25.仮面舞踏会
今日は、王宮主催の夜会が開かれる。
しかも、目元を隠した仮面舞踏会。
今夜だけは身分や立場を忘れ、国の未来を担う者同士が自由に交流する――そう、建前では説明されている。
王族も、高位貴族も、騎士も、官僚も。
みんなが仮面をつけることで、名前も肩書も置き去りにし、本音を語り合う夜。
けれど、この夜が特別なのは、それだけではない。
ライナ様にとって、今夜は〝男として参加できる、特別な夜会〟なのだ。
絶対に仮面を外してはならない。
それでも今夜だけは、男として貴族令嬢とも、誰とも、対等に言葉を交わせる。
相手の正体を探らないのが、仮面舞踏会のマナー。
つまり今日だけは、ルート様はライナ様を〝王女〟として護衛しなくてもいい日、ということになる。
それでもきっと、真面目な彼は、ライナ様を視界から外すことなんてできないだろうけど。
私も、今夜は目元を隠す仮面を用意した。
派手な飾りのない、簡素なもの。
それでもこれをつければ、今夜の私は〝マレーネ〟という名前すら、誰にも知られない。
――そして。
こういう日は、決まって何かが起こる。
だってそれが、お約束展開というものなのだから。
王宮の大広間に一歩足を踏み入れた瞬間、息を呑んだ。
宝石のように輝くシャンデリアが、仮面をつけた人々を照らし出し、色とりどりのドレスと正装がゆるやかに揺れている。
すごい……。
同じ王宮でも、いつもの夜会とはまるで違う。
仮面ひとつで、こんなにも空気が変わるなんて。
誰が誰なのか、わからない。
肩書や立場、見た目だって、今夜は意味を持たない。
それなのに。
『ねぇ、あの方。素敵じゃなくって?』
『本当。仮面をしているのに、ハンサムなのがわかるわ』
令嬢たちにひそひそと囁かれ、熱い視線を向けられ、噂の的になっている人物。
……ルート様だ。間違いない。
あの、背筋の伸びた立ち姿。
無駄のない所作。落ち着いた雰囲気。
漫画の主要人物らしい、オーラ。
いつもの騎士服ではない、正装に身を包んだその姿は、顔の半分が隠れているというのに驚くほど目を引く。
「……仮面の意味、あるのかな」
思わずそんなことを考えてしまう。
視線を向けるたびに、胸の奥がそわりとして、落ち着かなくなる。
仮面越しでも、彼がどれほど格好いい人なのか、わかってしまう。
『――ねぇ、あの方はどなたかしら?』
『さぁ? まったく見当がつきませんわね』
そんな話声が聞こえたとき。ふと、ルート様の少し前にいる人物に目が留まった。
金髪を後ろでひとつに束ね、正装に身を包んだその背中。
すらりとした立ち姿は堂々としていて、歩き方にも一切の迷いがない。
……あれはもしかして、ライナ様?
本当に、王女には見えない。
どう見ても、貴族の青年だわ。
肩幅はそれほど広くないのに、不思議と頼もしさがある。
周囲の視線を受け止める仕草も自然で、物怖じしている様子はまったくない。
「……さすがだわ」
誰も、彼が王女だなんて気づかないだろう。
それほどまでに、今夜のライナ様は〝男〟だった。
本当はずっと、こうして男として、堂々と夜会に参加したかったのだろう。
秘密を抱えたまま、それを隠して、女として生きてきたライナ様の気持ちを思うと、少しだけ胸が苦しくなる。
いつも明るくされている方だから、余計に……。
そんなことを考えていたとき。視線を感じて、そちらに顔を向けた。
「……!」
ルート様が、私を見ていた。
仮面をしている〝私〟に、ルート様もどうやら気づいたみたい。
目が合うと、ほんのわずかに目を細めて、微笑まれた。
「……」
仮面で顔が隠れていて、本当によかったわ。
きっと今、頬が赤くなっている。
「美しいご令嬢――今夜の音楽、とても素晴らしいですね」
「え?」
顔を伏せた私に、突然かけられた声。
振り返ると、仮面をつけた茶髪の見知らぬ男性が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
上質な正装に、落ち着いた物腰の人だけど――たぶん、モブ。
って、失礼よ、マレーネ。私はただの読者じゃないだから。
「あ、はい……そうですね」
自分に活を入れて、にこりと微笑む。
というか、話しかけられてしまった。
今夜は婚約者のエスコートもないから、当然こういうこともあるだろうとは思っていたけれど……。
「よろしければ、一曲ご一緒にいかがですか?」
「え……っと」
早速ダンスに誘われてしまった。
今夜は仮面舞踏会。最初のダンスは婚約者と踊らなければならないという決まりはない。
それでも、差し出された手を前に、私は一瞬言葉を失った。
侯爵家の嫡男で、王女の護衛でもあるルート様の〝婚約者〟の私に、夜会で声をかけてくる人は、これまでいなかった。
男性から誘われる経験なんてしたことがない私は、どんなふうにお断りしていいのか迷ってしまう。
「あの、私は――」
それでも、婚約者がいるので。とでも言おうと、口を開いたそのとき。
「彼女は俺の連れだ」
低く、よく通る声が、割って入ってきた。
顔を見なくてもわかる。
……ルート様だ。
長身でたくましい身体が、自然と私とその男性の間に入る。
私を守るように……男性から遮るように。
「え、でも……」
「失礼だが、先約がある」
穏やかな口調なのに、有無を言わせない圧があった。
声色は紳士そのもの。
けれど、ほんのわずかに滲むのは――明確な、独占欲。
「……そ、そうでしたか。それは、失礼しました」
男性はルート様の圧に耐えきれず、一礼すると素直に身を引いていった。
「驚かせてしまったな。大丈夫か?」
「大丈夫です……」
ルート様は、男性が完全に離れたのを確認してから、こちらを振り返った。
「ああいう男は多い。気をつけたほうがいい」
淡々とした口調。けれど、その視線は私から離れない。
まるで、逃がす気がないみたいに。
「でも、今夜は仮面舞踏会ですし……」
「だから、だ」
「え?」
「身分も立場も隠される夜だ。だから、奪おうとする者もいる」
「……」
仮面の奥の視線が、まっすぐ私を射抜く。
「俺はそれを黙って見ていられるほど、できた男じゃない」
その言葉と視線に、胸がドキリと跳ねた。
今まで、ルート様がこんなふうに感情を表に出すことなんて、ほとんどなかったのに。
「今夜は、俺のそばにいて――」
「……!!」
そっと、私の耳元に唇を近づけて。甘く囁くその言葉は、命令でも、強引な言葉でもなく。
まるで甘えるような、お願いに近い言葉だった。
「……はい」
「よかった」
……ルート様も、仮面をつけているせいか、いつもより素直だわ。
こんなの、ドキドキしないわけがない。
仮面舞踏会の喧騒の中で。
私は今、誰よりもはっきりと感じた。
この人からは、逃げられないと――。
仮面舞踏会、続きます!




