40.銀髪のヒーロー5
俺の名はセドリック・エーレンベルク。
銀色の髪、紫の瞳を持つ、公爵家の嫡男。
そして、この漫画の正ヒーローだ。
その日、俺は夜の王宮内にいた。
漫画では今日、マレーネが意地悪な先輩侍女に、東棟にある物置に閉じ込められてしまう日だった。
そんな彼女を、俺が助ける展開。
俺とマレーネが距離を縮める、大切なイベント。
しかし現状、俺が漫画で見た展開と、大きく変わってしまっている。
本来ならこの日までに、マレーネはルートとの婚約を解消しているし、俺も彼女の気持ちを少しは得ているはずだった。
しかし、現実はどうだ?
マレーネはルートを〝お慕いしている〟と言った。
俺はマレーネを脅迫するようなことを言って、おそらく嫌われている……。
「はぁ……」
だから、もしかしたらそんなイベント自体、起こらない可能性もある。
だというのに、俺は未練がましくも、こうして東棟にある物置へ向かっていた。
もし……もしも、本当にマレーネが閉じ込められていたら。
俺が助けてやらなければ。
たとえ彼女の気持ちがルートにあっても。それでも俺は、彼女を放っておくことなどできない。
泣きたい気持ちを堪えて物置に到着したとき――中から、女の叫び声が聞こえてきた。
〝秘密をばらしてやる! あんたのせいよ! あんたのせいで、殿下の秘密がばれるんだからね!!〟
殿下の秘密――?
この声は……マレーネをいじめていた侍女のものだ。
まさか、彼女にも殿下の秘密がばれたのか――!?
しかし、なぜ?
俺はそんな展開、読んでいない。
ああ……もしかしたら、俺がセドリックに転生したせいで、すべてが変わってしまったのかもしれない。
なんということだ。
俺のせいで……俺のせいで、マレーネが不幸になる。
俺は、この漫画のヒロイン、マレーネ・フォークトを幸せにするはずの男だった。
それが、俺(正ヒーロー)の役目。
マレーネは、俺が助けなければ……!!
「……今度は、出番を間違えない!」
今ここで行かずして、何がヒーローだ。何がセドリック・エーレンベルクだ。
覚悟を決めた俺は、物置の扉を開いた。
「今度こそ、俺の出番だ。……マレーネをいじめる奴は、俺が許さない」
静まり返った空間に、俺の声が低く落ちる。
まず目に入ったのは、床に座り込んでいるマレーネだった。
尻餅をつき、目を見開いてこちらを見ている。
そのすぐ目の前に、あの侍女。
「セ、セドリック様!?」
俺を見て、女の声が裏返った。肩が跳ね、大きく目が見開かれる。
露骨な動揺。
「……おまえ」
自分でも驚くような声が出た。
状況を理解するのに、一秒もかからなかった。
「マレーネを突き飛ばしたな?」
静かに問うたが、心の奥は煮えたぎっていた。
マレーネを……俺の大切なマレーネを突き飛ばした突き飛ばした突き飛ばした――!!
「ち、違います! 私はただ……」
「黙れ」
侍女は、怯えたように一歩下がった。
明らかに動揺し、俺を恐れている。
「そ、そうだわ! そんなことより聞いてください、セドリック様! ライナ殿下は、実は男だったのです!」
何かいいことを思いついたというように目を輝かせ、誤魔化すように早口でしゃべる侍女。
やはり、秘密とはそのことだったのか……。
だが、今の俺には、もっと重要なことがある。
「そんなことより?」
「え……?」
一歩、また一歩、後ろに下がる侍女。
「今、〝そんなこと〟と言ったか? マレーネを突き飛ばしたことを」
「え? あの……だって、ライナ殿下が男だったんですよ? そっちのほうが大問題じゃ――」
侍女がまだ何か言っていたが、俺は構わず彼女の言葉を遮った。
「俺は、マレーネを突き飛ばしたのかと聞いたんだ。それを、〝そんなこと〟と言ったな?」
「……っ」
次女の背中がドンっと壁にぶつかる。俺を恐れ、どんどん後退っていった結果だ。
彼女の目には涙が溜まっていたが、それでも俺は続けた。
「俺の大切な人に……マレーネに、手をあげたな」
「で、でも――!」
「言い訳は不要だ」
マレーネはまだ立ち上がっていない。
よほど衝撃が強かったのだろう。
目を大きく見開いて、何も言えずにこちらを見ている。
ああ……かわいそうなマレーネ。
怖かっただろう。痛かっただろう。
胸の奥で、怒りが静かに燃え上がる。
「それから。ライナ殿下を男だとも言ったな」
「そ、そうなんです……! 私、見たんですから――!」
「そんなはずはない」
「え……っ」
自分でも、予期せぬ否定的な言葉が口から出た。俺だって、そうじゃないかと疑っていたのに。
侍女もマレーネも、俺の言葉に固まった。
「っ、ですが……!」
「なぜなら――」
それでも俺の口は、動いた。
「俺とライナ殿下の、結婚が決まった」
そう告げた瞬間、室内がシン――と静まり返った。
もちろん、そんな事実はない。父からはそうしたいと何度も打診されていたが、俺は断ったのだから。
ああ……俺はまた、マレーネの前で嘘をついてしまった……。
しかし、これはライナ殿下の秘密を守るための嘘だ。
もし、本当に殿下が男だったとして――。
俺が数年の間、殿下と白い結婚をして、それで疑いの目を逸らすことができるのなら。
少しでも、マレーネを救うことができるのなら。
彼女の笑顔を守ることができるのなら――。
俺は、喜んで力になるがな。
「……は?」
数秒の間の後、侍女がぽかんとして、聞き返してきた。
「聞こえなかったか? 正式な発表はこれからだが、ライナ殿下は俺の婚約者になる」
「な、な、な……っ!?」
「つまり、おまえは今、俺の婚約者を侮辱したということだ」
俺は一歩踏み込み、続けた。
「そして、その婚約者を守ろうとした者に、乱暴した」
「……っ」
「エーレンベルク公爵家の者として……許すわけにはいかない」
「……っ! も、申し訳ございません……!!」
そこでようやく事態の重みに気づいたのか、侍女は顔を真っ青にし、謝罪の言葉を述べた。
だが、今さら遅い。それに、たとえ謝罪されても、マレーネを突き飛ばしたことは絶対に許さない。
「でも……私、本当に見たんです! 殿下のお部屋に、胸に詰め物がされた寝衣があるのを――!」
ここへ来て、なおも食い下がる侍女。
どうせ罰せられるなら、最後まで悪あがきをするつもりか。
「セドリック様も騙されているのではないですか!? 本当に、殿下が女性であることは、お確かめになりましたか!?」
なんということを。これ以上言えば、本当にただの不敬罪では済まされなくなるというのに。
「黙れ。それ以上言ったら――」
「仕方ない。それでは、私が殿下の秘密をお教えいたしましょう」
そのとき。ずっと黙っていたマレーネが、コホン、と咳払いをして、口を開いた。
「マレーネ?」
「実は、殿下は――」
いいのか!?
神妙な面持ちで、ゆっくりと言葉を紡ぐマレーネに、ごくりと息を呑む。
君が決めたのなら、俺はどこまででもついていく。
まさか……秘密を明かして、この侍女を亡き者にする気か――!?
それなら、君の手は汚させない。この俺が……!
そう覚悟を決めた、次の瞬間。
「殿下は……控えめな胸を……大変、気にされているのです」
「え?」
「なに?」
「だから、着替えも入浴も、限られた人にしか見せず、胸に詰め物を……」
…………。
一瞬の沈黙。
目元に手を当て、悲しげな顔を見せるマレーネの口から語られた、真実。(?)
「えええええ!? え、いや……でも、そんなことで……!? そんなの、嘘よ!!」
「嘘ではありません。年頃の殿下にとっては、大きな悩みなのです」
「そんな……!」
真剣な表情で、はっきりとそう告げたマレーネを見て、ガクッと膝から崩れ落ちる侍女。
まさか……本当に?
いや、これはおそらくマレーネが機転を利かせたのだろうが……。
きっと、ライナ殿下は、本当に男……なのだろうが……。
俺は混乱と動揺を侍女に悟られないよう、大きく頷いた。
せっかくのマレーネの機転を、無駄にしてはならない!
「そういうことだ。もちろん俺は、それでも構わない」
「…………」
堂々と答えた俺に、侍女はついに何も言えなくなったようだった。




