2 家族を殺した者
家族が殺された。
父さんも、母さん、リンも、ぴくりとも動かない。
頭の中がぐちゃぐちゃで、何が起こっているのか分からない。
頭が現実に追いつかない。
どれくらい、そこに突っ立っていたんだろう。
さっきまで昼だったはずなのに、台所の小窓から差し込む光は、もう夕焼け色に変わっていた。
『何かあれば、妾のもとに来るが良い』
セツナがそう言っていた。
さっきの黒い少女、セツナに似ていた気がする。何か関係があるのか。
混乱する頭を無理やり働かせて、行動に移す。
ここに居続ければ、さっきの黒い少女が戻ってくるかもしれない。
そうならないうちに、この場を離れないといけない。
三人の遺体をこのまま放っていくのは、喉が詰まるほどつらい。
でも、もし少女が戻ってきたら、次はきっと俺の番だ。
家族を殺された悲しさと悔しさ、憎しみで胸が張り裂けそうだ。
だけど、丸腰で迎え撃つなんてできるわけがない。俺よりも力が強い父さんでさえ、たぶん抵抗もできないままだった。だったら、俺なんてもっと簡単に殺される。
最後にリンの遺体を見た。自分が今、どんな目をしているのか、想像もつかない。
それ以上見ていたら、動けなくなる気がして、振り返らずに家を飛び出した。
どこに行けばいいのかなんて分からない。
思い返すほど、さっきの黒い少女はセツナに似ていた。
……まさか、本人なんてことはないよな。
いや、きっとそれは違う。これまでにもセツナにちょっとした悪戯をされたことはあるけど、あんな非道な真似をする妖とは思えない。
どちらにせよ、今の俺に行く当てなんてない。
頼れるのはセツナだけだ。
幸い、彼女は大体同じ場所にいる。
昼間、西瓜を冷やしていた川辺だ。
あ、西瓜……セツナに持っていくって約束したのに、できなくなった。
セツナ、怒るかな。
こんな状況なのに、そんなことを考えている自分に気づく。
現実逃避だ。
そうでもしないと、俺自身がおかしくなってしまう。頭の片隅からは、炭みたいになった父さんと母さん、燃えたまま動かないリンの姿が離れないのに。
足が勝手に動く。どこを走ればセツナのもとへ行けるかなんて考えなくても、体が覚えていた。
毎日のように通った道だ。
息を切らしながら走る。足がもつれて、何度か転んだ。膝や手を擦りむいて、血が滲んだ。
やがて、目的の場所に到着した。
空はすっかり暗くなり、虫の声が戻ってきている。生温い風が肌を撫でていった。
「セツナ、セツナ! いるなら出てきてくれ!」
姿は見えない。どこかで休んでいるのかと思った、その時。
「なんじゃ、遅かったのう。妾のことなど忘れて西瓜を食べ尽くしたのかと思うておったが……どうした、酷い顔をしておるぞ?」
背後から声がして、振り返る。
そこに立っていたセツナの顔を見て、息を呑んだ。
さっきの黒い少女と、やっぱりよく似ている。
でも、その表情は禍々しくない。ただ、西瓜を食べ損ねたのが不満だと言わんばかりに、少しむくれているだけだ。
「セツナ……なのか?」
声が掠れている。
「うむ。妾じゃよ」
「お前がやったのか……? いや、でも……」
セツナじゃないと分かっていても、聞かずにはいられなかった。
「何のことか分からぬが、妾はずっとここにいたぞ。……何があったか、話してみよ」
その否定の一言で、胸の奥がほんの少しだけ軽くなる。
しどろもどろになりながら、家に帰ってからのことを説明した。
上手く話せている自信はない。頭の中はいまだにぐちゃぐちゃだ。
それでもセツナは茶々を入れずに、俺の話を聞いてくれた。
「リンを見下ろしてる女がいたんだ。……セツナに似ていた」
「それで、妾ではないかと尋ねたのじゃな。なるほどのう」
セツナは顎に手を当てて、少し目を細める。
「そろそろ、そんな時か。あやつが動き出したのやもしれぬな。妖気を抑えていたのか、この妾が気づかなんだ」
あやつ。
何かを知っているような口ぶりだ。
「あやつって誰なんだ……?」
「禍主じゃ」
意外なほどあっさりと教えてくれた。
聞いたことのない名だ。人の名前ではなく、妖の名だろう。
けれど、そいつが俺の家族を殺した。その事実だけは、すとんと胸の底に落ちた。
父さん。母さん。リン。
さっき見た姿が、鮮明に蘇る。視界が滲んで、セツナの顔もよく見えなくなった。
「何もできなかった……守れなかったんだ……」
両膝をついて、絞り出すように言葉が漏れる。
その頭に、セツナの手がそっと触れた。
「今は泣いても良い」
不意の彼女の優しさに、堰が切れたように涙がこぼれる。
こんなに泣いたのは、きっと初めてだ。
十四にもなって大泣きするなんて、普段なら恥ずかしくて仕方がないけれど、そんなことを考える余裕はない。
どうせ、ここには俺とセツナしかいない。
いつもならからかってくる彼女も、何も言わずに胸を貸してくれていた。
「ごめん、セツナ。ありがとう。みっともないところを見せた」
「案ずるでない。家族を失って、平然としている方が不気味じゃ。妾は妖じゃが、人間の営みのこともよく知っておる」
少しずつ、呼吸が落ち着いてくる。
心の中に疑念や怒りはなおも残るけど、それでもさっきよりは冷静に考えられそうだ。
「……聞いてもいいか?」
「なんじゃ」
「禍主って、何なんだ?」
家族を殺した犯人。その名を聞いた以上、知らないままでいられない。
「当然の疑問じゃな。それに答える前に、汝に問おう」
セツナの真剣な眼差しが、真っ直ぐに俺を射抜く。いつもへらへらしている彼女からは想像もつかない、鋭い表情だ。
「汝には選択肢がある。一つは、家族を殺されたことを心に抱いたまま、逃げて生きる」
セツナが右手の指を一本立てる。続けて、二本目を立てる。
「二つ。今すぐ汝の家に戻り、そこで死ぬか。尤も、禍主がいない可能性もある。汝の話では、最後に靄となって消えたのじゃろう? ならば、既にその場にいないと考えるのが妥当じゃが……僅かでも力が戻れば、汝を殺しに来るじゃろう。今の汝には、あやつに対抗する手立てはない」
言い方は淡々としているのに、言っている内容は酷い。
だが、それが現実だということも分かる。悪意を持った妖を返り討ちにするなんて、今の俺には不可能だ。
三本目の指が立つ。
「三つ。妖を討つための力を手にし、禍主に復讐を果たすか。決して楽な道だと思うな」
口ぶりから察するに、妖を退治することも不可能ではないということか。
それなら、僅かでも希望がある。
セツナの四本目の指が立った。
「四つ。これはあってないようなものじゃが……妾が禍主を討つ。まあ、したくとも出来ぬがな」
「じゃあ、選択肢に入れるなよ。それに、禍主は俺が絶対に倒す」
「良い心掛けじゃ」
そして、五本目の指がすっと伸びる。
「最後に、禍主に降る。……自分で言っておいてなんじゃが、論外じゃな」
そう言って、セツナは肩を竦めた。
確かに話にならない。そんなもの、選択肢として考える余地すらない。
「最後の二つは、一応言葉にしておいただけじゃ。──さあ、汝に問おう、シンよ。汝はどうしたい?」
「俺は……強くなりたい。そして、絶対にあいつを殺す」
逃げるなど以ての外だし、今日俺の命を散らすことに意味はない。
だったら、選ぶ道は一つしかない。
「心意気や良し。ならば、妾が汝を鍛えてやろう」
「それで、禍主ってのはなんなんだ?」
殺すためには、相手のことを知らないといけない。
「簡単に言えば、かつて、このナカツクニを滅ぼそうとした妖じゃ」
「ナカツクニを……?」
「うむ。勇ある者らの働きで阻止できたが、封印することしか出来なんだ。その封印も、弱まってきておるのじゃろう。年月が経てば、封印も劣化するというもの」
封印の仕組みなんて知らない。聞いたこともない話だ。
それでも、封印されているはずの何かが外へ出ようとしている──そんな嫌な想像だけは、やたらとはっきり浮かんだ。
「何かしらの手立てがあるのじゃろうよ。封印されたことのない妾には分からぬが」
セツナはふっと踵を返し、森の奥へ歩き始める。
「ついて参れ」
「どこに行くんだ?」
「妖を斬るには、そのための刃が必要じゃ。今、汝の家に戻るのは危険じゃからな。妾とて、汝を失いたくはないしのう」
家に戻れば、禍主が再び現れるかもしれない。
「さしあたって、近くの宿場まで行ってみよう。運が良ければ、良い刀を売っておるやもしれぬ」
振り返ったセツナの顔は、どこか楽しげでもあった。
その理由は、今の俺には分からない。
でも、今は彼女を信じて、ついていくしかないのだと思った。




