帰って来ないでね?」
再びにっこり笑ってみせた晃。それとは反対に教室の空気が凍り付いた。
「ちょっと……どういうこと?」
未来は思わず口を挟んでいた。
「当たり前じゃん。オレらのやり方が気に食わないんでしょ? 第一、みんな守ろうなんてのが甘過ぎ。もう全体でも5、60人しか残ってないよ?」
矢野は言葉を返せなかった。これだけ晃に攻められれば当たり前といわれれば当たり前だが――
「行かないで……」
今まで黙っていた友香が急に口を開いた。
「え?」
「行かないで。ここにいて。ね?」
友香は今にも泣き出しそうだった。矢野は友香のほうを見ながらしばらく黙り込んでいた。が、しばらくすると
「分かった」
そう俯きながら頷いた。
「やってらんねえ……」
涼はそう呟くと生物室を出て行ってしまった。
晃の話が本当なら4時間経過まであと数分。どうやって涼たちが残りの2時間を乗り切るのかはわからないが、正念場になることは間違いなかった。
「じゃあな。俺らは外で兵士達を迎え撃つ。あんたらはバリケードでも作って兵士達が入って来れないようにしてくれ」
隼人もそう言うと教室を出ていった。
「待ってよ! 何で? ここにいればいいじゃない」
散々外は危険だと言ってた張本人たちが外に出ると言っている。未来には訳がわからなかった。
「ここで複数の兵士と戦うわけにはいかないんだよ。それに――」
残された晃は生物室のドアのほうに歩きながら言った。そして続けた。
「あいつらの狙いはオレらだからね」
最後に振り返り今まで通りの笑みを浮かべながらそう言うと、晃も教室を出て行った。




