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半妖少女とゆく禍主退治の旅  作者: 彼岸茸


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1 落下する日常

 夏真っ盛りの陽射しが、田んぼ一面に降り注いでいた。

 青々とした稲からは、穂がほんの少し顔を出している。今年の梅雨は雨が多すぎず、少なすぎず、ちょうど良かった。

 目立った虫害もなくて、豊作が見込める――らしい。


 この土地で十四年以上暮らしてきた俺――アマチ=シンにとって、それは当たり前の日常だった。

 毎年同じことを繰り返して、米や野菜を自分たちで食べる分より少しだけ多く作って、質素な生活を送る。

 年齢を重ねるごとにできることが増えて、父さんの助けにもなっていると、自分では思っている。


 田んぼの次は畑の様子を見る。

 夏野菜がよく実っていた。西瓜を冷やすために、近くの川へ持っていかなくちゃいけない。

 白菜や大根みたいな冬野菜のために、耕しておかないといけない畑もある。これが結構な力仕事で、そこは俺と父さんの担当だ。

 妹のリンは、まだ力が足りないから、もっぱら収穫の手伝いだ。


「シン、今日はこれくらいでいいだろう。これから暑くなるから、家に戻るぞ」


 父さんが額の汗を拭う。鍬を土から引き抜き、畑道具を片付け始める。

 夏野菜を収穫した桶を持ち上げると、木陰で待っていたリンが元気いっぱいに返事をした。


「帰ろう!」

「父さん、いつものところに寄ってから帰るよ」


 俺は畝の端に置いていた西瓜をぽんと叩いた。


「じゃあ、先に帰ろう。リン、行くぞ」

「はーい。じゃあね、兄さん。母さんと美味しいご飯を作って待ってるから。今日の晩ご飯は何かな?」


 父さんとリンを見送り、俺は西瓜を抱えて川に向かう。

 背後からは、まだ二人の会話が聞こえていた。


「母さんの作る飯はうまいからな」

「そうだね! あれ? わたしも手伝ってるんだけど?」

「ははは、そうだったな、すまんすまん。リンの飯もうまいぞ。まあ、母さんには負けるがな」

「わたしはこれからなんだから」


 いつものやり取りだ。

 ちょっとした喧嘩はあっても、仲の良い家族だと思う。これといって変哲もない、穏やかな日常だけど、嫌いじゃない。


『こんな日々を守れ』

『いざという時は、この村を守れ』


 両親は日頃から俺にそう言い聞かせてきた。

 何か含みがあるような口ぶりだけど、正直よく分からない。ただ、軽い冗談じゃないことだけは伝わっていた。


 特に父さんはこうも言う。


『奥の刀には触れるな』


 農民の家に刀があるのは、確かに少しおかしい。

 もしかしたら父さんは、昔は衛士(えいし)――犯罪を取り締まる役人だったのかもしれない。

 もう少し大きくなったら、その辺りのことも教えてもらえるだろうと、ぼんやり思っていた。


 そんなことを考えながら、西瓜を抱えて歩く。

 蝉時雨の中、森に分け入る。川に到着すると、石を並べて西瓜が流されないように固定した。二刻か三刻ほど待てば、中までしっかり冷えるはずだ。


「ほう、西瓜か」


 ふいに少女の声が降ってきた。さっきまで誰もいなかったはずだ。

 いつものことだ。最初は驚いていたけど、もう慣れた。声のする木を見上げる。


「大きいだろ? 俺が育てたんだ、セツナ」


 セツナは木の枝に腰を下ろして足をぶらぶらさせていた。

 髪は真っ白で、瞳は赤い。白い上衣に緋袴の姿は、神社の巫女みたいにも見える。

 けど、実際は巫女なんかじゃない。

 人ならざるもの――妖だ。


 セツナを見ることができるのは、この村では俺だけだ。両親もリンも見られない。

 傍から見れば、俺が木の下でひとりごとを言っているようにしか見えないらしい。それに対して家族は何も言わないし、村の連中も「ちょっと変わった子」くらいの扱いで済ませてくれている。

 そのおかげで、「周囲と違う」というだけで理不尽な扱いを受けたことはない。


「つい先日まで、これくらいの童じゃったのにのう。人の成長は早いものじゃ」


 セツナが右手の親指と人差し指に僅かな隙間を作って、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「そんな小さいわけあるか。……セツナも後で西瓜、食べるか?」

「無論じゃ。妾に供物を捧げよ」

「はいはい。しっかり冷えたら母さんに切ってもらうから、その後でな」


 セツナがふわりと木の枝から地面に降りる。そのまま西瓜の横にしゃがみ込み、ぽんぽんと軽く叩いた。


「美味そうじゃ。忘れずに妾にも届けよ。時に、稲の様子はどうじゃ?」

「豊作だと思うよ」


 俺が答えると、セツナは腕を組んで、満足そうに何度も頷いた。


「うむ。そうじゃろう、そうじゃろう」

「なんでお前が得意げなんだよ」


 思わず苦笑が漏れる。

 その後は他愛ない話をしながら、しばらく時間を潰した。

 時々西瓜の表面に触れる。


 やがて、しっかり全体が冷えた頃合いを見計らって、西瓜を川から引き上げた。

 気温が高いから、冷たい感触が腕に心地いい。少しずつ温くなっていくだろうけど、家まではそう遠くない。母さんに切ってもらって食べるまでの時間を考えても、十分だ。


「じゃあ、セツナ。また後で」

「うむ……気を付けるのじゃぞ」


 セツナがいつになく神妙な顔で言った。

 俺が首を傾げると、彼女は続ける。


「妙な胸騒ぎがする」

「なんだよ、それ」

「蝉の声が止んでおる」


 言われてみれば、さっきまでうるさいくらい鳴いていた蝉の声が、いつの間にか聞こえなくなっていた。


「まあ良い。何かあれば、妾のもとに来るが良い」

「ああ、分かった」


 いつも何をするでもなく過ごしている妖の少女に何ができるか分からないけど、そう返事しておく。

 俺は冷えた西瓜を抱え直し、森の中の小道を戻る。


 森は本当に静まり返っていた。

 蝉だけじゃなく、鳥の鳴き声も聞こえない。ただ木々の葉がこすれ合って、ざわざわと音を立てているだけだ。


 何度も通ったはずの慣れた森なのに、知らない場所を歩いているみたいな、不安な感覚が胸の奥でじわじわと広がっていく。


 森を抜けると、さっきまで作業していた田んぼと畑が視界に入った。見た目は何も変わっていない。

 いや、よく目を凝らすと、青々としていた稲の一部に、微かに黒ずんだところが見えた。さっきは気づかなかっただけだと自分に言い聞かせ、家へ足を速める。


「ただいま」


 玄関の戸を開ける。ぎい、と木が軋む音だけが返ってきた。

 誰の声もしない。それどころか、人の気配そのものが薄い。


 母さんはずっと家にいるはずだし、父さんとリンは俺と別れたあと、まっすぐ帰っていった。その後どこかへ出掛けるなんて、考えにくい。


「父さん? 母さん?」


 呼びかけても、声は虚しく家の中に吸い込まれていくだけだった。


「リン?」


 何度呼んでも、返事はない。

 冷たい汗が額に滲み、呼吸が浅くなる。


 不意に鼻を刺す臭いが流れてきた。脂が焦げるような、肉が焼けるような、何とも言えない不快な臭いだ。


 嫌な予感を振り払うように、俺は近くの襖に手をかけた。


「母さん!」


 襖を開け放つと、母さんが床に倒れていた。

 俺は思わず西瓜を取り落として、駆け寄ってその体を抱き起こす。床に叩きつけられた西瓜が、ぐしゃりと割れて赤い果汁を撒き散らしたけど、そんなことを気にしている余裕はなかった。


「母さん、母さん!」


 いくら呼んで、いくら揺すっても、母さんは微動だにしない。

 肌は炭みたいに黒く焼けていて、顔立ちはもう判別できなかった。着物だけがほとんど無傷で残っている。母さんだと分かるのは、その布と体格だけだ。


「まさか……?」


 肺の奥が冷たくなる。

 立ち上がって、半ば錯乱したように家中の襖という襖を開けて回った。


 途中で、父さんも同じように炭化して倒れているのを見つける。

 胃の中が逆流しそうになるのを押しとどめながら、俺は一縷の望みをかけて妹のリンを探した。


 その時、少女のくすくすと笑う声がふっと耳に届いた。台所の方からだ。


 俺は反射的にそちらへ駆ける。


 リンは台所で倒れていた。まだ顔や手足に、橙の炎が纏わりついている。

 その様子を、黒い着物の少女が見下ろしていた。


「な、なんだよ……あれ……?」


 掠れた声に気づいたのか、少女がゆっくりと俺の方を見た。

 艶やかな口元が、ゆっくり吊り上がる。金の瞳が、暗がりの中で怪しく光る。


 その風貌は、セツナによく似ていた。けど、そこに宿っているものは決定的に違う。

 あの白髪の妖が持つ、人をからかうような悪戯っぽさじゃない。もっと底冷えのするものだ。


「まだ残っておったのか。忌まわしきヤマトの子よ」


 鈴を鳴らすような声でそう告げると、少女の輪郭がふっと揺らぎ、空気に溶けるように消えた。


 その場に崩れ落ちそうになったけれど、俺は歯を食いしばって膝に力を込める。

 依然としてリンの体を燃やす黒い炎を、どうにかしないといけない。幸い、ここは台所で、水の入った桶がいくつも蓄えられている。


「待ってろ!」


 桶をひっくり返して水を浴びせる。もう一桶、もう一桶。

 けれど――


「なんで、消えない……?」


 いくら水をかけても、炎は弱まらない。

 不思議なのは、燃えているのが皮膚や肉だけだということだった。着物には一切焦げた跡がない。


 それでも、やがて炎はすっと細くなって、煙のように消えていった。水が効いたというより、さっきの黒い少女が消えたことと関係があるんだろうと、頭のどこかで分かってはいたけど、今の俺には考えを深める余裕なんてなかった。


「リン、おい、リン!」


 炭のようになった両親と違って、リンは辛うじて形を留めていた。それでもひどい熱傷なのは、素人目にも明らかだ。

 震える指で口元に手を当てて、胸に耳を近づける。


 息をしていない。

 心臓の音も、何も聞こえない。

 開いたままの瞳は、もう何も映していなかった。


「なんで……なんでこんなことに……?」


 答える者はいない。

 西瓜の甘い匂いと、焼けた肉の臭いが入り混じる中で、俺の問いだけが虚空に溶けて消えていった。

まずはお読みいただき、ありがとうございます。


しばらくの間は物語の立ち上がりとして、最初の1週間ほど、1日2回の更新を予定しています。


その後は、無理のないペースで続けていくつもりです。


もしこの物語を「もう少し追ってみたい」と思っていただけたら、ブックマークや評価を入れていただけると励みになります。


よろしければ、お付き合いいただけると嬉しいです。

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