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半妖少女とゆく禍主退治の旅  作者: 彼岸茸


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5 小鬼

 夜の冷え込みが、じわじわと体の芯に染みてくる。

 村の外れにある納屋は、藁葺きの屋根がところどころ黒ずみ、板壁には隙間が多い。提灯を掲げると、薄黄色の光が干し草と木箱の影をゆらゆらと揺らした。


「さて、と」


 ただ突っ立っていても、妖がのこのこ出てきてくれるわけじゃない。

 どうせ張り込みをするなら、先に調べられるところは調べておいた方がいい。


 村長の話では、最初に荒らされたのはこの納屋だ。干し魚や干し肉が消え、家畜の餌も減っていたという。

 それでいて、人間の足跡らしいものは見当たらなかった――そこが引っかかる。


 提灯を高く掲げ、土間をぐるりと一周する。

 積まれた米俵、古い農具、藁の山など、どれも見慣れた農村の光景だ。

 けれど、よく目を凝らせば、不自然な点がある。


 土間の隅、固くなった土の上に、爪でつけたような細い線がいくつも刻まれていた。

 腰を落とし、指でなぞってみる。


「……小さいな」


 俺の小指ほどの幅だ。人間の爪にしては鋭く、指も三本のようだ。


 室内だけじゃ分からないか、と立ち上がり、納屋の裏手に回る。

 提灯を地面に向けてかざすと、湿った土に窪みがいくつも並んでいるのが見えた。壁を引っ搔いたような跡もある。


「入ろうとしたのか?」


 やはり人間のものではない。かと言って、山犬や熊の足跡とも違う。

 周囲の垣根にも目をやる。枝の一部が折れ、そこに黒い毛が数本、引っかかっていた。有志の男が見つけられなかったということは、これが普通の人には視えないということだ。


「となると、問題は……どんな妖か、だな」


 明るいうちにもらっておいた粥と塩気の効いた干し肉を納屋に仕掛ける。

 空腹の妖なら、まず食いついてくるはずだ。


 納屋から少し離れた茂みを選んで、身を隠す。

 納屋の戸口がよく見える位置だ。


 提灯を布で覆って光を隠す。

 代わりに月が、薄い雲の向こうから地面を照らしていた。


 刀の柄に手を添えたまま、じっと息を潜める。

 風が草を揺らす音だけが耳に入る。


 時間の感覚が薄れていく。

 何の動きもなくうとうとしかけた頃、納屋の方から物音が聞こえた。


 最初は風で揺れた戸板の音かと思った。


 ぎ……と、ほんの僅かに、戸が動く。

 戸の隙間から、二つの黒い影がぬるりと滑り込んだ。


 身長は人間の子どもとそう変わらない。だが、背筋を丸め、ゆっくりとした足取りで進む姿には、子どもの無邪気さは欠片もなかった。

 足元は裸足で三本指だ。納屋の裏にあった爪痕に一致する。


 黒ずんだ皮膚は毛とも鱗ともつかないざらついた質感だ。

 腕はやけに長く、指の先には鉤爪のようなものが光っている。顔の中央のぎょろりとした目が、粥に向いていた。口からは小さく尖った歯が不規則に生えている。


「……小鬼か」


 あれだけの痕跡を残しておきながら、姿を見せればこの程度――だが、油断はできない。小鬼は群れる性質がある。今見えている二体だけとは限らない。


 先に入った一体が、粥の椀に顔を突っ込む。

 もう一体は皿の周りをうろうろしながら、周囲を警戒しているようだった。鼻先をひくつかせ、何度か戸の方へ視線を向ける。


 ――今だ。


 俺は体勢を低く保ったまま、茂みから飛び出した。


 土を蹴る。

 納屋の中に踏み込むと同時に、鞘から刀を一気に抜いた。


「――っ!」


 粥を啜っていた方の小鬼が、驚いたように顔を上げる。その喉元めがけて、刃を滑らせた。

 骨を断つ手応えとともに、小鬼の首が胴体から落ちる。切り口から黒い靄が噴いたと思うと、頭も首から下も黒い靄となって消えた。


 粥の椀だけがぽとりと地面に落ち、中身が散らばった。


 残った一匹が歯を剥き出しにして、俺を威嚇する。しかし、次の瞬間には背を向け、外へ向かって走り出した。


 ぎいい、と戸が勢いよく開く。

 小鬼は振り返りざま、ぎしゃぎしゃと歯を鳴らして威嚇の声を上げると、そのまま森の方へ駆け出した。


「逃がすか!」


 叫ぶより先に体が動いていた。

 刀を鞘に納め、俺も納屋を飛び出す。


 夜目に慣れた視界の中で、小鬼の黒い背がちらちらと揺れる。


 森の中は、昼間よりもずっと足場が見えにくい。提灯が激しく揺れて視界が悪い中、小鬼を追いかける。

 落ち葉に隠れた根っこに足を取られそうになりながらも、小鬼との距離を縮めようとする。


 あと少し――そう思ったところで、不意に前方から人の影が飛び出してきた。


「おい、てめえ!」


 怒鳴り声が聞こえ、思わず足を止めてしまった。

 その一瞬の隙に、小鬼の姿は木々の向こうに消えていく。


「邪魔だ!」


 振り返ると、昼間に村の入口で突っかかってきた男が、息を荒げて立っていた。

 手には、農具を改造したような粗末な槍を握っている。


「お前はお呼びじゃねえ。俺のシマで好き勝手するんじゃねえよ」


 吐き捨てるような声音だ。

 この男はどうやら本気でこの村を守るつもりらしい。


「……そうか」


 昼間のやり取りを思い出せば、俺の邪魔をすることも予想できたが、まさかここで来るとはな。

 喉の奥まで出かかった罵りの言葉を、何とか飲み込む。

 この場で感情を爆発させても、状況が良くなるわけじゃない。


「お前じゃどうしようもないから、俺が頼られたんだ。邪魔をするな」


 できるだけ冷静な声で告げる。

 だが、その言葉が火に油を注いだのか、男の顔が真っ赤になった。


「なんだと……?」


 槍の穂先がぎらりと月明かりを弾いた。

 次の瞬間、男は短く叫びながら突っ込んでくる。


 溜め息が出そうになる。

 妖を追っている最中に、人間とやり合う羽目になるとは。


「悪いな。急いでるんだ」


 踏み込みを半歩だけずらし、槍の穂先を紙一重でかわす。

 男の懐に滑り込むと、刀の腹で槍の柄を叩き落とした。


 木の棒が地面に転がるよりも早く、柄頭で男の鳩尾を突く。

 ぐえ、と情けない声を上げて、男がその場に膝をついた。


「ぐっ……」

「死にはしない」


 振り返らずに、小鬼が消えた方向に進む。

 既にその姿を見失ってしまったけど、痕跡があるはずだ。あまり知能も高そうには見えなかった。


 提灯で周囲を照らすと、木の枝に引っかかった黒い毛を見つけた。さっきの小鬼のものかは分からない。

 足元には、三本指の足跡があった。これを追っていけば、見つけられるかもしれない。


 有志の男がいなければ、もっとすんなりと行っていたはずだ。

 まあ言っても仕方ない。


 足跡を辿り、俺は森の奥へと急いだ。


     ◆


 やがて、木々の密度が急に薄くなった。

 息を整えながら足を止めると、目の前には小さな崖のような地形が口を開けている。


 斜面の下、岩肌が露出した一角に、ぽっかりと黒い穴があった。

 決して広いとは言えないけど、平均的な成人男性が通れるくらいの広さだ。奥からはひやりとした気配が流れてくる。


「……洞窟か」


 周囲の地面には、三本指の足跡がいくつも刻まれていた。

 一つ、二つ――数え始めたところで、すぐに諦める。あまりにも多すぎた。


 さっきの一体だけじゃない。

 納屋の周りで見た数とも合わない。ここを出入りしている小鬼は、軽く十を超えるだろう。


「群れか……」


 思わず、独り言が漏れる。


 一匹二匹なら、どうとでもなる。

 だが、これだけ出入りの跡があるとなると、話は変わってくる。


 村に戻って報せる、という選択肢も頭をよぎった。


 だが、そんなことをしたらセツナが爆笑するだろう。それはなんだか腹立たしい。

 それに、セツナにはもっと危ない妖の群れに置き去りにされたこともある。あの時は最終的にセツナに助けてもらったけど、小鬼程度なら問題ない。

 俺だって成長している。


 時間を掛ければ掛けるだけ、村への危険が増すことにもなる。

 だったら、今ここで退治しておくに越したことはない。本当に危険だと判断したら、その時は撤退しよう。


 俺は刀の柄を握り直した。


「ふう……行くか」


 洞窟の入口の高さと幅を一度だけ確認する。

 中で刀を軽く振るうくらいの余裕はありそうだ。


 洞窟へゆっくりと足を踏み入れる。

 奥からは風が吹いてこない。ということは、奥は行き止まりになっているということだ。

 へまをしなければ、小鬼を逃がすこともないだろう。


 月明かりが差し込むこともないが、セツナに渡された提灯の灯りを頼りに進む。

 彼女の狐火による灯りなので消える心配は要らない。


 一度立ち止まり、息を静かに整える。


「……よし」


 小さく呟き、俺は洞窟の奥へ歩を進めた。

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