34.まさか闇落ち……?
「な、なんのことですか……?」
声が震えてしまった。喉が渇く。心臓が高く音を立てる。
「……」
誤魔化す私の反応を窺うように、セドリック様はただじっと見つめてきた。
探るような視線。
まさか――。
ライナ様の秘密をばらす気!?
いやいやいや、正ヒーローがそんなことするはず……。
もしかして、ヒロインと結ばれなければ、ヒーローは闇落ちするの!?
もし、ライナ様の正体が王子だと公になったら。
もし、狙われたら。
もし――暗殺でもされたら。
呼吸が浅くなる。
セドリック様は、続きの言葉を言いづらそうに視線を逸らした。
そして苦しげに、唇を引き結ぶ。
……葛藤しているの?
やっぱり、本当はそんなことしたくないんだわ。
でも……ヒロインと結ばれなければ、正ヒーローの未来はどうなるの……?
「もし、脅されているのなら、俺が必ず君を助ける」
「……脅されてなど、いません」
視線を落とす私に、セドリック様は優しく言った。そして今度は額を押さえ、考えるような間を置いてから、そっと手を伸ばしてきた。
「とにかく、冷静に考えてくれ。俺は、セドリック・エーレンベルク。君は、マレーネ・フォークト。俺たちは、結ばれる運命だ」
「……」
肩に触れられ、視線が至近距離で交わる。
それにしても、なんて自信たっぷりな言葉……。
まるで、自分がこの物語のヒーローで、私がヒロインだって、知っているかのような言い方。
その紫の瞳を見つめていると、吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
これが、正ヒーローとヒロインの、抗えない運命というやつなの?
「マレーネ、君は必ず俺を好きになる」
「……」
頭がぼんやりとして、不思議とその言葉を否定できなくなる。
これは……なに? ヒーローチート? そんなの、あるの……?
「マレーネ」
セドリック様の声が、頭の中に響く。彼の瞳が、私を射抜く。
「……っ」
それでも、目を閉じて彼を視界から追いやった、次の瞬間。
「彼女は俺の婚約者だ」
セドリック様の後ろから響いた、ルート様の声に、私ははっとして顔を上げた。
ゆっくりと視線を向けると、そこには扉の前に立つルート様の姿があった。
「……ルート・ヴェルナー」
セドリック様が静かに彼の名を呼ぶ。
「それ以上マレーネに近づく理由があるなら、聞こう」
ルート様の声は落ち着いていた。
けれど――。
彼は燃えている。
……比喩ではなく、本当に。
怒りのオーラのように、彼の周囲を淡い炎が揺らめいている。
そういえば、彼は炎の騎士だった。
「……何を偉そうに。王女と浮気をしているくせに」
「浮気などしていない」
「ついこの間まで、この国の誰もがそう思っていた。今はマレーネを脅して、無理やりそばに置いているのだろう。彼女を解放しろ!」
「セドリック様……!」
胸が締めつけられる。
これはまるで、あのシーン。
婚約者との婚約を解消するはずだった、あの夜会のシーンを、今ここでやり直すような展開だ。
でも、私は知っている。ルート様とライナ様の浮気が誤解だということを。
「彼女は俺と殿下を信じてくれている」
ルート様の視線が、まっすぐ私に向いた。
そう、あのシーンとは違う。
この物語の展開は、大きく変わったのだ。
……でも、そのせいでライナ様にもしものことがあったら――。
私は覚悟を決めて、声を出した。
「セドリック様、少しお時間をいただけませんか?」
「マレーネ……!」
驚いたように目を見開くセドリック様。
けれど次の瞬間、彼の肩の力が少し抜けた。興奮の熱が、わずかに静まる。
「わかった、待つよ」
正ヒーローらしい冷静さを取り戻したセドリック様は、私に優しい微笑みを向けると、最後にルート様をひと睨みして、部屋を出ていった。
「マレーネ……」
部屋に残された、私とルート様。
彼はほんの少しだけ、寂しそうな表情を見せた。
「ライナ様は、今」
それでもまずは、お仕えしている殿下のことを確認する。
「自室で執務の最中だ。少しの間、マリアさんがそばにいる」
そうか。よかった。
たぶんライナ様のことだから、何かを察してルート様を私の部屋に寄越してくれたのね。
「では少し、お話があります」
まっすぐに彼を見据えて告げると、ルート様も表情を引きしめ、頷いてくれた。
続きます……!




