29 緋色の刀
橙の狐火が迫ってくる。
禍主を斬ろうとして、逆に刀が折れた。
一瞬呆然としたせいで、回避が間に合わない。
だが、俺は目を逸らさない。
家族を焼いた火と同じものをキッと睨みつける。
ゆっくり迫ってきているように見えるけど、実際はそうではないのだろう。
――燃やされる。
そう思った時、狐火は一際強く輝き、消失した。
何が起こったのか、周囲を見渡す。
セツナが右手を俺の方に向けてかざしていた。
自らの狐火で、禍主のそれを相殺したようだ。
「手を出すな、セツナ」
禍主が射抜くような視線をセツナに向ける。
しかし、セツナは軽く答える。
「シンを殺させるわけにはいかぬでな」
「邪魔立てするな」
「なに、この程度は問題なかろうよ」
何か裏がありそうな会話をしている。
しかし、今は生き延びるのが先決だ。
頼みの綱だった妖刀が折れてしまい、禍主に対抗する手段がなくなったのは痛い。
「シンよ。屋敷の奥に行け」
セツナが禍主に目を向けたまま、俺に話しかける。
「……そこに何があるんだ?」
「行けば分かろう」
セツナがこの局面でいい加減なことを言うことはないだろう。
「行かせると思うてか?」
禍主が狐火を飛ばしてくる。
その狐火をセツナは全て相殺した。
「シン、早う行け」
セツナと禍主が対峙する。
互いに狐火を使い、顔も容姿もよく似た二人だ。
それに旧知のような話し方も気になる。
……今は、セツナの言う通り、アマチ家の奥に行くべきだ。
折れた妖刀の柄を捨て、踵を返す。
狐火の余波で、俺の家には火がついている。少しずつ火が回り始めている。
早く行かないと、中で燃え死んでしまう。
だが、行かなければここで禍主に殺されるだろう。
いくらセツナが抑えてくれようと、禍主が他の妖をけしかけてきたら、打つ手がなくなる。
「ちっ、あやつらを殺せ」
背後から禍主の声が聞こえる。
禍主に従う妖に命令を下したのだろう。見える範囲にはいなかった。それに禍主の気配が大きく、他の妖の存在にも気づけなかった。
さっきまでそいつらを使わなかったのは、禍主自身の手で俺の息の根を止めるためか。
塀の向こうや屋根の上から何体もの妖が姿を現す。
その一部はセツナが狐火で祓ったが、全てというわけにはいかない。
迷っている暇などないな。
意を決して、燃える家に突入する。
「――あたしも行くわ」
屋根から飛び降りて俺の進路を塞いだ妖を、ルカがすかさず二刀で斬り祓い、そう言った。
「すまん、助かる」
玄関付近は激しく燃えていたが、そこから先はまだ燃えていない。
それも時間の問題だろうけど。
セツナが討ち漏らした妖や、家の中にいた妖の攻撃をかいくぐり、ルカの助けもあって一番奥の部屋に辿り着く。
襖を勢いよく開け放つ。
セツナは行けば分かると言った。
室内をぐるりと見て、床の間に自然と視線が吸い寄せられた。
そこには一振りの刀が飾られていた。
たぶん、あれのことだ。
近づいて手に取ってみると、妙に手に馴染む。
鞘から引き抜くと、緋色を帯びた刀身が現れた。
『奥の刀には触れるな』
ふと父さんが生前に言っていた言葉を思い出す。
あれはこの刀のことだとぴんと来る。
そしてもう一つ思い出したことがある。
――緋鉄。
旅を始めた時に、セツナが言っていた刀の素材だ。
妖気を強く浴び続けた金属が変質したもので、妖を斬るのにこれ以上のものはない、と。
「セツナ様が言っていたのはその刀ね」
ルカが俺の後ろから緋色の刀を覗き込む。
ルカの髪が少し俺にかかり、くすぐったい。
不意に妖の気配を感じ、緋色の刀を完全に抜刀する。
「ルカ、しゃがめ!」
そのままルカの背後に迫っていた、蟷螂みたいな妖を両断する。
手応えは軽かった。
しかし、妖をしっかりと祓えている。
さっきまで使っていた刀よりも格段に優れたものなのだと分かる。
重いのに、しっくりくる。
これなら禍主に届く。
――届かせる。
玄関の方を見やる。火の手がどんどんこちら側に迫っている。
煙も濃くなってきている。
これ以上、この場に居続けるのは危険だ。
セツナのことも心配だ。彼女が強いのは十分に知っているけど、万が一ということもある。
「戻ろう」
ルカが頷く。
刀を鞘に戻し、鞘を腰に差した。
燃え上がっている玄関から出るのは現実的じゃない。
なので、この部屋の窓を蹴破って外に出た。
すっと空気が冷えたのを感じる。
妖は家の外にもいる。
禍主の妖気で狂暴化し、彼女に従う妖達だ。
緋色の刀を抜き、そいつらを斬りながら玄関先を目指す。
この刀、本当に使いやすい。
小妖であれば、本当にあっさりと斬ることができる。
「シン、上!」
ルカの言葉で上を見ると、燃えた藁が屋根から落ちてきている。
前転して回避する。
背後でどさっという音が聞こえ、熱気が押し寄せた。
すぐに体勢を立て直し、再び走る。
玄関先では、セツナと禍主が睨み合っていた。
本来の武器は二人とも鉄扇だけど、それをどちらも手にしていない。
かといって、狐火を飛ばすこともしていない。
「セツナ、待たせた」
走り寄って声をかける。
「手に入れたようじゃな」
セツナはちらりと新しい刀を見て、満足そうに頷いた。
「ああ。この刀は何なんだ?」
「その説明は後じゃ。妾は少しばかり疲れた。あとはシンとルカに任せるよ」
まったく疲れてなさそうな顔で言われてもな。
だけど、セツナが禍主を抑えてくれたから、この刀を手にできたのも事実だ。
それに、禍主を祓うのは俺だ。
それは――それだけは誰にも譲りたくない。
「……忌々しい」
禍主がぽつりと言った。
底冷えするような昏い視線に、背筋に悪寒が走る。
それだけ、禍主がこの刀を危険視しているということか?
だったら、勝機はあるかもしれない。
「殺せ。あやつらを殺せ!」
禍主が声を荒げた。
周囲にいた妖達が一斉に俺に襲い掛かる。
禍主は焦っているらしい。
もはや、自分の手で俺を殺めることに拘りはないらしい。
俺は妖を一体ずつ確実に斬っていく。
近くではルカも同じように妖を屠っている。狼の耳と尾はずっと出ている。
俺達にけしかけた妖に紛れ、禍主は狐火を飛ばしてくる。
妖ごと狐火を斬る。
折れた妖刀とは違い、緋色の刀で斬ると狐火が消失した。
妖気ごと斬るとでもいえばいいだろうか。
本人が来ないのは、俺の刀を警戒してのことか?
いや、あいつには幻術と刃が仕込まれた鉄扇がある。
俺の背後からこっそり狙っている可能性も捨て切れない。
ある妖が飛ばしてきた針が俺の頬を掠めた。
くそ、躱しきれなかったか。
そいつのほうを見ると、すでにルカが首を落とし、黒い靄となって消えるのが見えた。
ルカと組んでから日は浅いけど、意外といい連携ができている気がする。
頬から流れる血を拭い、次の妖を斬る。
そうして、やがて禍主の手駒の妖はいなくなった。
勢いのまま、目の前の禍主に切っ先を向ける。
「次はお前の番だ」
「真に忌々しい刀じゃ」
緋色の刀で禍主に続けざまに斬りかかる。
器用に避ける禍主を攻め立てる。
飛ばしてくる狐火もこの刀があれば怖くない。
俺の猛攻に、ルカが助太刀に入る隙もない。
やがて――
「ちっ――」
禍主の身体が塀にぶつかり、それ以上、下がれなくなる。だが、その言葉に焦りが感じられない。
俺は刀を大上段に振りかぶり、勢いよく袈裟掛けに斬り下ろす。
「――甘いのう」
金の瞳が怪しく笑った。
斬ったはずの禍主の身体は霞のように消える。
「シン! 後ろ!」
ルカに言われるまでもなく、そんなことだろうと思っていた。
俺を確実に殺すためには、俺が禍主を祓ったと確信し、油断した時に狙うのが一番だ。
俺は逆手に持った刀を、脇の下から背後に突き出した。
肉を刺す感触が伝わってくる。
「が――油断したのは……妾、じゃったか……」
俺の首すれすれで、禍主の鉄扇が止まっている。
振り向きざまに刀を抜き、そのまま鉄扇を持つ手を斬り落とした。
今度は、黒い靄となって消えた。
幻術ではなかった。
あるいは幻術を使う余裕もなかったのかもしれないな。
禍主が恨みがましい目で睨んでくる。
きっと、俺も同じような目をしているだろう。
俺は刀を強く握りしめた。




