25 チスイクサ
外はすっかり暗くなった。
室内を照らすのは、蝋燭の揺らめく灯りだけだ。
聞こえてくる虫の音は初秋のものだけど、どこか元気がないように感じた。
村長の娘は疲弊した表情で、それでも話をしてくれた。
若いのに、さすがは村長の娘といったところか。
「春の終わり頃でしょうか……数か月ほど前からです」
娘は思い出すように話をする。
「最初に臥せったのは村の老人でした。もうかなりの高齢でしたから、寿命だろうと話していたんです。それまでは元気だったんですけどね」
娘は苦笑した。痛ましい笑みだ。
ひょっとしたら、本当に寿命だったのかもしれない。
そんな野暮なことは言わないけど。
「その後、何人か寝込むようになったんです。体の弱い老人や子どもから。熱や咳なんかはないんです。どこか痛いとかも。ただ、弱っていくんです」
妖気に当てられた時の症状だ。
ふと生温い風が吹いて、蝋燭の火を揺らした。
「それから変わったことは?」
俺は先を促した。
俺の隣ではルカが真剣な表情で聞いている。
「はい。いつの間にか、井戸の横に見知らぬ草が生えていました」
「草? 木じゃなくて?」
娘は頷いた。
「綺麗な花を咲かせていました。それはもう、この世のものではないかのような」
「井戸の横の木になってるのと同じ、白い花?」
ルカが問う。
セツナはなにやら考えているような表情だ。さすがにこんな場面で茶化すほど、悪い性格ではない。
「そうです。でも、いつからあるか分からないんです。村の誰も植えた記憶はないし……」
どこからともなくやってきた草ということか。
でも、さっき見たあれは明らかに木だった。
「だんだんと伏せる人が増えるのに合わせて、草はどんどん大きくなりました。今では木みたいになりました」
娘が窓の外に視線を向ける。
月明かりに照らされたそれは、立派な木だ。
いつからかある草がたった数ヶ月で木と呼べるほど成長したということか。
普通じゃないな。
「ふむ。大きすぎて分からなかったが、チスイクサという妖じゃな」
セツナが言葉を挟んだ。聞いたことのない妖の名だ。
「チスイクサ?」
「うむ。綺麗な花を咲かせ、寄ってきた虫の精気を奪う小物じゃ……本来はな」
しかし、そうなると違和感がある。
「妖なら普通の人には視えないんじゃないのか?」
「妾のように人に変化できる妖であれば、素質のない者にも視ることは可能じゃ」
「でも、さっき小物って」
俺から見ても、チスイクサがそれほど強大な妖だとは思えない。
「本来は、と言うたじゃろう? あれはなかなか力を蓄えておるぞ?」
セツナはそう言って、扇でチスイクサを指した。
「人間の精気を吸うようになって、力を増したのじゃろうな。そしてあの白く美しい花で人を呼び寄せ、さらに精気を奪う。そんなところじゃ」
なるほど。
そうやってすくすくと育って、たった数ヶ月で、あそこまで大きくなったということか。
「のう、娘」
村長の娘は自分よりも年下に見えるセツナにそうお呼ばれ、びくっとした。
「は、はい」
「あの木を見に来た余所者にも倒れたものがおるのじゃろう?」
娘はこくりと頷いた。
「少し休んだら、回復しましたけど」
「接触が短かったからそれで済んだのじゃ。じゃが、外に逃げられぬ村人はそうもいかぬ」
娘の顔が青ざめる。
「要するに、放っておけば村人は衰弱死するということだな?」
俺の問いを、セツナは肯定した。
「退治人様なら、あの木を切ることができるんですよね? 実は動ける村人が何度か切り倒そうとはしたんです。でも斧が通らなくて……」
それはそうだろう。
妖が相手なら、通常の刃物は役に立たない。
俺やルカが使っているような妖刀か、あるいは緋鉄という素材から作られた刀じゃないと、妖を斬ることはできない。
「……依頼だったら受け――」
「お願いします!」
食い気味に娘は言った。切実な状況なのだろう。
胸の奥がちくりと痛む。だが同情だけで動けば、俺達も野垂れ死にする。
頭の中で道中の宿代と食費、それに妖相手の危険度をざっと計算した。
「三百両だ。これ以上はまけられない」
質素な村からすればそれなりの出費だろうけど、このまま村がチスイクサに滅ぼされるよりはましだと思う。
それが分かっているのか、村長の娘はそれで承諾した。
「……分かりました。それで村が助かるなら」
これからすぐに祓うのだから、前金と成功報酬に分ける必要もないな。
「早速祓いに行こうと思うけど、その前に聞いておきたいことがある」
チスイクサが人の精気を吸っていたとして、そこまで成長が速くなるものだろうか。
そうだと言われれば、それまでだ。
けれど、もしそこに禍主の影響があるとすれば、異常な成長速度も納得できる。
禍主の妖気は妖を活発にして、時には狂暴化する。
俺は決して、禍主のことを忘れたりしない。
「はい、なんでしょうか?」
「病気が流行り始める前から最近にかけて、怪しい奴を見なかったか?」
禍主が姿を消していたなら、村人には気づかれないだろう。
それでも、村人の中には視える人がいるかもしれないし、禍主が姿を消していなかった可能性もある。
娘は少し考える素振りをしてから、答えた。
「そういえば、黒い着物の女の子を見た人がいたような……。村の子じゃないので、目立っていたみたいで」
――黒い着物の少女。
数年前、燃えるリンを見下ろしていた禍主の姿が鮮明に思い出される。
いや、忘れたことなんてない。
俺は努めて冷静を装う。
「……そいつは何をしていた?」
「あの木をじっと見つめていたとしか聞いていませんけど……」
「最近では、いつ頃の話だ?」
「つい先日だったかと」
禍主がまだアカナ村にいる線が濃厚になった。
俺を殺したがっていたようだから、俺が戻ってくるのを待っているのか?
だったら、行ってやろうじゃないか。
その前に、チスイクサを片付けないとな。
「……ありがとう。じゃああの木を切ってくるよ」
俺は立ち上がり、腰の刀を確認する。
「あたしも行くわ」
ルカも同様に立ち上がる。
「気をつけて行ってまいれ」
セツナはいつも通りだった。
◆
村の広場は月明かりにぼんやりと照らされている。
それぞれの家からはうっすらと蝋燭の灯りが漏れてくるだけだ。
俺とルカはあらためてチスイクサの前に来た。
もはや草じゃないけどな。
チスイクサからは何の反応もない。
妖というだけで、本質的にはただの植物と変わらないのかもしれない。
試しに刀で枝を一つ落としてみる。
やや硬質な感触はあったけど、斬れた。
落ちた枝は地面に着く前に、黒い靄となって消えた。
この現象を見ると、これも妖なんだなと思う。
痛がる様子や悲鳴なんかはない。
本当にただの植物のようだ。
「何度見ても、気味の悪い花ね。綺麗は綺麗なんだけど」
ルカがそう言って、花の一つを手折った。
花はすぐに黒い靄となって消えた。
花のように見えるだけで、花じゃないんだろうな。
「今回は簡単そうだ」
「そうね。でも、村の状況を考えたら放ってはおけないわ」
俺達は互いに頷くと、刀を構えた。
集中して、刀を振るう。
がつんという嫌な手応えとともに、刀は幹の半ばで止まった。
「シン、大丈夫?」
「ああ、俺は問題ないよ」
刀が折れないよう慎重に引き抜く。
チスイクサの反応はやはり何もないけど、斬れた場所からは血のように真っ赤な樹液が漏れてきた。そして、すぐに黒い靄となって空気に溶けた。
もう一度構え直し、今度は刀に呪力を流す。
深呼吸を一つしてから、横一閃に薙ぐ。
すっと刀が通り、斬ったところから上側が黒い靄となって消えた。
少し間を置いて、地面側の残っていた部分も黒い靄となった。
普通の草のように根っこから再生することはなさそうだ。
念のため、ルカにも確認してもらう。
「妖の気配はなくなったわ」
「なら、ひとまずは安心だな」
村の病も少しずつ良くなっていくだろう。
村長の娘に報告して、依頼料を受け取ろう。
◆
村長の家に戻ると、セツナが酒を振る舞われていた。
「……なんでこうなった?」
「セツナ様一人だけずるいですよ」
違う。そうじゃない、ルカ。
酒呑みはこれだから困る。
「案ずるな、シン」
「何も案じてないって……」
「汝が三百両などと吹っかけるからじゃ。家中の金をかき集めても、少し足りなかったようじゃから、残りを酒で払ってもらっただけじゃ」
こっちが働いている間に、こいつは……。
「本当にごめんなさい。お金……あると思ったんです」
村長の娘が頭を下げる。
まあ、こういうこともあるか。
ない袖は振れないし、仕方ない。
セツナがこんななのも今に始まったことじゃない。
「分かった。それでいいから気にするな」
俺は溜め息をついて、金を受け取った。
「代わりに、お父さんの秘蔵のお酒をお出しします! どうせ、しばらくは寝込んで呑めないし」
村長の娘は意外としたたかだった。




