17.甘いお菓子
さっきの一件の余韻がまだ胸に残ったまま、私たちは通りを歩いていた。
人通りの多い大通りで、行き交う人々の声や店先から漂ってくる香ばしい匂いが混ざり合う。
「少し休憩しないか」
ふいに、ライナ様がそんなことを言った。
「いいですね。あ、あの屋台……」
甘い香りに誘われて視線を向けると、焼き菓子らしきものが並んでいるのが目に入った。
焼き立ての、バターやチョコレートのいい匂いが飛んでくる。
でも、王子殿下に屋台のお店で食事させるなんて、無礼だろうか?
「それではあの店にしましょう」
そう思ったけれど、ルート様が迷いなく頷いてくれた。
「よろしいのですか?」
「ええ。いいですよね?」
「もちろん、マレーネの行きたい店に行こう」
ライナ様も、快諾してくれる。
普段は少し強引なところもある王子様なのに、こういうところは優しい方だ。
私はチョコ系のものにしよう。そんなことを考えながら、屋台に向かっていたそのとき。
「……あ!」
「?」
不意に、横から声がした。
明らかに、私を見て大きな声を上げたように感じた。
知り合い? そう思って視線を向けると、そこには一人の男性が立っていた。
大柄で、深くフードを被っている。
騎士であるルート様よりも大きくて、体格がいい。
顔はよく見えないけれど、フードの隙間から、銀色の前髪がちらりと見えた。
……銀髪?
街の中に溶け込むような市井の服装なのに、なぜか目を引く。
気配が浮いているというか……隠しきれないオーラがあるような……。
「……失礼」
一瞬だけ、紫色の瞳と目が合った。ほんの一瞬。
けれど私が首を傾げると、その人は何かを言いかけたように唇を動かし――さっと目を逸らすと、一言だけ言って去っていった。
……誰だろう?
足を止めたまま、無意識にその背中を目で追ってしまう。
見知らぬ人、のはず。
向こうも何も言わなかったし。
「マレーネ、知り合いか?」
低い声で、ライナ様が聞いてきた。
「……いいえ」
私はそう答えながら、小さく首を横に振った。知らない人だ。
でも、なんとなく……引っかかる。
なんか……漫画でいうところの、重要なキャラ感がすごかった気が……。
根拠はない。
でも、なんとなく見たことがあるような気が……しなくもない。
「銀髪……って、まさか……」
私には、一人だけ、思い当たる人物がいる。
まだ出てきていない、〝銀髪のヒーロー〟だ。
でも、まさかね?
この世界で銀色の髪の人は、彼だけではない。よく見る髪色だ。
それに、もし彼が漫画の正ヒーローなら、こんな、なんでもないところで出てくるわけがない。
正ヒーローとヒロインが、こんなに色気もなければ運命的でもない出会い方をする漫画、見たことがない。
今日出会うなら、さっき輩に絡まれたときに出てきただろうし、なんならもっと大きなイベントが起きるはず。
「……なんでもありません! 行きましょうか、お腹が空きましたよね」
「そうだな」
だから気にしないことにして、私は再び歩き出した。
――その背後で。
「……」
人混みの向こうから、銀髪の男がもう一度だけ、こちらを振り返っていたことを――私は気づきもしなかった。
*
屋台の前に並ぶと、甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。
焼き立てのお菓子がずらりと並んでいて、どれもこれも美味しそう。
「これにします」
私は迷わず、濃い色をしたチョコケーキ……ガトーショコラを指さした。
切り分けられた断面はしっとりとしていて、見ただけで口の中が甘くなる。
「はいよ」
店主が、それを軽く紙で包んで渡してくれた。たまらず、すぐに一口いただく。
「……っん!」
思わず、息が漏れた。
濃厚なのに重すぎず、口の中でなめらかにほどけていく。
ほろ苦さと甘さのバランスが絶妙で、後味にほんのりカカオの香りが残る。
「美味しい~!!」
気づけば、自然と頬が緩んでいた。
ああ……背徳の味がする……。
前世で、仕事帰りによく甘いチョコ菓子を買って食べたことを思い出す。
「マレーネも、そんな顔するんだな」
「し、失礼しました……!」
はっとして視線を上げると、ライナ様が柑橘の皮が練り込まれたバターケーキを手にしたまま、小さく笑っていた。
「いいよ。口に合ったようで何よりだ」
そう言いながら、ご自身もバターケーキを一口食べ、「うん、美味い」と満足げに呟いた。
「甘いもの、好きなんだな」
「はい。こういうのは、特に」
ライナ様の後ろでは、ルート様がナッツと蜂蜜の焼きタルトを手にして、こちらを見ていた。
ケーキを手に持ってかじりつくなんて、こっちの世界では初めてだ。
貴族はみんな、上品なお皿の上で、フォークを使ってケーキを食べる。
こんな、食べ歩きのようなことは、普通しない。
……漫画の中ではよく見たけれど。
でも、前世を思い出した今の私には、こういうほうが気楽でいい。
「それにしても、本当に美味しそうに食べるんだな」
「え?」
そう言ったルート様の視線が、私に向いている。
しかも、なんだかとても嬉しそう。
「見ているこっちまで、満たされる」
「そ、そんな……」
言われて、今さら自分が夢中で食べていたことに気づく。
もしかして、少しはしたなかった?
貴族令嬢として、無作法すぎた?
恥ずかしくなって、次の一口は小さめにかじった。
「遠慮しなくていい。俺たちは今、市井の者なのだから」
「そうそう」
「……ありがとうございます」
ルート様もライナ様も、そう言って笑ってくれた。
でも、なぜか二人の視線は私から外れない。
……なんで二人とも、そんなに嬉しそうなの?
不思議に思いながらも、やっぱり私も楽しいのだった。
銀髪の男はもちろんあの人です……!!




