2話
学校の正門の前に着いたのは登校時間を25分過ぎた8時55分。
校門は堅く閉ざされているわけではなく、防犯だのなんだのと世間が煩いにも関わらず普通に開いている。
これがウチの学校のおかしなところの1つだ。
校風と言って良いのか分からないが、よく言えば自由な、妙にゆるいなところが多い。
例えば今日の自分のように遅刻などのミスに寛容だったり、いくらテストの点数が悪くても赤点がつかなかったり、退学や停学といった普通の学校ならばどこにでもあるような罰則もない。
噂によると教師と生徒の恋愛もありらしい。
さて、学校のおかしなことが出たところで、他にもいくつかおかしなところを紹介することにする。
まあ、おかしなところをいくつ紹介しても何の自慢にもならないが、それでも言っておこう。
1つ目は最初の関門である入試制度だ。
この学校は私立なのだから、ある程度の自由は認められているだろうが、それにしてもやりすぎだと思う制度が設けられている。
まず、普通の学校はある期限までに願書を提出して、学力試験や面接を受けて入学に至る、というのが一般的な流れだろう。
学校によってはスポーツであったり、芸術分野など一芸に秀でたものを優遇するところも多い。
しかし、ウチの学校にはその期限も学力試験もない。それどころか定員すら決まっていない。
かく言うオレも第一志望の高校に落ちた上に、滑り止めにもことごとくスベッて失意のドン底にいた15歳の3月26日、担任の教師の連絡でこの学校を紹介され、浪人を避けるべく受験して今に至っている。
ちなみに試験は簡単な性格診断と、ほんの5分足らずの面接で終わったという、正直信じられない内容だった。
ここで名誉のために言っておくが、オレは頭が悪くて第一志望に落ちたわけではない。
深くは言わないが、運が悪かっただけだと言っておこう。
さて、話を戻そう。
ウチは定員が決まっていないだけに、各学年の人数も様々だ。
これが2つ目のおかしなところ、生徒の人数だ。
現在の3年生は236人いるが、2年生は112人と3年生の半分、我々1年生に至っては81人と3年生の1/3だ。
参考までに普通科の公立高校では各学年、大体300人前後といったところらしい。私立も似たようなものだ。
これを聞いて、まず誰もが最初に志願者が激減したと思うだろうが、それは違う。経営が悪化して生徒の受け入れ人数を減らしたわけでもない。
年毎に差こそあるが、毎年400人近くの受験者がいる。そのため世間で言う定員割れの憂いを受けているわけではない。
その中にはオレのように行くところのなかった学生や、全く勉強する気がなかった学生まで様々だ。
ならば何故、と思うだろうがそれは自主退学の多さに原因がある。
3年生は171人、2年生は79人、1年生は1年も経たないうちに159人もの生徒がこの学校を後にしているという異常事態だ。
ここでまた疑問に思うのは3年生の人数だろう。
生徒数が236人に対して自主退学した人数が171人と合わせて407人と、受験者数を上回っているというおかしな事態になっているが、これはウチの学校には何年か毎に起こることらしい。
ウチの学校は入学者の大半が一年生のうちにやめていく。
そして編入者が異常に多い。
そのため、1年目で激減した生徒数が3年生までに並みの高校の生徒数までに回復している、という裏側があるらしい。
そんな経営方針を打ち出している理事長が正直恐い。
さて、理事長の名前が出たところで、この人に関するおかしな話しもある。
3つ目、それは誰も理事長を見たことがない、ということだ。
これは先に挙げたものと少し毛色が違うが、生徒も教師も含めて誰一人見たことがないとなれば話は違う。
入学式も終了式、始業式でも挨拶するのは校長で、理事長の挨拶はいつも手紙で出され、それを教頭が代読することが常になっている。
理事長室はあってもいつも出張中らしく、部屋はいつも無人だ。そのクセに仕事は1週間毎にこなして郵送されてくるらしい。
そんな人だからいろいろな憶測を呼び、学内で様々な噂が飛び交っている。
例えば、理事長は本当はいなくて校長が代理で仕事をしているだとか、人前に出られない裏の人間だとか、思い切ったものでは人ではなく、理事長はロボットだという話しまで出ているが、実際のところは誰にも分からない。
他にもまだまだあるが、それは追々話すとして今は教室に行くことを優先しよう。
学校側が咎めないといっても、数少ない同級生に不真面目な男という印象はあまり与えたくない。
しかし、いや、やはりと言うべきか、今日は運が悪いらしい。
門をくぐって校内に一歩足を踏み入れたところで誰かとぶつかってしまった。
オレが急いでいたことも悪いが、その人も門の影から急に出てきたことも災いした。
その人は『きゃっ』という可愛らしい声をあげて目の前で尻餅をついている。
年は同じ位だろうか。
その人は二重のパッチリとした目が印象的で、少し赤味がかった髪を頭の上でダンゴに纏め上げ、若い人では珍しく、金色で縁取られた黄色い蝶があしらわれたスミレ色の着物を着ていた。
「すいません。大丈夫ですか?」
そう言って右手を差し出すと、その人ははにかんだ笑顔を浮かべてその手を取る。
「いえ、私もあまり前を見ていませんでしたし、気にしないで下さい。」
立ち上がったその人は着物についた砂を払うと、オレの顔を見つめて首を傾げる。
「今はもう始業式の時間ですよね?あなたは出席しなくてもいいんでしょうか?」
大人っぽい雰囲気だが、一つ一つの動作がやけに子供っぽく、自分よりも年下ではないだろうかと思ってしまう。
「恥ずかしながら遅刻したんですよ。あ、別に寝坊したとかではなく、変な人に捕まっただけですからね。」
「そうなんですか。気をつけてくださいね。」
彼女はそれを信じてくれたのか、別に面白い話でもなかったのにコロコロとした子供っぽい笑顔を浮かべていた。
その後も二言三言と言葉を交わすが、その全てに笑顔で応えてくれる。
そこで疑問に思ったが、失礼ながら彼女は誰だろう。
全員の顔と名前を覚えているわけではないが、1年生の中で彼女を見た記憶はない。
ならば先輩か、とも思ったが、いくら自由な学校とはいえ制服はあるのだから、着物の彼女は生徒ではないだろう。
あるいは学校見学に来た他校の生徒か中学生だろうか。
ちなみに、ウチは申請さえすれば365日、いつでも学校を見学できるらしい。
ならばいっその事聞いてみようかと思ったが、それはタクシーのクラクションに遮られた。
「あら、お迎えが来てしまったようですね。」
彼女は残念そうな表情を浮かべて、校門の前に止まったタクシーへと歩き出す。
カラン、カランという下駄の乾いた音が車のエンジン音を通り抜けて、心地よく耳に届く。
ガチャリ、とドアが開いたところでこちらを振り向くと、再び子供っぽい笑顔を浮かべていた。
「あなた、お名前はなんと言うのですか?」
「やしろです。神社の『社』で『やしろ』です。」
彼女はオレの名前を何度か確認するように呟くと、やはり笑顔を浮かべたままこちらを見つめてくる。
「社さんですか。私は秋葉といいます。では、また会えると良いですね。」
彼女は深々と頭を下げると車に乗ると、程なくして先ほど自分がやってきた駅の方へ走って行った。
それを見えなくなるまで見送りながら、今日は出会いが多い日なのかと思っていると、強い風がピュッと吹いた。
ぶるっと体が震える。
そこではっとして携帯電話の時計を見ると、すでに9時を回っていることに気が付いた。
「これは、さすがに遅すぎかな。」
寒空の下に長いこといたからだろうか。少し重くなった足を鬱陶しく思いながら、校舎へと向かって足を進めていく。