11 鴉の少女
翌朝。
目を覚ますと、外はまだ薄暗かった。あまり眠れなかったのか、身体に少し怠さが残る。
隣では、セツナが器用に布団を頭まで被って丸くなっている。
「……起きろ、セツナ」
布団の端をつまんで軽く揺すると、もぞもぞと動き、中から声だけが返ってきた。
「……もう少し」
「まったく……」
仕方のない奴だ。
俺は顔を洗い、軽く身支度を済ませてから、女将さんのところへ向かうことにした。
◆
女将さんは一階の厨房横にある小部屋で、朝の仕込みをしていた。
もう野菜を刻み、鍋に火をかけている。
「おはよう、女将さん」
「あっ、退治人様!」
顔を上げた女将さんが、ぱっと表情を明るくする。
その目の下には少しだけ隈が見えるが、昨夜よりはいくぶん顔色が良くなっている気がした。
「娘さんは?」
「それが……熱がすっと下がってたんです。夜中にうなされることもなくて……」
ほっとしたように微笑む女将さんに、少しだけ肩の力が抜ける。
「そうか。それなら良かった」
「それで、その……」
言い淀む女将さんに、俺は昨夜のことを簡単に説明した。
娘の部屋の窓を覗いていた黒い影は人の情念から生まれた妖であったこと。
その情念の大元になっていた男を見つけ、対処したこと。
さすがに「狐火で情念を焼き払った」などとは言わなかったが、女将さんはすぐに察したようだった。
「……あの人、ですか」
女将さんは少しだけ暗い顔をした。
「あの人、最初に来た時はそんな悪い人には見えなかったんです。娘にもよくしてくれて……」
言葉がそこで途切れる。
最初は善人ぶって近づき、情を移させてから本性を現す。分かりやすいと言えば、分かりやすい。
「とりあえず、もう娘さんのところに影は現れないはずだ」
「はい……本当に、ありがとうございます」
女将さんは深々と頭を下げたあと、少し考えるように眉を寄せる。
「それと、その……男のことなんですが」
「ん?」
「私の知り合いに衛士がいまして。近くを巡回している人なんです。事情を話して、様子を見に行ってもらおうと思います」
それが一番だろうな、と俺は頷いた。ここから先は衛士の領分だ。
「そうしてくれ」
「それから、約束していた成功報酬ですが……」
女将さんは小さな巾着を取り出し、両手で差し出してきた。
「それと、昨日の分に加えて、もう一泊分の宿代は要りません。娘を守ってくださったお礼です」
「いいのか? そこまでしなくても」
「し足りないくらいです。本当に、ありがとうございました」
女将さんの押しに負けて、巾着を受け取る。
「……これで、旨い酒がもう一升買えるのう」
いつの間にか起きてきたセツナが横からしみじみと言った。
「昨日、買ったばかりだろうが」
「もうないぞ」
……早すぎるだろ。
俺達の様子に、女将さんがくすっと笑った。
「お二人とも、朝食の支度がもうすぐできますから、少しお待ちくださいね」
そんなやり取りをしたあと、俺達は一度部屋に戻り、荷物を整えた。
◆
朝食を済ませ、宿を出た頃には宿場はすっかり明るくなっていた。
通りには行き交う人々の声が、ざわざわと混じり合っている。
「さて、どうするかな」
女将さんにこれ以上できることはない。
衛士に任せると言っていたし、俺達が口を出すこともない。
「少し町をぶらつきつつ、禍主の噂でも探ってみるか」
「賛成じゃ。ついでに、旨い酒を置いてそうな店を探すのも忘れんようにな」
今の俺はきっと呆れた表情をしているだろう。
「前金はともかく、成功報酬の分はしばらく取っておくからな」
「けち」
毒づくセツナを横目に、宿場の大通りを歩いていく。
露店からは焼いた魚や団子の匂いが漂い、旅人達が足を止めては何やら情報を交換している声が聞こえる。
そういう会話に耳を澄ませていれば、禍主の噂を聞けるかもしれない。
そんなことを考えていた時だった。
「ちょっと、そこのあんた!」
正面から飛んできた声に、足が止まる。
視線を向けると、小柄な少女が通りの真ん中に立っていた。
黒髪のおかっぱで、年の頃は十かそこらだろうか。
黒地の着物には、菊の花の模様が描かれている。
白い肌とぱっちりした目のせいか、不思議とその少女によく似合っていた。
ただ、その目つきはやたらと鋭い。
子どもらしいあどけなさよりも、「値踏みする視線」が先に来る。
こいつ、人間じゃないな。
「……俺か?」
「そうよ。あんたよ」
少女はつかつかと近づいてきて、真っ直ぐ俺を見上げた。
「取り憑かれてるわよ」
「は?」
あまりに唐突な言葉に、思わず間の抜けた声が出る。
「取り憑かれてるって、何にだよ」
「その女に決まってるでしょ」
少女は、当然のようにセツナを指さした。
「いや、待て。どういうことだ?」
「あんたの後ろをべったりくっついてる、その白いの。あれ、ろくでもない妖よ」
直球な物言いだ。
セツナが「白いの」呼ばわりされて、ぴくりと眉を動かす。
「ふむ。面白いことを言う鴉じゃのう」
くすりと笑いながら、セツナが少女を見下ろした。少しだけセツナのほうが背が高い。
「な、なんであたしが鴉って分かるのよ」
動揺したのか、少女の語尾が上ずっている。
「見れば分かる。それより、シンよ。妾は汝に取り憑いておるのか?」
「まあ世話にはなってるな」
俺がそう答えると、我が意を得たりとばかりに少女が勝気な笑みを浮かべる。
「ほら。取り憑かれてるんじゃない」
腕を組み、じろりとセツナを睨みつける。
「昨日、その女が小汚い人間を燃やすのを見たんだから。そいつを炎で包んで、きゃーきゃー言わせてたじゃないの」
そんな可愛らしい悲鳴じゃなかったけどな。
しかし、狐火で男を焼いた場面を見られていたらしい。
「見られてたのかよ……」
思わず額を押さえる。
「ふふん、見逃さないわよ。あんたみたいなのを放っておくと、ろくなことにならないんだから」
少女は得意げに胸を張った。
黒い着物の裾が、ぴょこぴょこと揺れる。
「あたしの主様がね、そういうの嫌いなの。人に取り憑いて悪さをする妖とか、特にね!」
「随分と手厳しいのう」
セツナは楽しそうに笑っている。
「誤解じゃ誤解。妾はこやつが気に入っとるから側におるだけで、魂を喰うつもりも、乗っ取るつもりもないわ」
「言い訳にしか聞こえないわね」
少女は鼻を鳴らした。
「ま、話は分かった。じゃあの。妾もシンも忙しい。シン、さっさと酒屋に行くぞ」
「いや、酒屋には行かないって」
歩き出すセツナについていこうとすると、少女は俺の前に立ちはだかった。
「ちょっと無視しないでよ! こうなったら――」
少女の身体が自分の影にすとんと沈む。
次に姿を現した時には、セツナの背後だった。
「無理やり――」
バチィン!
「いっ……たぁぁぁっ!?」
セツナが指で強く少女の額を弾いた。
「未熟者め」
セツナは、少しだけ呆れたように言った。
「~~~!」
少女は涙目になりながら、両手で額を押さえて蹲っている。
「お前……容赦ないな」
俺が半ば呆れ、半ば同情しながら言うと、セツナはけろりとした顔をした。
「これでも手加減はしておるぞ? 本気で弾けば、頭蓋ぐらいは割れておったわ」
「笑いながら言うことじゃない」
その時だった。
ふと気配を感じて、俺は視線を上げる。
いつの間にか、近くの塀の上に、昨夜の鼬がちょこんと座っていた。
「あ、昨日の」
思わず口に出る。
茶色の毛並みをした鼬がつぶらな瞳でこちらを見下ろしていた。
その隣では白蛇がとぐろを巻いている。
「ほう? 汝らも妾に喧嘩を売るのか?」
デコピンをした指先を、軽く握り込む。
空気が一瞬で張り詰めた。
鼬と白蛇は、ぶんぶんと首を横に振った。
ぷるぷると細かく震えながら、「違う違う」とでも言いたげに、全身で否定の意を示す。
「どう見ても戦う気はないだろ」
俺がツッコミを入れる間にも、セツナはじりじりと指に力を込めていく。
「ならば、さっさと主のもとに帰るがよい」
「お前、楽しんでるだろ……」
俺が溜め息をついたその時――
「待ってくれ!」
澄んだ声が通りに響いた。
振り向くと、少し離れたところに、一人の青年が立っていた。
年は俺より少し上っぽい。
薄茶色の髪を後ろで無造作に結び、地味な色合いの羽織を着ている。腰に刀を差している。
足元にはさっきの鼬と白蛇がぴたりと寄り添っていた。
「戦う気はないよ。すまないね、うちの式が」
青年は申し訳なさそうに言い、蹲っている少女に視線を落とした。
「主様、遅い……いたい……」
「だから先走るなって言っただろ、クロ」
どうやら少女の名前はクロというらしい。
うん、見た目そのまんまだな。
「式?」
俺が思わず聞き返すと、青年はこくりと頷いた。
「うん。この子も、こいつらも、みんな僕の式神だ。急に走り出したから、追いかけてきたんだけど……」
視線が、セツナに向く。
セツナもまた、目を細めて青年を見返した。
「これは珍しいのう」
ぽつりと、セツナが呟く。
「妖を三体も従えた人間など、そうそうおらぬというのに」




