21.隣の部屋の婚約者
その日の夜。
本日の務めを終えた私は、王宮に用意された私室に戻ってきた。
ライナ様が就寝する時間になると、私とルート様の仕事は終わり。
と言っても、私たち三人の部屋はとても近い。
私の部屋はルート様の部屋のすぐ隣だし、その隣に、ライナ様の部屋がある。
それに、就寝中に何かあってもすぐに知らされるよう、私たちは魔法で作られた、通信用の〝魔導具〟を持っている。
前世でいうところの、携帯電話のようなもので、離れた場所にいる相手とも連絡が取れる優れものだ。
しかも携帯電話とは違い、魔導具は見た目も可愛くコンパクト。
私のは、ストロベリーピンクの綺麗な石。いわゆる、魔石というやつだ。
それを、シルバーチェーンのついたネックレスにして、ライナ様に渡された。
正直、アクセサリーとしても気に入っている。
でも、寝るときも、お風呂に入るときも、どんなときでも外しては駄目だと、ライナ様に言いつけられている。
魔導具は、この世界の魔導師が、魔力を込めて作っている。他にも、ドライヤーのように熱風を出して髪を乾かす魔導具や、冷蔵庫のように温度を一定に保てる魔導具などもあって、大変便利だ。
私は魔法がある世界に転生できて、本当によかったと思う。
「はぁ……」
それにしても、今日はなんだか疲れた。
入浴を済ませ、寝衣に着替えた私は、溜め息をつきながらベッドの上に身を倒した。
ライナ様の侍女という仕事は、案外楽しい。
待遇もとてもよく、前世で過労死した私にとっては、天国のような仕事だ。
それに……。
必然的に、ルート様ともいつも一緒にいられる。
ルート様と倉庫に閉じ込められていたのは、ほんの少しの時間だった。
(ちなみに、あの後侍女三人組はみっちり事情聴取を受けることになった。たぶんまた罰を受けるだろう)
ふと、意識が隣の部屋に向く。
壁一枚隔てた向こうで、同じように夜を過ごしていると思うだけで、胸が落ち着かなくなる。
「……ルート様は、もう寝たかな」
つい、そんな言葉が自然と漏れた。
密室の倉庫で、冷たくなった手を握り、あたためてくれたこと。
あの、真剣で優しい瞳。
「……うーん」
思い出すと、なんだか胸の奥がうずうずと、変な感じがする。
私は、前世でも恋人がいなかった。二十代前半で過労死した私は、とにかく働きまくっていたのだ。それでも、大好きな漫画を読む時間だけは確保して、寝る前にこの話を読んで……そのまま死んだ(のだと思う)。
今の私は、ヒロインらしい恵まれた見た目をしている。美しい肌、大きな瞳、完璧なスタイル……最高。
両親に虐げられていることもなく、我儘な妹もいない。幸せな伯爵令嬢だった。
この漫画のタイトルは覚えていないし、最初のほうしか読めなかったけれど、前世の記憶を思い出し、ヒロインに転生できたと気づいた私は、正直かなり浮かれていた。
どこか他人事のように、読者気分で、ルート様とライナ様の浮気や、その後起きるであろうざまぁ、そして私が本当に結ばれる(と思っていた)銀髪のヒーローのことばかりを考えていた。
だって、ルート様とは、別れると思っていたから。
好きになってはいけないし、好きになっても傷つくだけだと。
でも……。
浮気は誤解だとわかってから、私は三人で過ごす時間がとても楽しい。
ルート様はきっと、ライナ様の秘密がバレないよう、あえて私に壁を作っていたんだ。
だから、その壁がなくなった今、信じられないくらい、優しく甘い視線を私に向けるようになった。
「……政略的な婚約だけど、ルート様って私のことどう思ってるんだろう?」
ルート様は真面目で誠実な人。だから、婚約者がいるのに他の女性を愛することはなさそうだ。
「私はこのまま、ルート様を好きになって……いいんだよね?」
口に出してみたら、自分でも驚くほどドキドキした。
私は、〝読者〟ではない。
この世界で実際に生きている、一人の人間だ。
それでも心配になる。だって、この世界には〝銀髪の正ヒーロー〟がいるはずだから。
彼に出会った瞬間、運命の歯車が動き出したりして、突然展開が変わったりしないよね?
もし、私が銀髪のヒーローと結ばれる運命だったら、ルート様はどうなるんだろう?
ライナ様は男だし、二人が結ばれることはあり得ないと、今ではよくわかる。
「ルート様がバッドエンドになるのは、嫌だな――」
そんなことを想像したら、胸がぎゅっと痛くなった。
そのとき。
「――マレーネ」
扉がノックされるのと同時に、ルート様の声がした。
「は、はい……っ!」
え、ルート様!? こんな時間に、どうしたの!?
思わず声が裏返る。
彼がこんな時間に訪ねてくるのは、初めてだ。
「少し、いいだろうか」
「ど、どうぞ……!」
慌ててベッドから起き上がり、手櫛で髪を整える。
「こんな時間に、すまない。まだ起きていただろうか」
夜着姿で現れたルート様は、昼間よりも少しだけ無防備で、やわらかい雰囲気をまとっていた。
なんだ、この破壊力は……!!?
市井の格好をしていたときとも違う。
胸元が緩く、鎖骨と胸筋が少し見えて、何とも言えない色気を醸し出している。
ルート様のこんな姿、見たことがない……。
「はい、はい! この通り! 私は元気いっぱいです!」
「そうか……」
動揺のあまり、起きていたことを過剰にアピールしてしまった。
けれどルート様の冷静な返しに、急に恥ずかしさを覚える。
「あ、どうぞ。お入りください」
「え……」
「?」
それでつい、彼を部屋へ招き入れたけど、一瞬変な反応をされた。
「いや。そうさせてもらうよ」
……あ。そうか。こんな時間に男女が私室で二人きりって……もしかして、まずかった?
今さらそう思ったけれど、ルート様は既に扉を閉めて室内に足を踏み入れていた。
大丈夫だよね? ルート様は紳士だし、私たちは婚約しているし……!
「それで、どうかしましたか?」
ルート様をソファに座らせ、私はその向かいに座る。
彼に限って何もないとは思うけど、これで一応距離がある。
「……何かあったわけではないのだが……少し話をしたくて」
「話?」
「普段は殿下が一緒だから、二人きりで話す時間がないだろう?」
「……そうですね」
確かに、婚約しているというのに、私たちは二人きりで話をしたことがほとんどない。
ルート様は常にライナ様のそばにいたから。仕事が忙しかったから。
「殿下の側付き侍女になって、何か困っていることはないだろうか?」
「いいえ、とても楽しいですよ」
ライナ様には時々戸惑うこともあるけれど、あの王女(王子)様のこともだいぶわかってきた。
それにしても、わざわざ訪ねてきてそんな心配をしてくれるなんて、ルート様は優しいのね。
前世でもこんな上司がいたら、過労死なんかしなかっただろうな。
「しかし、以前より自由にできる時間が減っただろう? 何か……欲しいものとか、行きたいところがあるのでは」
「いいえ、先日外出もできましたし、欲しいものも特にありませんよ」
しいて言うなら、異世界系少女漫画が読みたい。
でも、さすがにそれは無理だとわかっている。
「では、マレーネの好きなものはなんだ? 趣味は……、休みの日は、何をして過ごしている?」
「えーっと……」
なんだろう、これ。
なんか、お見合いのような会話だ。
「本を読むのが好きです。特に、王子様やお姫様が出てくるような、恋愛ものが」
「なるほど……」
メモを取りそうな勢いで、熱心に聞いているルート様。
「できれば悪役令嬢だとか乙女ゲーム転生系のものがあると嬉しいんですけど」
「え?」
「あ、いえ。こっちの話です」
つい心の声を漏らしてしまった。
メタ発言は駄目よ。
次回、ルート視点です!




