36.銀髪のヒーロー4
俺の名はセドリック・エーレンベルク。
銀色の髪、紫の瞳を持つ、公爵家の嫡男――そして、この物語のヒーローだ。
……いや、正確には、ヒーローであるはずの男だ。
「……」
鏡の前に立てば、非の打ちどころのない男がそこにいる。
整いすぎた顔立ち。背筋の伸びた体躯。鍛え抜かれた肉体。洗練された物腰。
何もかもが〝理想の貴公子〟として作られているような姿。
立場も、権力も、見た目も――すべてを兼ね備えた、いわゆるスパダリヒーローに、俺は転生した。
本来なら、物語の中心に立ち、マレーネを救い、誰よりも正しく、誰よりも強く、誰よりもまっすぐに彼女を愛し、愛される存在。
俺は完璧であるはずだった。
それなのに――。
「はぁ……」
額を押さえ、深く溜め息をつく。
……大好きなマレーネに、嘘をついてしまった。
本当は、殿下の秘密など知らないのに――。
いや、正確には、なんの確証もないのに、適当なことを言ってしまった。
勢いで。焦りで。嫉妬で。
ただ、彼女を引き止めたくて。
「……最悪だろ」
思い出すだけで胃が痛い。
彼女の、あの驚きと戸惑いと、警戒が入り混じった表情。
まるで俺が、脅しているみたいだった。
違うんだ、そんなつもりじゃなかった。
ただ、どうしてもマレーネを手放したくなくて。
しかし、結果だけ見れば、俺は完全に最低な男だ。逆効果だ。
ライナ殿下が男だという確証もないのに。
〝秘密を知っている〟などと。
……何をしているんだ、俺は。
ヒーローがやることか、これ。
「こんなヒーロー、いないだろ……普通」
自嘲が漏れる。肩から力が抜け、部屋の壁にもたれかかった。
「俺が、セドリックに転生してしまったせいで――」
中身の伴っていない、見た目と権力だけを持つ、ハリボテのヒーローになってしまった。
外見だけは完璧。立場も立派。
でも中身は――小心者で、臆病で、独占欲に振り回される、どうしようもない男。
だからマレーネは、俺のことを好きになってくれないのだろう。
本物のセドリックなら、違ったはずだ。
もっと堂々としていて、もっと誠実で。
もっと格好よくて、こんな姑息なことは、絶対にしない。
中身が本物じゃない俺に、ヒロインがときめくはずもない。
「あああ……」
両手で顔を覆う。
思い出すほど、後悔の念が押し寄せる。
情けない……。
マレーネの気を引くためとはいえ、俺はなんてことを……。
今から謝って、許してもらえるだろうか……いや、嫌われてしまうに決まっている。
ああ、どうしよう。どうすればいい。どうすれば――。
「あああああ……」
頭を抱えてしゃがみ込む。
完璧な外見の男が、こんなに情けない声を出してうずくまっている。
誰かに見られたら、威厳も何もあったものじゃない。
――俺はもともと、この漫画が好きだった。
物語も好きだったが、何より主人公のマレーネが大好きだった。
明るくて、優しくて、可憐で、美しくて。
この漫画は女性向けだったが、マレーネのビジュアルに一目ぼれして、読むようになった。
漫画の中の存在。
それでも、彼女が笑えば嬉しくて、泣けば胸が痛んで。
ただの読者のくせに、本気で幸せを願っていた。
あの日――。この漫画の第二章が始まる、新巻が発売される日。
仕事を終えた瞬間、俺は時計を確認して、すぐに会社を飛び出した。
予約していた特典付きの初版。絶対に今日受け取ると決めていた。
息を切らしながら駅を駆け抜け、信号が変わると同時に足を踏み出して――。
視界いっぱいに、白いライトが広がった。
ブレーキ音と、衝撃、身体が浮き上がる感覚。
前世の記憶は、そこで終わった。
彼女のいない俺は、死ぬ瞬間まで、マレーネのことを考えていた。
そんな俺をかわいそうに思った女神様が、マレーネと結ばれるヒーロー、セドリックに転生させてくれたのだ。
幼少の頃から前世の記憶があった俺には、夢みたいな話だと思った。
あの物語の一員になれた。
しかも、マレーネと結ばれるヒーローに。
この人生で、俺は幸せになるはずだった。
マレーネを守って、支えて、愛して、愛されて――。
そのために、これまで俺は、大人しく。
彼女と出会うその日まで、物語通りに進むよう、彼女に早く会いたい気持ちを堪えて、努力してきた。
……それなのに。
「違う……」
現実は、漫画と違う。
それは全部、俺が本物のセドリック・エーレンベルクではないせいなのだろう……。
銀髪……(泣)
次回、意地悪な先輩侍女は今。




