16 泉の蛇女
蛇女が俺に向かって腕を伸ばしてくる。
比喩ではなく、本当に腕が伸びているのだ。伸縮自在ということか。
速い。だが避けられないほどではない。
横に身体をずらすと、蛇女の腕は俺に向かって進路を変える。
そりゃそうだろう。俺だって腕が伸びるなら、相手を捕まえるためにはそうする。
もちろん、掴まれるわけにはいかない。
伸びてきた腕を刀で斬り落とす。
腕は何の苦もなく、切断できた。
これなら、そう苦労せずに倒せると思いかけたけど、気を取り直す。
手応えが軽すぎるのだ。まるで水を斬ったかのような、すかっとした感触だった。
大量の水だと抵抗を感じるだろうが、そうではない。細く垂れる水を斬った感じだ。
その感触は正しかったようで、地面に落ちた蛇女の腕は水となって広がった。
蛇女本体も何の痛痒も感じていないようだ。
こうした理不尽な挙動こそ、妖らしいと言える。
なるほど。身体のどこかにある核みたいなものを斬らないと意味がないのかもしれない。
頭か、首か、人間でいう心臓部分か。心臓が人間と同じ場所にあるとも限らない。
「なに、ぼーっとしてるの! 危ないわよ!」
ルカの言葉にはっとする。
落としたはずの蛇女の腕は再生しており、再び俺に向かって伸びてきていた。
幸い、ルカがすばやい動きでそれを払ってくれたおかげで助かった。
蛇女の対策だけに集中している場合ではない。
戦いながらそれを見抜いていかなければ。
蛇女はしつこく俺を狙ってくる。
俺は前菜で、ルカが主菜ってところか。
それが分かったところで、嬉しくもなんともないけど。
しつこく俺を狙う腕を何度斬り落としても、すぐに再生してしまう。
やはり本体を叩く必要があるな。
だが、近づけない。
蛇女の双腕が俺の邪魔をするうえ、蛇の下半身で滑るように移動するのだ。
これが意外と速い。
にやついた表情がなんとも腹立たしい。
ルカはその速さを武器に蛇女本体に迫っている。
地を駆け、木の幹を足場にする立体的な動きで、蛇女に食らいついている。
何度もその身体を斬りつけているが、効果はなさそうだ。蛇女の身体に切れ目は入るけど、すぐに塞がっている。
俺は攻撃を避けつつ、蛇女の動きを観察する。
蛇女は攻撃を受けても傷にはならないのはこれまで通りだ。
しかし、明確に避ける動作をする時がある。
あれは……やはり、心臓部に核があるのか。
ルカの小太刀がそこを通る軌道の時だけ避けている。
「ルカ! 心臓だ!」
まあ、妖に心臓があるかは疑わしいけど、意味は伝わるだろう。
「分かったわ!」
俺もなんとか、二本の腕をかいくぐり、本体に肉薄したいところだ。
泉の周囲で、俺とルカ、そして蛇女の戦いが続く。
時折、ちらりとセツナの姿が視界に入るが、あの楽しそうな顔は本当にやめてほしい。
こっちは必死だってのに。
「埒が明かないわね」
ルカが攻撃の手を一旦緩めた。
「諦めて喰われることに決めたか?」
蛇女はそう言いながらも、俺を掴もうとする腕を止めない。
「そんなわけないでしょ」
ルカが目を閉じる。集中しているようだ。
その直後、彼女から漏れる妖気が明確に増加した。
変わったのは妖気量だけじゃない。
あれは……狼の耳か? それに尻尾も。
「なんだ、それは?」
蛇女も狼狽えている。
――好機だ。
俺は蛇女に向かって駆け、心臓部に刀を突き出す。
「甘いわ!」
しかし、動きは読まれていたようだ。
背後から忍び寄っていた蛇女の尾に捕まってしまった。
そして、俺の身体を水で少しずつ覆っていく。背中から四肢に向かって水が纏わりつく。
刀で斬ろうにも、その刀を真っ先に覆われ、振るうことができない。
その間に、狼の耳と尾が生えたルカが蛇女本体を攻める。
その動きは先ほどよりも速い。
蛇女は巧みに心臓を守りながら動くが、さっきまでの余裕はなさそうだ。
もちろん、俺への水攻撃も同時進行している。
なんとか水を払い除けようと試みるが、意味をなさない。
いざとなればセツナが助けてくれるだろう。
しかし、そのセツナは俺の様子を見て、大笑いしている。
なんなんだよ、あいつは。俺の味方じゃないのかよ……。
ルカの激しい攻撃が続く中、ついに俺の口と鼻が塞がれてしまった。
長い間、息を止めることはできない。人間である以上、それは仕方のないことだ。
セツナはまだ動かない。なら、活路はあるということだ。
不意に蛇女がにたりと笑い、ルカに話しかける。
「お前の連れが溺れ死ぬが、良いのか?」
そこではっとしたように、ルカが俺の方を見た。
このまま彼女が蛇女への攻撃を続けたら、倒せるかもしれない。
その場合は俺は死んでしまうことになるけど。
しかし、俺が死ぬのが早ければ、蛇女はルカだけを相手にできるようになり、今のルカでも手に負えないかもしれない。
ルカはそのことを考えたのだろう。一瞬だけ迷った表情をした。
それでも彼女は攻撃の手を緩め、俺の方に来て蛇女の尾を斬った。
俺に纏わりついていた水はばしゃっと地面に落ちる。
「はぁ、はぁ……」
そろそろ息が続かなくなるところだった。
ルカのおかげで命拾いした。セツナはこうなることを読んでいたのかもしれない。
「……手のかかる人ね」
ルカが呆れ顔で言う。
まったくもって面目次第もない。
そんな悠長なことを言っている余裕はない。
蛇女が双腕をルカに向かって伸ばしていた。
咄嗟に反応して、片方は俺が斬り落とした。
もう一本の腕はルカの前腕を浅く傷つけた。いや、狙っていたのは首だったから、ルカが避け切れなかったのだろう。
あの腕……硬質化もできるのか。
ルカは血を滲ませながらも、蛇女への攻撃を再開した。
「やれやれ。シンよ、まだまだ未熟じゃのう。妾がありがたい助言をしてやるから、ありがたく聞くと良い。そして、酒を頼む」
いつの間にか、木の上に移動していたセツナが俺に声をかける。
返事をする余裕はないけど、セツナは続けた。
「刀に呪力を流してみよ。それで、その蛇も斬れるようになろう」
そういえば、そんな話を聞いたことがある。修業時代のことで、結構前のことだから忘れていた。
というか、もっと早く教えてくれよ。
……それもセツナらしいというか、修業の一環なんだろうな。
俺は言われた通り、刀に呪力を流す。どんな刀でもいいわけじゃなく、妖素材を使った妖刀だからこそできる芸当だ。
その刀で、蛇女の腕を斬る。
俺の呪力と干渉するのか、腕が再生しない。
ここに来て、蛇女が焦りの表情を浮かべ、叫ぶ。
「お前を喰って回復してやる!」
今度こそ、俺は蛇女に肉薄し、ルカと一緒に攻める。
蛇女は呪力の籠った刀を嫌うように、残った腕で俺とルカの刀に対応しようとするが、まさに手が足りない。
蛇女の身体に無数の傷が刻まれていく。
苦悶の表情を浮かべ、尾による薙ぎ払いをしてきた。
俺は後ろに弾かれ、ルカは高く跳んでそれを回避した。
蛇女はさらに身体から霧を発生させる。
俺達から視覚を奪い、攻撃する算段か。あるいは、逃げるつもりなのかもしれない。
霧が濃くなる前に仕留めなくては。
俺は蛇女がいる方に即座に駆けるが、霧の方が速く広がる。
完全に見失ってしまった。
こんな隠し玉を持っていたとは……。
諦めかけた俺だったが、ルカの声が届いた。
「こっちよ!」
半妖の彼女は俺よりも感覚が鋭いのだろう。
濃い霧の中でも、嗅覚や聴覚で蛇女の場所を探り当てたのかもしれない。
声のした方に走る。
目の前に相手がいれば、見失うほどの濃さの霧じゃない。
「くそが!」
蛇女が悪態をつく中、俺が心臓目掛けて刀を突き出す。
蛇女は身をよじって避けたが、その直後――
ルカが蛇女の背後から、片方の小太刀を振り下ろし、心臓を破壊した。
おまけとばかりに、身体を回転させ、もう片方の小太刀を横薙ぎにし、心臓をさらに細かく刻んだ。
蛇女は忌々しそうな表情を浮かべたのち、黒い靄となって消えた。
それに伴い、霧は晴れ、周囲に漂っていた妖気は減った。
「ふむ。ちゃんと倒せたようじゃのう」
木から飛び降りたセツナが周囲を見渡して、そう告げた。
彼女がそう言うのであれば、間違いないだろう。
「それなら村の人達も安心だな」
これで仕事は完了だ。
村に戻って報告して、報酬を受け取る。まあ、今回は果実酒だけど。
少し緊張感が解けたところで、背後からぬかるみを踏む音が聞こえた。
振り向くと、ルカが俺に刃を向けていた。




