09.泊まり込みですか?
それからというもの、私は一日のほとんどの時間を、王女殿下――ライナ様の私室で過ごすようになった。
朝は、マリアさん(ライナ様を赤ちゃんの頃から世話している侍女)と一緒に着替えを手伝い、朝食を終えた後は髪を整え、軽く化粧を施す。
その後は、何かあったときにすぐに動けるよう、執務に取り組むライナ様の近くで控えるのが私の役目だった。
最初は緊張でいっぱいだったけれど、不思議なことに日を追うごとに、それが当たり前になっていく。
今日も気づけば外は夕暮れ色に染まり、一日が終わろうとしていた。
「――もうこんな時間!?」
思わず漏れた私の声に、ライナ様が書類から顔を上げ、ちらりとこちらを見る。
「何か問題でも?」
「いえ……そろそろ屋敷に戻らないと、と思って……」
そう言ったところで、ライナ様が手を止めた。
「そうか。フォークト伯爵家はここから少し距離があるんだったな」
「はい。暗くなると、両親が心配しますので」
王宮からうちまでは、馬車で一時間以上かかる。
王女専属護衛騎士であるルート様には、王宮に部屋が用意されていて、ほとんど帰っていないようだけれど。
さすがに、侍女になりたての私が同じような扱いを受けるわけにはいかない。
ただでさえ、いきなりライナ様の側付き侍女になったせいで、もともと仕えていた侍女たちから、冷たい視線を向けられているのだから。
「マレーネも、泊まり込みで働けばいいじゃん」
「え?」
あまりにあっさりと言われて、思考が止まる。
「朝から夜まで一緒にいられるし、王宮に泊るなら、ご両親も安心なさるだろう」
えええええっ!?!?
にっこり、と。
ライナ様はまるで明日の天気でも言うみたいな軽さで、そう言ってのけた。
「すぐにマレーネの部屋を用意させるよ。なぁ、ルート」
「そうですね」
「ですが……! さすがに、それは……!」
慌てて声を上げる私を見て、ライナ様は不思議そうに首を傾げる。
「なんで? そのほうが楽だろう?」
「そ、それはそうかもしれませんけど……」
理屈としては、確かに正しい。
王女殿下――いえ、王子殿下の秘密を知っている私が、いつでもそばにいるほうが安全なのも事実だ。
マリアさんはご高齢で、夜まで仕えることはできないし、休む日も多い。
そして、ルート様は男。
王女だと思われているライナ様に何かあったとき、女の私がいたほうがいいだろう。
「それに」
迷う私を見て、ライナ様はちらりとルート様に視線を向けた。
「こいつは、ほとんど泊まり込みだ。私が寝た後なら、ルートと仲良くしても構わないぞ」
「殿下……っ!?」
「なんだったら、部屋も一緒でいいんじゃないか? 私との噂も消えて、一石二鳥だ」
ははは、と。
あまりに爽やかで美しい笑顔。
こんなに美しい王女様(王子だけど)が、何を言っているのか……!
けれどその横で、ルート様が小さく震えているのを、私は見逃さなかった。
もしかして、怒っているのだろうか? それとも、困っているの?
ライナ様があまりにもふざけるから……。
そうよね、さすがに同じ部屋はない。あり得ない。
いくら婚約者でも、私たちはまだ結婚前だし、ルート様に失礼だわ。
「殿下――」
「さすがにそれはあり得ません!」
だから私は、ルート様がお断りするより先に、はっきりと否定した。
ルート様に、これ以上負担をかけるわけにはいかないもの。
私の言葉が部屋に落ちた瞬間、空気がほんの少し、変わった。
ライナ様は一瞬だけ目を瞬かせ、それから「そうなのか」と、あっさり頷いた。
「そうです、私たちは結婚前なのですから!」
「ふぅん……なるほど。結婚前だから、か」
指先で机を軽く叩きながら、少し考える素振りを見せて。
「じゃあ同室はやめておこう。マレーネの部屋を近くに用意させるよ。な、ルート」
「は、はい……そうですね」
「え?」
あまりに自然な流れで話が進んで、思わず間の抜けた声が出てしまった。
その横で、ルート様がほんの一瞬、言葉に詰まったように見えた気がした。
気のせいだろうか。
でも、さっきまでは即座に反応していたのに、今はどこか歯切れが悪い。
「今日は帰っていいぞ。明日からは、泊まる用意をしてきてくれ!」
「……はあ」
まるで、もう決定事項のように言われて、思わず頷いてしまった。
ルート様と同室、という選択肢以外はOK、という流れになってしまったのだ。
これはもう、逃げられない展開なのでは?
「ルート、マレーネを馬車まで送ってやれ」
「はっ」
そうして私たちは、静かな廊下を並んで歩き始めた。
その間、ルート様は口を開かなかった。
堂々とした姿勢のいい背中はとてもたくましいけれど、視線は少し伏せられている。
ふと見ると、彼の拳がぎゅっと握られているのがわかった。
「……ルート様?」
そっと声をかけると、びくっと肩が揺れた。
「あ、突然声をかけてすみません」
「いえ」
顔を上げたルート様は、いつもの無骨で落ち着いた表情に戻っていた。
けれど、どこか無理をしているように見える。
「殿下のお決めになることです。俺は、従います」
「え?」
……?
唐突に話し始めたルート様。
何の話だろう、と首を傾げた、そのとき。
「……だが、俺は……あなたと同室というのも、嫌ではない」
「え」
低く、抑えた声。
ぴたりと立ち止まり、視線を私に向けて。
「もちろん、結婚前であることは理解している! だからその、変な意味ではなく……!」
――あ、そういうことか。
少し照れたような表情に、私は彼の意図にようやく気づいた。今さらながら後悔が押し寄せる。
私が勢いで思いっきり否定してしまったせいで、ルート様を傷つけてしまったのかもしれない。
「あの……私……」
「それでは、お気をつけて」
気づけば馬車乗り場に着いていて、ルート様は空気を切り替えるように言った。
いつもの騎士としての声に戻っていて、それが余計に胸に刺さる。
「……ありがとうございます」
深く頭を下げて、私は馬車に乗り込んだ。
扉が閉まり、馬車が動き出してからも、胸の奥がざわついたままだ。
結局、ルート様がヒーローなの?
ルート様のことは、〝ざまぁされる婚約者〟だと思っていたから、今さら溺愛を匂わされると困惑してしまう。
「……っていうか、漫画の世界だとわかってはいても、いざ自分が主人公になると、どうすればいいかわからないのよね……」
だってこの世界は実在しているから。
私も、ルート様も、ライナ様も。架空のキャラクターではなく、この世界に実在しているから。
そこにはちゃんと、心がある。
「誰かこの後の展開、教えてくれないかな~」
それにしても――王宮に泊まり込みで働く、なんて。
まさかそんな展開になるとは、正直想像もしていなかった。
馬車に揺られながら、窓の外に流れる夕焼けを眺めて、私は小さく息をついた。
不安はある。
気まずさもある。
それでも――。
この世界で、与えられた役目を、出会った人たちとの時間を。
どうせなら、全力で楽しんでみよう。
「よし」
明日からは、王宮に泊まり込みだ。
なんとも、主人公らしい展開ではないか。
「とにかく私はこの世界のヒロインなんだから――誰がヒーローでも、きっと幸せになれるわ!!」
我ながら、ポジティブな性格をしていると思う。
でも、せっかく大好きな異世界系少女漫画のヒロインに転生できたのだから、やっぱり楽しまないと!
気合を入れて、私はそっと背筋を伸ばした。
明日から始まる新しい日々(展開)を、想像しながら。
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書きながら物語の続きを考えているので、タイトルが変更になりました(照)




