9 旅籠での依頼
小鬼退治をした村を出て数日。
宿場をいくつか経由して、禍主の情報を探したりもしたが、めぼしい情報もなく、今日に至った。
途中の宿場では妖絡みの問題を解決して、路銀を稼いでいる。
旅をする以上、金はいくらあっても困らない。
その分、重くなるけどな。
食事をしたり、宿に泊まったりするのにも金は必要だし、そんなに貯まるものでもない。
んなことを考えているうちに、次の宿場が見えてきた。
そこまで広くない宿場だが、大通りの石畳沿いには店が並んでいる。露店からは醤油や味噌なんかの匂いが鼻腔をくすぐる。
美味そうではあるけど、陽も傾いてきているし、宿を探すのが先決だな。
「のう、シン」
隣を歩いているセツナが話しかけてきた。
その視線は俺ではなく、立ち並ぶ店の一つに向いている。
「あそこに行こう、シン」
そう言って、俺の手を引っ張る。
連れて行かれた店の暖簾には「酒」の文字が大きく書いてある。
「おい」
「どんな酒があるかのう」
瞳をキラキラとさせて、セツナが呟く。
「おい」
「ふふふ。旨い酒が妾を待っておるぞ」
疲れなど吹き飛んだように、その場で小躍りしそうな雰囲気まであるけど、酒を買う気はない。
セツナには悪いけどな。
「買わないぞ?」
「…………え?」
そんな絶望しなくてもいいのに。
「酒は買わない」
「…………なにゆえ?」
「重いし、荷物になるだろ。それに金がない。買いたくても買えないんだよ」
実のところ、買えないわけではない。でも、ここで甘やかすと調子に乗るのは目に見えている。
ちなみに、セツナが持っていた金は既に尽きている。俺がまだ妖を祓えるほどの力がなく、セツナに鍛えてもらっていた時の宿代や食事代に消えていった。
なので、彼女には鍛えてもらった以上の借りがあるわけだけど、それはそれだ。
「……一升だけでいいんじゃよ?」
「駄目だって」
そんな泣きそうな顔をするなよ。
「この前の小鬼退治で手伝ってやった礼は?」
「前の宿場で高い酒を飲んだだろうが」
今度はしゅんとしてしまった。
「……分かったよ。でも宿で一杯だけだからな」
「……仕方ないのう」
俯いてとぼとぼと歩くセツナを連れて、旅籠を探すことにする。
正直、そこまで大きな旅籠である必要はない。
一本入った通りで小さな旅籠を見つけたので、そこに決める。
「ごめんください」
戸をがらりと開け、声をかけると、奥からぱたぱたと女将さんがやってきた。
二十代半ばくらいだろうか。器量も良く、ざっくりとまとめた髪と、袖を捲った格好が、いかにも働き者という印象を与える。
「いらっしゃい。お泊まりですか?」
「ああ。二人で一泊だ」
セツナは姿を視えなくできる。そうすれば一人分の宿代は浮くのだが……セツナが酒を飲んで気が抜けた時なんかに目撃されると、追加料金で済めば良い方だ。
なので、素直に二人分で払うようにしている。
「お食事は?」
「頼もう」
「はあい。部屋は一番奥を使ってくださいね」
女将さんが廊下の奥に目を向ける。しかし、一瞬俺の刀に視線が移ったのを感じた。
何かあるのだろうか。
まあ、いいか。用があれば、女将さんから声をかけるだろう。
女将さんから部屋の鍵を預かる。
「ありがとう。ほら、セツナ、ふてくされてないで行くぞ」
「だって……」
いまだむくれているセツナを引っ張って廊下を進んで、部屋に入る。
荷物を置き、まずは風呂に入ることにする。上がる頃にはちょうど夕飯時になっているだろう。
「セツナはどうする?」
「入るわい」
ぷんぷんとしながらもセツナはついてきた。
脱衣場で服を脱ぎ、浴室で身体を洗ってから、湯船に浸かる。
たったそれだけだけど、長距離を歩いてきた身には湯が心地よい。
女湯からも「ふぃ~」というなんとも気の抜けた声が聞こえてきて、思わず苦笑した。
少しは機嫌が直ってくれたらいいんだけど。
身体が温まり、疲れも取れた気がする。
長湯をしてもしょうがないので、さっさと上がる。
部屋に戻ってしばらくすると、食事の準備ができたのか、女将さんがやってきた。
「あの……お尋ねしてもよろしいですか?」
なんとも言い出しにくそうに話す。
「ああ」
「ありがとうございます。ひょっとして、退治人様でいらっしゃいますか?」
「……なんで分かった?」
少しばかり警戒してしまう。
「いえ、その若さで刀を差していて、衛士様ではなさそうなので。前にも退治人様に会ったことがあるんです」
客商売をしていれば、そういう客の特徴は覚えているものか。
確かに刀を持ち歩く者はそう多くないしな。
「それで、俺が退治人だったら、何かあるのか?」
「ご相談がありまして……」
女将さんが困ったような表情を浮かべる。
「相談?」
「はい。七つになる娘が今、熱を出して寝てるんですけどね。……寝てる時に、うわ言を言うんですよ。『窓から、変な影が覗いてる』って」
変な影、ね。
曇った顔で女将さんは続ける。
「最初は熱にうなされているだけかとも思ったんですけど、何度も言うもんで……。怖くなって、窓の外を見たんですけど、何もないんです。それでも娘は『そこにいる』って聞かなくて……」
女将さんの娘だけが見えて、女将さんには見えないということか。
なんとも妖っぽい感じがするな。
「そいつをどうにかしてほしいってことか?」
そう尋ねると、女将さんは頷いた。
不審者であれば衛士に突き出せばいいし、本当に妖であれば祓えばいい。
特に断る理由もない。女将さんに報酬の話をする。
「それくらいでしたら、お支払いできます。どうか、よろしくお願いします」
「承った。詳しい話を聞かせてほしい」
女将さんが言うには、夜が更けた頃、娘が寝ている部屋の窓から人影が覗いてくるらしい。
その部屋は旅籠の裏手で、薄暗い裏通りに面している。毎日のように来ると言う。雨の日でもお構いなしだそうだ。
娘の熱もなかなか下がらないらしい。これも関係があるかもしれない。
「じゃあ、とりあえず夕食を摂ってから張り込みでもしてみよう」
「ではお食事をお持ちしますね」
女将さんが一旦退室しようとしたので、引き止める。
「酒を一升ほど頼めるか? さっきの依頼料から引いてくれて構わない」
「お酒ですね」
出ていった女将さんと入れ替わるようにセツナが戻ってきた。
長くて白い髪を手ぬぐいで器用にまとめている。
「随分と長かったな」
「酒を買うてくれぬから、その代わりじゃ」
それは代わりになるのか?
よく分からないが、急遽仕事が入ったことをセツナに伝える。
「そうか。好きにするといい」
どこか投げやりな感じだ。
「……依頼料が入るから、酒を一升買ったんだけどな」
「それを早う言わぬか。優しいところもあるではないか、シンよ。そういうことであれば、妾も依頼を手伝ったやろうぞ」
態度がころっと変わった。
「現金な奴だな」
ともあれセツナが手伝ってくれるなら話は早いだろう。
俺は女将さんから聞いた話をセツナに伝える。
その後、女将さんが食事と酒一升を運んできた。
依頼の前金からはしっかりと酒代が引かれていた。
◆
夜。
外に出ると、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
宿場の灯りはところどころ点いているが、人通りは少なく、代わりに虫の声だけが澄んだ空気の中に響いている。
旅籠の裏手は一段と薄暗い。月明かりがかろうじて照らすだけだ。
少し離れたところから、旅籠の様子を見る。
黒い影とやらはほぼ毎日来るとのことだったので、今日も来るだろう。
そう考えつつ待つことしばらく。
今日は来ないのかな、と思い始めた頃、ふと空気が変わった。
背筋がぞくりとするとでもいうのか。
旅籠に目を向けると、確かにそこには黒い影がいる。
人の形をしたそれは、旅籠の窓から中を覗いているように見える。
「ふむ。目的は女将の方じゃな」
セツナが呟く。
俺は黒い影から視線を逸らさずに、セツナに尋ねる。
「なんで分かるんだ?」
「あれはのう、人の情念が妖化したものじゃ。これは……恋慕かの? これだから人間は面白い」
セツナがくくっと喉の奥で笑う。
「あのなぁ、面白がってる場合じゃないって。女将さんが困ってるんだから。あれを祓えばいいのか?」
「それも悪くはないが、同じことが繰り返されるじゃろうな。妖化するほどの情念を持った、いわば大元を叩かねばなるまい」
根っこを絶たなければ、また似たようなものが生まれる、ということか。
「なるほどな。恋慕とか言っていたな。だったら、女将さんにもう一度話を聞かないといけないな」
二人で頷き合い、一度旅籠に戻る。
女将さんは娘の部屋にいると言っていたので、そこに向かう。
彼女は娘の看病をしながら、不安そうに窓から外を見ている。
「あ、退治人様。今も娘がうなされて……」
「女将さん、あんたに好意を寄せる男に心当たりはないか?」
一瞬、きょとんとした表情になる女将さん。
だが、思い当たることがあるようだ。
「少し前から、言い寄ってくる男性がいます。娘もまだ小さいですし、やんわりと断ってはいたのですが……」
「ふむ、そいつじゃろうな。そやつの居所は分かるか?」
珍しくセツナがやる気だ。
酒一升を買ってあげたのがそんなに効いているのか。やっぱり解決は早そうだ。
セツナが女将さんから男の居所を聞き出す。
「さあ、行くぞ、シン」
「ああ」
セツナが得た情報を共有し、目的地へ向かうことにする。
この旅籠からそう遠くない。
向かう途中、薄茶色の髪の男と小柄な少女の二人組とすれ違う。
なんだか俺の方に視線を寄越した気がしたけど、今はそれどころではない。
俺達は犯人と思われる男のもとに急いだ。




