親指
小綺麗な居酒屋の奥で、ネットオタクらしい人々が集まっていた。
お面越しに見えるのは、見知ったアイコンの持ち主たち。そこそこ有名なゲーム実況者も顔を見せ、乾杯の声が上がる。いいニュースの発表があったが、拍手は控えめで、どこか湿った空気が漂っていた。
ふと視線を遠くにやると、端のテーブル席で奇妙な光景が目に入る。
刺青の入った男たちが三人──いかにも古風なヤクザの風貌。そのうち一人は頭を剃り上げたツルツルのハゲで、隣のサラリーマンが笑いながら、その頭におしぼりを、びたんびたんと叩きつけていた。
ハゲの男は笑っていたが、残る二人の表情は明らかに硬い。背中の筋肉が膨らみ、目の奥が鋭く光る。
──このままでは、銃が出る。
予知のような確信が胸を走り抜ける。
私は音を立てずに席を立ち、混雑に紛れて店を出ようとした。
店を出た瞬間、背後から右手の親指をぐっと掴まれる。振り返ると、ツインテールのゴスロリ服に身を包んだ、ピンク髪の美少女が立っていた。あのオフ会メンバーのひとりだ。
信じられないほどの握力。骨が軋む。
私は空間転移の能力を持っている。発動できれば、こんな場から一瞬で逃げられるはずだ。だが、焦りで頭が白くなり、力がうまくまとまらない。呼吸を整え、意識を一点に集中させる──視界が歪み、転移の渦が巻き起こる。
だが、親指だけが転移できない。
目の前の景色は変わった。だが右手の先、一本の指だけが、元の空間に留まっている。そこから伝わる、ありえない圧力。掴まれていても転移はできるはずなのに──まさか、彼女も能力者なのだろうか。
二つの空間にまたがった指から、何かが私の中へと引き込まれてくる。胸が苦しい。空気が薄い。
彼女の視線が、境界の向こうから真っ直ぐに私を貫いた。
「……逃がさない」
声は届かないはずなのに、耳の奥で響いた。
意識が、暗闇へと引きずり込まれていった。
親指を身体の下に敷いて寝ていました。




