28 家族の仇
腐って柔らかくなった床に足を取られそうになるのを堪えて外に向かう。
外には禍主がいる――そう直感した。
家族の仇を討つ好機だ。
しかし、さっきまで静かにしていた家の中の妖が俺の邪魔をしてくる。
床の裂け目から伸びた腕に足首を掴まれた。
目を向けると、蛸の足のような触手が絡みついていた。
「ちっ」
舌打ちをして、抜いた刀でその触手を斬る。触手はすぐに黒い靄となり、俺の足は自由になった。
床下の暗がりの奥に怪しく光る複数の目が見えた。
次は天井から落ちてきた毛玉みたいな奴だ。
刀を横に薙いで、毛玉を斬り捨てる。
黒い靄になるのを確認せず、先に進む。
「シン! 一人で突っ走らないで! 危ないわ!」
背後からルカの声が聞こえる。
だけど、今の俺にはそれも雑音にしかならない。
もう少しで、仇を討つことができるんだ。
ここで逃したら、次いつ禍主を見つけられるか分からない。
今、ここであいつを祓わないと……!
禍主の妖気に当てられ、狂暴になっている妖を斬り伏せながら、玄関から飛び出る。
視界に飛び込んできたのは、長い黒髪の少女だ。
金の瞳が笑っているように見える。
セツナに似た風貌。金刺繍が入った黒い着物。
月光に照らされたそいつは、五年前、リンが燃えるのを見下ろしていた少女に間違いない。
確信した瞬間、目の前が真っ赤になった。
「――禍主!」
考える前に身体が動いた。
力強く踏み込み、大上段から刀を振り下ろす。
直後、金属のぶつかる音が鳴り響いた。
俺の刀は禍主の鉄扇によって阻まれていた。
扇の向こうから俺を見る金眼は、忌々しいものでも見るような目つきだ。
なんで、お前がそんな目をするんだ。
お前が俺の家族を殺したんだろう。
そんな思いは言葉にならず、代わりに俺は何度も刀で斬りつけた。
しかし、何度打ち込もうとも禍主には届かない。
「はぁ、はぁ……」
息が上がる。
それでも刀を振るう手を止めない。
「シン! 冷静になって!」
俺の家から飛び出てきたルカだ。隣にはセツナもいる。
「でも! こいつを……!」
――斬らないと!
ルカの制止を無視して、刀を振り続ける。
「いい加減、鬱陶しいのう」
禍主はそう呟くと、彼女の周囲に橙色の火の玉が現れた。
俺は思わず、動きを止めた。
あれは……セツナの狐火と同じものか?
セツナの狐火は小妖であれば、一撃で祓うことができる。
禍主がそれと同等の狐火を使うとすれば、その威力は計り知れない。
人間である俺があれに触れて無事に済むとは思えない。
頭をよぎったのは、炭のようになった両親と橙の炎に包まれたリンだ。
やはり、家族を殺したのはこいつで間違いない。
頭に血が上りかけ、再び踏み出そうとした時、ルカがもう一度叫んだ。
「シン! 避けて!」
声が割れるほどの必死さを感じ、今度はちゃんと俺に届いた。
前に進もうとする身体を無理に止める。
無茶な動きで大腿の筋肉に痛みが走った。
次の瞬間、禍主の狐火が俺に向かって飛んできた。
一つ、二つと刀で弾いていく。
弾けない狐火は身をひねって躱す。
俺が避けた狐火はそのまま、俺の家に着弾して火がついた。
最後の一つを弾き切れず、俺の頬を掠めた。
「ぐ……」
ほんの少し触れただけだ。
たったそれだけで、燃えるような痛みが走る。
これで全身を焼かれた両親とリンはどれだけ苦しかったことか。
「禍主!」
思わず相手の名を叫んでいた。
「その呼び名は好かぬ」
禍主は吐き捨てるように返事をした。俺を射殺さんばかりの視線を向けてくる。
俺がそんな目で見られる筋合いはない。
「ふん。久しいのう、ヤマトの子よ」
ヤマト? 誰だ?
五年前にも俺のことをそう呼んだ気がする。
まあいい。
それが誰であろうと、俺がここでやるべきことは変わらない。
「お前をここで討つ」
「ほう? 大きく出たものよ」
禍主は俺を嘲った。
背後では俺の家についた火が少しずつ強くなっている。
禍主は視線をセツナに向けた。俺に向ける視線よりも数段鋭い。
「久しいのう、セツナ」
「そうじゃな」
この二人、知り合いだったのか。
「お主がそのヤマトの子を鍛えたのか?」
「そうじゃ」
「いまだに人間ごっこを続けているのか」
「存外に面白いものじゃ、人間はのう」
声に険が混じる禍主に対し、セツナは飄々と答えた。
「それも無駄になるがのう。ヤマトの子はここで殺す。五年前に殺しておくべきじゃったが、あの時は力が足りなんだ。他のヤマトの子を殺すのに力を使うてしまったからのう」
それは、両親とリンを殺したから、俺が助かったということなのか?
順番が違えば、俺は死んでいたけど、リンは助かったということか?
「ここで殺すから、同じことじゃな。せっかく延びた命。妾への復讐に使うとは愚かなことじゃ」
「黙れ。お前をここで討つ!」
俺は刀を構え直した。
隣にルカが並ぶ。
「あたしも手伝うわ」
「死ぬかもしれないぞ」
さっきの攻防で、禍主は一筋縄ではいかないことは分かった。
俺はこの五年で退治人として強くなった。それでも俺一人では、禍主には届かないことは痛感した。
俺の復讐にルカを巻き込むのは心苦しい。
しかし、彼女が手伝ってくれたら届くかもしれない。
万が一の時はルカには逃げてもらおう。
ちらりとセツナに目をやる。
「悪いが、妾は手伝えぬ」
理由は分からない。だけど、いつもと違い真剣な表情をしているので、戦えない理由があるのだろう。
まあ、俺がセツナに頼みたいのは戦闘の手伝いではない。
「もし俺が死んだら、ルカを逃がしてやってくれ」
「仕方ないのう。それくらいなら手を貸してやろう」
「シン、死ぬ気なの?」
ルカの問いに俺は首を振る。
もちろん、俺に死ぬ気なんてない。
だけど、禍主は強い。何があるかなんて分からない。
「相談は済んだかのう? ヤマトの子は妾自ら葬ってくれよう」
禍主が口元だけで笑い、鉄扇を握り直した。
彼女の周囲には既に狐火がいくつも浮かんでいる。
「生き残るわよ、シン」
ルカは知り合ったばかりの俺のために、覚悟を決めてくれた。
「ああ。でもいざって時は逃げろよ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
その言葉を最後に、戦闘が再開された。
ルカは狼の耳と尾が出ている。
初手から本気で行くようだ。
手を抜いて勝てるような相手ではないからな。
ルカは二振りの小太刀で、素早く連続して禍主に斬りかかる。
禍主は鉄扇で対応し、時に狐火をルカに向かって飛ばす。
ルカが弾き飛ばされたところに、今度は俺が禍主を狙う。
動きの癖はさっきの攻防で分かった。
狐火の動かし方も。
背後から俺に迫る狐火を刀で弾く。
あらぬ方向に飛んでいった狐火は庭木に当たった。立ち枯れ状態の庭木はすぐに燃え上がった。
禍主は俺の動きに少しだけ目を見張ったが、すぐに次の狐火を飛ばしてくる。
ルカがその隙を突き、禍主を背後から二刀で貫いた。
「な……」
自分の腹部から生えた二振りの小太刀を禍主が見下ろす。
すかさず、俺がその首を刎ねた。
……なんだ、この手応えのなさは?
肉を断った感触がまるでなかった。
「残念じゃのう」
足元に落ちた、禍主の頭が喋った。
こいつ、まだ死んでないのか。
刀を逆手に持ち直し、俺の方を向いて転がっている禍主の頭に突き刺す。
しかし、その直前、霞のように消えた。
「尤も、かような鈍らでは妾を傷つけることは能わぬがな」
声と同時に鉄扇が月光に煌めいた。
なんとか反応したけど、左前腕を斬られた。
扇に刃が仕込んであるのか。
生温い血が腕を伝う。
声のした方を向くと、傷一つない黒い少女が立っていた。
「幻術じゃ」
セツナの助言だ。
幻術……そんなもの、どう対処したらいいんだ?
俺には見分けがつかないぞ。
「任せて」
俺には分からずとも、ルカは分かるようだ。
さすが五感に秀でた半妖だな。
「今見えてるのもまやかし……禍主はそっちの木の手前にいるわ」
俺には何も見えない。
だから、ルカの言葉を信じるしかない。
俺がそっちに向かって駆けると、舌打ちが聞こえた。
しかし、刀を振るった時には別の場所に移動しており、空振りした。
ルカは禍主の居場所を探るのに集中し、俺がルカに教えてもらった場所を斬る。
飛んでくる狐火への対処はもちろん忘れない。
それはルカも同様だ。
禍主は幻術による見せかけの体で襲ってくる。
どうしても見える方に意識が引っ張られてしまう。
それでも、やがて俺の刀が禍主を捉えた。
ガッという鈍い音とともに折れたのは俺の刀だった。
「は……?」
間抜けな声が思わず出た。
この五年間、妖を斬り続けた妖刀が呆気なく折れてしまった。
姿を現した禍主が告げる。
「妾を斬れると思うたか? 言うたであろう? 妾に鈍らは効かぬとな。その顔は実に愉快じゃが、ヤマトの子は死ね」
そして、橙に煌々と輝く狐火が俺に迫ってきた。




