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異世界恋愛短編集

マザコン男にはまざぁを突きつけましょう

作者: 星キノ
掲載日:2026/02/01

「ベネ・パドレス。お前との婚約を、今ここで破棄する!」


 王太子ヴァンの声高な宣言に、貴族たちがざわめく。

 本日はこのマモーニ王国の建国記念日であると言うのに、王宮の大広間は、すっかりその一言で空気が冷えきってしまっていた。


「理由を、伺っても?」


 名指しされて反応しない訳にも行かず、私ベネは内心盛大にため息を付きながらも扇を閉じ、スポットライトを浴びるべく足を前に進めた。


「決まっているだろう。お前は私と真実の愛で結ばれているカリーナをいじめ、彼女を苦しめた」


 その言葉で、王太子の背後で名前を呼ばれた平民出身の少女ーーカリーナ・グラジオーゾがか弱く頷いた。相も変わらず庇護欲だけはそそられるような見てくれだ。

 最も、私はこの女の正体をよく知っているが。


「はあ」

「未来の王妃ともあろう者が、平民であるからとカリーナを虐げようとするとは何事だ。その様な者に王妃はとてもでは無いが務まらない!」


 本来ならば、王太子の横にいるべき者はこの私だ。建国記念日の王宮舞踏会なのだから、次代の王妃として私は彼のそばにいなければならないし、彼も私をエスコートする義務がある。



「だからこそ、私は貴様との婚約を破棄し、母上のように大いなる器をもつこのカリーナと新たに婚約を結ぶ。これは既に王妃殿下を通して各地の許可を既に得ている決定事項だ!!」



 しかし、現実問題として私は壁の華で、彼のそばにいたのはカリーナ。その理由は……まあ、それは今は置いておくとしよう。


 ともかく、ヴァン様の発言によってざわりと、貴族たちの無遠慮な視線が私に突き刺さる。

 なんて冷酷なのでしょう、高慢な侯爵令嬢に相応しい末路だとか、まるで物語の悪役令嬢であるとか、ヒソヒソと声が上がるのが聞こえてくるが――



「……かしこまりました、殿下。婚約破棄を承ります」


 私は感情を押し殺し、優雅に一礼した。特段怒りも悲しみもない。むしろ、私はこの瞬間を待っていた。


 なぜなら、私は知っているからだ。

 この婚約破棄が、まもなく王家最大の醜聞へと変わることを。


 カリーナは平民でありながらも、類まれな魔力を持ち、あらゆる属性の魔法を扱うことのできる神童として学園で注目を集めた少女だった。

 しかしその類稀な才能を持ちながらも、本人は純粋で、素直で、誰にでも優しい――それが彼女に対する世間一般の評価だ。


 そういう意味では、そんなカリーナはヴァンの相手としてはーー婚約者として適格かはともかく、側近や、戦略的なビジネスパートナーとしてであれば最適な相手であったとも言えるだろう。

 まあ、懸想をするのも分からないわけではない。貴族の世界は汚泥の如く不浄だ。ああいうタイプの人間なんて男女問わず早々いるものでは無い。だから私としては、別に妾とかであるなら特に言うことはない。何なら側妃でも別にいい。


 というより、私自身もそもそも決してカリーナの事が嫌いな訳では無かった。地位に胡座をかいて惰眠を貪る無能や、悪辣な政に勤しむ悪徳貴族なんぞよりも、余程心象はいいというもの。

 こういう形にならなければ、恐らくは友好関係を築くことだって出来たはず。


 しかしこの二人は、一つだけとんでもない思い違いの上でこの場に臨んでいる。

 あの二人には、致命的に合わない所が一つだけあるのだ。そして二人は、その事にまるで気付いていない。

 だから、私はーー



「……ですが、その前に。一つだけ、カリーナ様に申し上げたいことがありますが、宜しいでしょうか」

「は? カリーナに? 貴様、また何かカリーナに嫌がらせをーー」

「ま、待ってください! 謝罪をしてくれると言うのであれば、お受けします。どうか、ベネ様に謝罪をする機会を与えてください」

「むっ? 謝罪か、まあそういうことなら発言を許す……」


 いや、身に覚えのない話に対して謝罪する意思は更々ないけれど……まあ発言をする許可を一先ずは頂いたので、私は口を開いた。




「ヴァン様は……いえ、破棄された訳ですから王太子殿下ですわね……とにかく、王太子殿下に絡むあらゆる事項は全て王妃殿下への伺い立てを必要としますが、貴女もそれは守れますか?」


「……へっ?」


 一瞬、ただでさえ冷たい空気が凍った。

 無理もない。

 私自身も傍から見たら何言ってるのかよく分からない事を口にしていると言う自覚がある。

 でも、もしこのカリーナが本当に王太子妃に私の代わりに成り代わろうと言うのなら、これは避けることの出来ない問題だ。絶対に。


「ですから、王太子殿下はあらゆる物事に対して王妃殿下の……ああもう、ちょっと耳を貸しなさい!」


 迂遠な貴族言葉ではどうにもこうにも説明しづらい。

 もっと砕けたストレートな表現をしなければダメだと感じ、あまり褒められたことではないがズカズカと大きな歩幅でヴァンとカリーナの元まで歩み、強引に彼女をヴァンから引き剥がした。


「ちょっと、何をーーキャッ!」

「いいから耳を貸しなさい! 後悔するわよ!」

「なっーー気でも触れたか!? 衛兵、ベネを取り抑えろ!!」


 思わずと言った具合にカリーナが叫び、暴れ出そうとする中、私はサッと扇を開き読唇されぬよう口許を隠し、伝えたい事だけを端的に彼女の耳に吹き込んだ。


 それが2人の未来を未来永劫変えてしまうということを、十分理解した上で。




「……えっ?」




 まもなく衛兵に取り抑えられ、肺から空気が押し出されていく。

 むせ込みながらも見上げると、カリーナはゾッとした様子で私を見て立ち尽くしていた。



「か、カリーナ! 大丈ーー」

「ーーさ、触らないで!!」



 慌ててカリーナの元へと駆け寄り、彼女の肩を抱き抱えようとした瞬間、血相を変えたカリーナは王太子殿下の腕を振りほどき、嫌悪感を丸出しにしながら彼と距離を取った。

 その姿にどよめきが広がり、私を押さえつけていた衛兵までもがポカンとした様子で固まってしまった。



「……、……え?」

「ほら、よく見たら貴女のそのネックレス、お揃い(・・・)で素敵ですわよ。お気付きになって?」

「えっ!? 嘘でしょ……」


 起き上がり、ドレスを閉じた扇で軽くはたきながらもふと気付いた事を告げると、カリーナは目をそれはもう大きく見開き、自らのネックレスを手に取ると大広間の2階席に目をやってみせた。

 直後、彼女は盛大に身震いをすると、直ちにそのネックレスを外し指先で摘むようにして最寄りのテーブルの上に置いて見せた。

 もうそのあからさまな転身の仕方に思わず笑いが噴き上がってしまい、私はそれを圧し堪えるためにドレスはたきを中止し、扇を開き自らの顔を隠す。



「なっ、何をしている! ベネ、貴様何をした!?」

「ぷっ……くく……いえ、その……ぷぷっ……ただ、ありのままの事実を、彼女に伝えたまで、です、わはっ……」


 ダメだ、笑いが抑えられない。このままでは淑女失格だ。

 でもあまりにもカリーナ嬢が理想通りというか、想定を超える身の翻し方をしていて、あまりにも愉快で……


 だって彼女、今も肩と首を擦っているし。そんなに嫌か。まあ、私も嫌だったから半ば彼女に押し付けたような物なのだけれども……


「言え! 貴様、何を吹き込んだ!!」

「まあ、私はそんな。先程と同じことを申し上げただけです」

「嘘をつくな!!」

「ではご本人に聞いてみてはどうです?」


 次に視線がカリーナに注がれる。とんだキラーパスだが、どうせヴァン様は今興奮していてまともに私の言葉は届かないだろう。ここは素直にカリーナに譲る事にした。


「カリーナ、頼む。奴に何を言われたのか教えてくれ」

「……」


 彼女は露骨な嫌悪感を隠そうともせず、私の囁いた言葉を反復した。



 ーーヴァン様は救いようのないマザコン男でヤバいわよ、と。



「……はっ?」

「殿下が口にされるご自身の考えの多くは、王妃陛下のご意向そのままです。殿下はことある事に王妃殿下の元を訪れ、あらゆる判断を仰いでおられます。ーーもちろん今回の一連の出来事についても、そうでしたね?」


 私が2階席を見上げると、それに合わせて視線が一斉に2階席にいた王妃へ集まる。王妃は扇で口元を隠したが、その指は震えていた。



「何を言うかと思えば……確かに私は、王妃や母として助言をすることもありますが……」

「助言の域を超えております。王太子殿下は、王妃殿下の助言なく婚約者への贈り物一つ選べない。と言うよりも、婚約者ならまだしも、不義密通相手のカリーナ様への贈り物すら、です。もはやマザコンとすら呼ぶのも烏滸がましいレベルです」


 その瞬間、ただでさえ蒼白だったカリーナの顔色が土気色に変色を開始する。

 カリーナと浮気している事なんて当然のように私は知っていたが、まさか気付かれてるとは思いもしなかったのだろう。

 それに浮気していることをまさか王妃にも知られているとも思いもしていなかった、と言う顔だ。無理もない。

 私としても正直意味がわからないと言うか、頭がおかしいとしか思えないからね。


「マザコンっていうか、それ最早洗脳じゃ……」

「ち、違う! 母上はただ……」

「『お母様がそう言ったから』、『お母様と同じだから』。お母様しか物差しが無い方と、未来を共にすることはできません。ですから私は喜んで婚約破棄を承ります」


 カリーナに与えられたネックレスは、まさに今王妃殿下が身につけているものと寸分違わず同じだった。そして彼女は自分の付けている指輪に視線を落とすと、王妃の手に落とした視線を寄せる。

 小さく『ヒッ』と声を上げたカリーナは直ちにその指輪を床に投げ棄てると、一歩、また一歩と後ずさる。

 皮肉なことにその方向はたった今まで恋敵であった私の方向へだ。まあ、そうなるよね。



 だって、カリーナは恐らく私以上にマザコン男が大嫌いだから。




 カリーナは平民だ。

 いくら学園では天才魔道士としてその名が知れていようと、平民は平民。尊い血など一ミリも流れてはいない。

 そしてそんなーー敢えて言おうーー卑しいただの女が、尊い我々と張り合い互角以上に渡り合うに至るまで、当然彼女の人生は生易しいものではなかった。


 学園に入るために血のにじむ様な思いで筆を取り、日夜魔法の訓練に明け暮れ、夜になれば月明かりを蝋燭代わりに勉学に明け暮れ、学園に入れば快く思わない一部のものから相当虐め抜かれたという調査報告資料が私の元に上がっている。

 天才故にただの凡才であった貴族子女に妬まれ、あることないこと噂されたり、それこそ嫌がらせが終始絶えない環境であったと聞いている。


 私も王立学園に通ってはいたが、彼女とは学年も違っていたし、特に接点がある訳でもなかったのであまり詳しくはこの辺りの情報は知らない。

 しかしヴァン様は生徒会のトップとして在籍していたので、そんな彼女の事を知っていたのだろう。恐らくカリーナがヴァン様に近寄ろうと判断したのもその頃のはず。


 カリーナはまた、非常に強い上昇思考の持ち主でもあった。

 王立学園は国内では当然に最高の教育機関であり、並大抵の実力では入試を受けることすらそもそも許されない。

 そんな中で彼女は特待生の身分で入学し、在学中は常に学年首席を維持し卒業したという逸話まで残っている。

 それはひとえに平民と馬鹿にされたくないため、そして少しでも家族に楽をさせてあげたいがためであった。


 彼女の家は平民目線でもそんなに裕福な家ではなかった。

 たしか弟がいたはずだが、弟の学費を捻出するためにヴァン殿下からのどうでもいい貢物を気付かれないように売り捌いてそれを学費や生活費に当てていた、というのは私の家の諜報部隊が得た情報であった。


 そしてそんな彼女だからこそ、彼女は卒業の頃には既に個として完成されており、完全に自立した一人前の成人として自他ともに認識されるような人物であった。

 ヴァン殿下に近付いたのもその延長線上でしかなく、要はのし上がるために近付いて利用しようと言う魂胆だ。

 決して心の底から愛しているということは無い。あくまでも汚い大人の策の一つとして、色香を振りまいて、汚い手を使って、私を陥れようとしただけ。


 そう、彼女はそういう汚い手を躊躇なく使える程度には大人なのだ。少なくともイメージされているような清廉潔白な女性ではない。


 素直なのは、嘘をつく必要がないほど、彼女が個として優れているから。

 あけすけで、ストレートな物言いなのは単に貴族と言葉の鍔迫り合いをする機会が無いから。

 必要がないからしていないだけで、やろうと思えば根も葉もない噂を振りまくことも人の男を寝取る事も出来る。ただそれだけ。


「今だから申し上げますが、私ももともと辟易としていたところですので、願ったり叶ったりです。どうぞカリーナ様と添い遂げて下さいませ。最も、彼女がそれを望むかはまた別問題ですが、ねえ?」


 そして、だからこそ、彼女はいい歳して自立のできない、いつまでも親の庇護下に自ら進んで身を置くような未熟な人間をとことん嫌う。

 自らの力では何も出来ないのに親の名前家の名前を振り翳し我が物顔で闊歩するような輩が大嫌いだ。

 何かがあればすぐに親の脛をかじるような輩などそもそも男として見ることなんて出来ないと思う。私も正直政略じゃなかったら男として見れたか怪しい。

 まあ最も、王妃殿下が彼女の方がベターと判断されたようだし、政略の旨みももう無いのなら間違いなく私も無理だ。

 だから今回の件に乗じて押し付けようと思っていたのだが……



「いや、てっきり目の色と同じ色のアクセだなと思いきやまさか形が親とまるっきりお揃いのアクセとか幾らなんでもキモすぎ。マジで鳥肌立ちました。無理寄りの無理です」


 ……まあ、私の予想以上に彼女はそういうのダメだったらしい。これは王太子交代かな……

 だってどう見ても人間としてすら見れていなさそうだし……まあ、キモイのは同感であるけど……

 そもそもいい歳したクソバ……失礼、妙齢の既婚者と若い未婚の娘とではどう考えても似合う物も違うでしょうに。

 マザコン以前にセンスがどうかしている。まあそのセンスも王妃のセンスなのだけれども。


「大方、血は卑しいが魔力は素晴らしいものがあるし血を取り込むことが出来れば王家の権威も高まり、貴族からはいい顔はされずとも国民へのアピールにもなりついでに濃すぎる血を薄める一方で、平民であれば自身には絶対に逆らえないからとか、そんな打算でしょうか」

「ほんと貴族ってえげつな……マジで無理……」


 そして言い忘れたがカリーナはその上昇志向故に、人に指図されたり頭から押さえ付けられるのも極度に嫌う。

 そんな人格の相手に私が今みたいに更に吹き込んでみればそれはもう効果てきめんだった。


「か、カリーナ、ベネなんかに騙されてはダメだ! 母上も、何か言ってください!」

「あら、もう早速王妃殿下に泣きついてますわよ?」


 そう指摘してやればカリーナはあからさまに顔を顰め、今度は私の後ろに回り込んでしまった。なんじゃそりゃ。

 あなた今しがたヴァン様の後ろにそうやって隠れてましたわよね……? そんな今更キモイマジでキモイとか無理無理とか私の後ろに隠れて呟かれても……


「ち、ちがっ……貴様、俺と王妃殿下相手に無礼だぞ!」

「婚約破棄する程度には嫌な相手であった私相手の贈り物を相談するならまだしも、真実の愛の相手に贈るものまで王妃に選んでもらうって、ちょっと……ねえ?」

「パドレス様、今までの非礼をお詫びします。目が覚めました。本当にありがとうそしてごめんなさい」

「え、ええ……謝罪を受け入れますわ」



 しかもなんかカリーナの方が私に謝罪しているし……あれ、全くそんなつもりではなかったとはいえこれ確か私がカリーナに謝罪するとかそんな話ではなかったかしら……一体何が起こっているのかしら……


「危うくマザコン野郎に捕まるところでした」

「あら? もう捕まっているの間違いでは? 真実の愛ですよね?」

「いいえ、婚約者様は貴方様ですし」

「婚約なら破棄されましたし私もそれを承諾しましたよ」


 そんな今更譲られても……というのはともかく、あからさまに嫌そうな顔をするのが面白くて、つい言葉を重ねてしまう。


「カリーナ! その女から離れるんだ!!」

「ほらお呼びですよ、真実の愛さん?」

「ほんとやめてください。土下座でもすれば満足しますか?」

「カリーナ!!」

「ヴォエッ、マジで私の名前呼ばないでください。耳が腐る」

「……母上! どうにかしてください!!」

「黙りなさい!」


 堪らず王太子殿下は更に王妃に助けを求め、沈黙をなんとか貫いていた王妃殿下が堪らず吠えた。



「私は……私はただ王太子を導いていただけです」

「導く、ですか? もう既に成人している大の男を導く? プレゼントを選ぶところから夜伽の部屋まで全て導くのはハッキリ申し上げてどうかしていると思いますが……あっ」



 思わず失言をしたと装って追加の暴露をすると、いよいよと言った形で周囲に失笑が広がる。

 カリーナなんて最早汚物を見る目通り越してヴァン殿下を見る表情が面白すぎる。


「あ、有り得ない……嘘でしょ……」

「違うんだ、カリーナ! 俺の話を」

「ひぃっ! ドントタッチミー!!」


 ついには聞いた事のないような意味不明な単語を叫ぶと、引き止める声に耳を一切傾けずそのまま彼女は走って大広間から逃げ出した。


 場に残されたのは顔面蒼白な王太子殿下と、沈黙する貴族たち。

 そこでこっそりと合図を送ると、追い打ちをかけるように宰相が口を開く。


「……王妃殿下が王太子の名を使い、貴族人事や予算配分に介入していた証拠が見つかりました」


 当初は冷ややかに婚約破棄の現場を見下ろしていた宰相であったが、恐らくは彼の予想の斜め上を行っていたであろうこの展開に、思わずと言ったところか少々気まずそうにそう口にした。

 そうして宰相から王妃の傍でずっと沈黙していた国王陛下に差し出したのは、王太子印と瓜二つの印章と、それを使用し貴族人事へと介入した証拠、および王太子名義での命令書であった。


「……少々展開はおかしくなりましたが、これらは全て王妃殿下の私室より見つかりました」

「王太子印の偽造とはまた思い切りましたね。母としての助言や導きを完全に逸脱しておりますわ」


 摂政や関白の次元を優に超えている。

 下手したら王位の簒奪とも取られかねない。


 実を言うと、私自身にとってはその事実はそんな新しいものではなかった。何故なら私は幼い頃から王太子の婚約者。

 礼儀作法や政治史、外交、更には感情のコントロール。

 あらゆるものを未来の王妃として必要だからという名目で叩き込まれたが、何も綺麗事ばかりを叩き込まれた訳ではない。

 実際には王妃殿下に『もしも殿下が道を踏み外すような事があった場合』と言う言い含みのもとに、これらの存在を教えて貰っていたからだ。


 もちろん、ただ教えてもらったわけではない。バラしたら一族郎党根絶やしにするし、お前も私も一蓮托生だという脅し付きだ。

 だから実際には王妃殿下と私とで共犯関係を作ることが目的で敢えて私に弱みを握らせたと言うことだ。

 全ては王妃殿下が安心して操れる駒を作るため。自分の駒が暴走した時に、元の軌道に戻すためのブレーキ役。


『あなたは賢いわね。余計な感情を見せずに淡々としているのが一番よ。王妃教育が身についているみたいで何よりだわ』


 決して褒め言葉ではない。どちらかと言うと再脅迫。


 恐らく王太子ヴァンは、実子と言うことで私なんかよりもさらに深く、王妃殿下の傀儡となっているのだろう。治らないレベルに。


 王妃という存在、それは一人の母であるである前に『支配者』だ。その王妃殿下がこうして影の女王を目指すべく暗躍していた理由。

 それは、彼女が元は側妃だった事に由来している。


 確か、元は男爵家の出身だっただろうか。

 先王妃は公爵家の生まれで、それはもう非常に優秀な王妃であったと私は先生方から聞いている。

 病で早逝してしまったとの事だが、生前は何事につけ比較されて過ごしたと聞いている。

 そしてそんな彼女が拠り所としたのは、ただ一人の息子だった。


『この子だけは私を裏切らない……私の味方はこの子だけ……そしてこの子の味方も私だけ……!』


 そうして始まったのは、愛という名の支配だった。

 息子が泣けば敵を遠ざけ、息子が迷えば答えを与え、息子が自分で選ぼうとすれば、恐怖を植え付けた。


『――失敗したら、誰も守ってくれないのよ? 王とはそういう物です。だからこそ、意見を聞くために王妃という存在がいるのです』


 そうして四肢に糸を括りつけた結果、自分で選ぶ力が失われた王太子が生まれたのだ。


 王妃殿下はそれを正しい母の導きだと信じて疑わなかったようだし、結果的には善良な人間にはなったが、しかし王としての器の中身はからもいい所だ。


 ヴァン王太子はもともと、優しくて争いを嫌い、人を傷つけることを好まない温和な性格だ。

 だがそれは、貴族界流の言い方をすると自分の意思がないことの裏返しでもあった。

 なんせ彼は選択肢を示されると動けなくなる。そして答えがなければ、王妃を探す。


「王妃殿下、ご同行を願います」

「わ、私は……あの子の、ために……」

「印章の偽造は重罪です。王族であっても責任は免れられません」



「は、母上……」



「貴方も、王妃殿下も、2つ大きな間違いを犯しました。ひとつは、私を安易に手放そうとしたこと」


 お陰で偽造の事実がこうして私を介して第三者に漏れた。


「そしてもうひとつ」


 それは、王妃殿下が退場した後のことをまるで考えなかった、ということ。


 親というものはいつまでもいる訳ではない。

 その事実から親と子、双方が目を逸らした結果、今まさに王妃が退場してしまった訳だけれども。



「さて、殿下。貴方は、ご自身の言葉でこの私を裁けますか?」



 ……。



 ……、……。



「……母上が……」



 その一言が、すべてだ。





 王妃殿下の失墜――母としての愛が、国家を歪めた結果、宰相が明らかにしたのは、長年積み重ねられた王妃による政治への不正介入だった。


 王太子名義の命令書に不自然な貴族配置、そして王妃や王太子に近い者だけが得る恩恵。こうしたものが全て洗いざらい白日の元に晒された結果、王国の屋台骨は大きく傾くことになってしまった。


 王妃は最終的に離縁こそは免れたものの、離宮に生涯幽閉されることとなった。そして王太子ヴァンは王太子の座を剥奪され、その妹であるマドレーヌ殿下が王太女として繰り上がることとなった。



「いや、ほんっといい迷惑なんですけど!!」


 そうぶりぶり怒っているのは他でもないマドレーヌ殿下だ。

 まだ学園生の身分であり、それまでは王太女教育なんて受けたことのなかった彼女は、王位継承権が繰り上がると共に激務に苛まれることとなり、私と共にこうして王宮の執務室に籠って書類捌きを現在行っている。


「殿下、象牙の印章はもう新しく作れないのですから、王太女印をもっと優しく扱ってくださいまし」


 私は王家の秘密をあまりにも知りすぎているため、自由にさせてもらえるはずもなく。

 今は暫定的にマドレーヌ殿下付きの側近という扱いで一旦は落ち着いている。

 他にも男の兄弟がいれば婚約の結び直しともなっただろうけれど、生憎王家の血を継ぐのはマドレーヌ様のみ。

 苦肉の策とも言える。


「そうは言ってもこれ、兄上の元王太子印を彫り直しただけの物じゃない。正直ばっちい(・・・・)わ」

「では王妃殿下の偽造印を彫り直しますか?」


 そう嫌がらせのような一言を付け加えるとマドレーヌ殿下は露骨に嫌そうな顔を浮かべ、沈黙した。


 マドレーヌ殿下は正室の……つまり、『前王妃』の子だ。

 だから現王妃との関係性は、赤の他人。故に王妃殿下の持ち物については露骨に嫌な反応を示す。


「カリーナにあげるわ、その偽造印。貴方兄上の真実の愛なのだから王妃様の使ってた兄上の印章なら光栄でしょ?」

「名案ですわね。カリーナの決済印として再利用しましょう」

「冗談でもやめてください。キモ過ぎてガチでまだ身震い止まらないんですからね」


 一方で執務室でマドレーヌ殿下直属の文官として付いているのはカリーナだった。

 蓋を開けてみたら、彼女もまた未来の王太子妃ということで王家の秘密を事前に聞きかじっていたらしいと言う報告を受けて国王陛下が昏倒した事実はまだ記憶に新しい。

 平民だから秘密裏に葬り去るべきかと言う意見も一時は持ち上がったが、そこに既にマドレーヌ殿下付になっていた私が一言口添えしたらこうなった。


「ではカリーナも飼ってしまえばよいではありませんか。曲がりなりにも王妃殿下の目に留まる程度には優秀だった訳ですし、別に今すぐに始末を付ける必要なんてありませんわ。それよりも、今は王太子殿下と王妃殿下の抜けた穴を埋めることの方が先決です」


 カリーナは私のそんな鶴の一声で命を繋ぎ止めた形となった。

 そして好いていた訳でも無いとはいえ形式的には泥棒猫と言う負い目のあった彼女は、もう私に逆らうことの出来ない、いい感じの狗に成り果てたというわけです。

 ん〜泥棒猫の生殺与奪権を握ってるって響きが良いですわね……


 そして私は。



「御前を失礼致します、王太女殿下」


 現れたのは宰相のマシューだ。


「あら宰相、早かったわね」

「本日は婚約者との婚約2ヶ月記念日ですからね」

「婚約者?」


 そう言って、マシューは私に手を差し出した。


「あら、覚えていたのですね」

「勿論ですよ」

「殿方はあまり記念日とか覚えていないものだと思ってましたわ」


「……婚約者??」

「あら、言わなかったかしら。この男もいい歳してまだ独身だったので、王命で宰相とベネを婚約させたのよ」

「いやはや、この歳で色恋なんて夢にも思いませんでしたな」


 宰相のマシューは43歳。まあまあいい歳だ。私とは20以上も歳が離れている。


「はぁぁあぁああ!? 私も狙ってたのに!!」

「狙っ……!?」

「王太子がゲロマザコンで無理だったから絶対そういうのじゃ無さそうだしいいかもと思ってたのに! 信じらんない!!」


 そう言って席を飛び上がり無念そうにデスクを叩くのはカリーナだった。

 いや狙ってたって、危うくまた泥棒猫に泥棒猫されるところだったのか……


「僕の母はもう10年前に亡くなっていますからね」

「言葉は悪いですが、少なくとも安心ですわね。ところでカリーナは廃太子殿下の真実の愛なのですから、どうぞ真実の愛と添い遂げください?」

「嫌ああああ!!」


 叫び声をあげると、カリーナは溶けるように書類の山に沈んでいきやがて視界から消失した。

 ……実を言うとこの真実の愛弄りがなかなか楽しいのはここだけの話だ。


「まあ、男なら大なり小なりマザコンなものですよ」

「それはそうですけど、優先順位を間違えられるのは如何なものかと思いますわ」

「そこは同意ですな」


 宰相は少し白髪が気になるところではあるが、私としては特に可もなく不可もないと言ったところだろうか。

 いずれにしても王命なので離れられる訳では無いが、少なくとも王太子殿下よりはずっといい。少なくとも自立したオトナの男である。


「さ、今日はどこへ私を連れて行って下さるのかしら?」

「演劇とかはどうだい? 目ざとい奴らが早速真実の愛騒動を劇にしたらしいと聞いた」

「まあ、面白そう」

「まって、なにそれ聞いてない」


 溶けていたカリーナが急浮上するが、泥棒猫のお邪魔虫は無視だ。


「ではマドレーヌ殿下、本日はこれにて早退とさせて頂きますわ」

「まって」

「ええ、また明日も宜しくね、ベネ」

「まって!」

「ではごきげんよう、皆様。どうかよい一日を」


 カリーナの目の前で扉を閉め、マシューと王宮の廊下を並んで歩く。

 心なしか、今までと比べると少し廊下が明るくなった気がする。王妃の幽閉に辺り色々とものを整理したからだろう。全体的に風通しが良くなった。

 ここにはもう、王妃の影はどこにもない。

 あるのは自由の身となった私と、マシューだけだ。

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― 新着の感想 ―
マザコン男からカリーナまで救ってあげるなんて器がでかい。
ベネを陥れ様としたカリーナのざまぁが甘いかなと思いましたが、狙ってた男は奪われベネの犬状態がずっと続くなら結構な生殺しかも。 王子のぼんくら傀儡ぶりや王妃の愚行に気付かなかった王はギルティ。元凶の王…
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