37.殿下の秘密
「もー! こんな仕事嫌ッ!!」
もう何度、そう叫んだかわからない。
私はもともと、ライナ殿下付きの侍女だった。
あの格式高い執務室に出入りして、紅茶の温度ひとつ、置き方ひとつで評価されるような、誇り高い仕事。
指先の所作ひとつまで見られて、失敗すればすぐに陰口。そんな世界で頑張ってきた。
でも、それでよかった。だってそこにいれば、未来があったから。
高位貴族の目に留まるかもしれない。良縁が転がり込むかもしれない。
そういう〝可能性〟が、あの場所にはあったのよ。
なのに、今はどう?
床磨き、洗濯、重たい水桶運び、地下倉庫の荷物整理。
冷たい石床に膝をついて、冷たい水で雑巾を絞って、手はあかぎれだらけ。こんなんじゃ、高位貴族様の目に留まるはずがない。
「……なんなのよ、あんなの私がやるような仕事じゃないわ!!」
爪は欠けたし、腰も痛い。埃の匂いが、髪に染みついている。
「もう嫌……なんで、私がこんな目に……!」
全部、あの子のせいよ。
マレーネ・フォークト。
殿下はあの子ばっかり。
視線も声の調子も、明らかに違う。
優しいし、甘いし、気にかけすぎなのよ。
マレーネが調子に乗っていたから、先輩として、ちょっと注意してあげようと思っただけなのに。
「『いじめね!?』とか言って、なんか喜んで……変な子だし。殿下と婚約者が助けてくれる自信があったというの!?」
あー、むかつく。
あのときの笑顔を思い出すだけで、ぞわっとする。
普通、怖がるでしょう? 怯えるでしょう?
なんであんなに楽しそうなのよ。
その後、お望み通りに少しの間、倉庫に閉じ込めてやろうとしたけど。殿下に見つかって、このざま。
私と一緒にお咎めを受けた同期の侍女二人は、耐えきれずに辞めてしまった。
学生のうちに結婚相手が決まらなかった下位貴族の娘である私たちは、王宮で働いて、高位貴族様の目に留まろうと、必死だったのに。
あの二人は諦めてしまったけれど……私は諦めない!
だいたい、悔しいじゃない!
「なんでマレーネは、ルート・ヴェルナー様という素敵な婚約者がいるくせに、殿下の侍女なんてやってるのよ!?」
意味がわからない。
「あー、もう、本当にむかつく!!」
胸の奥に溜まったものを吐き出すように、拳を握る。
おかしいわ。絶対に、おかしい!
「あの子さえいなければ……」
だいたい、殿下も殿下よ。
ルート様と親しくされていたから、殿下にとって、マレーネは邪魔者だと思っていたのに。
なんでいきなりあの子を囲い始めたのかしら……。
「これは絶対、何かあるわ」
人を寄せ付けないライナ殿下が、急にマレーネをあんなに特別扱いするなんて――やっぱり絶対におかしい!
そう考えた私は、殿下が国王陛下との食事中に、こっそり殿下の部屋を訪れることにした。
この時間は、誰もいないことはわかっている。
「……」
扉を、音を立てないようにそっと押し開ける。
室内は静かで、誰もいない。
「ふふ……やっぱりね」
私は唇の端を吊り上げ、するりと部屋の中へ滑り込んだ。
背中越しに扉を閉めると、静寂な空気がじんわりと辺りに響く。
室内は整っているけれど、あまり生活感がない。綺麗すぎる。
殿下は年頃の女性が好むような、可愛らしいものを全然持っていない。
この部屋の掃除は、マリアさんという、殿下の古くからの侍女が担当している。
……考えてみれば、それも怪しい。
殿下には、誰にも見られたくない〝秘密〟があるんじゃないかしら?
そう思いながら、引き出しを開けてみる。
本棚、小物入れ、クローゼット――。
特に変わったものはない。
というか、本当に物が少ない。
「……なによ、何もないじゃない」
そう簡単に殿下の秘密を探ることはできないか……そう思い、舌打ちしかけたそのとき。
「……ん?」
ベッドの上に、寝衣が一着、丁寧に畳まれて置いてあるのが目に留まった。
やけに、厚みがある。
「なに、これ……?」
手に取って広げてみると、胸元だけ、妙に膨らんでいることに気がついた。
明らかに、おかしな厚み。指で押すと、やわらかく沈む。
「これは……詰め物?」
しかも、形が胸の膨らみに合わせてある。
「……どういうこと?」
殿下の胸の膨らみは、偽装されたものだったってこと……?
「でも、どうして……」
殿下のドレスはいつも、首元まで覆われている。手も隠し、肌を見せない。
湯浴みも着替えも、限られた者しか、立ち入れない。
男嫌いで婚約者はいない。
他者を寄せ付けない。
そして、〝ルート様とできている〟と噂されていたのに、その婚約者であるマレーネを、突然側付き侍女にした。
「……まさか」
鼓動が速くなる。
そんなはずない。そんなこと、あり得ない。
でも、もし。
もし、そうだとしたら――。
私は寝衣を握りしめ、呟いた。
「女装……?」
声が震える。
そんなことがもし本当だとしたら、一大事だわ。
これは大変な秘密よ。
マレーネが、知らないはずがない。
「は……、そういうこと……? 面白くなってきたじゃない」
私は、小さく笑った。
これは、とんでもないゴシップだ。国を揺るがしかねない、大ニュース!
国王陛下の第一子が、実は男。第一王子は、ライナ様――。
「ふふふふふ……さぁ、どうしてやろうかしら?」
私は震える手で寝衣を強く握りしめたまま、ゆっくりと口角を引き上げた。
――あの二人の顔が、崩れる瞬間を思い浮かべながら。
あああ……名前もない先輩侍女が……!




