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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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悪夢を現実にする呪文




 なんでもない、いつもの出来事の筈だった。ただのイジリ、遊びの一種。それだけの話。


 千香(ちか)錫子(すずこ)がきらいだ。

 以前からそうだった訳ではない。小学生の頃は、家が近いのもあって、お互いの家に行き来するくらいの仲だった。

 錫子は口下手だけれど、工作や料理がうまくて、土曜日や日曜日に錫子の家でおやつを食べるのを楽しみにしていた。錫子のつくる、梅のジャムがかかったパンケーキは、たしかにおいしかったのだ。それに、錫子の話は面白かった。変わった夢を見た、という話を錫子はよくしてくれて、映画やドラマのような筋立てのそれに、千香は何度もわくわくした。

 錫子は千香の家に来ると、おもてなしのケーキやジュースに目をまるくし、千香の母がしっかり化粧をしているのにも驚いていた。お母さん今日お出掛けなの、と不思議そうに訊いてきたのを、千香は覚えている。

 中学の頃でもまだ、学校で必要最低限のことを喋ることはあった。でもそれ以外の付き合いはなかった。錫子の家がある辺りをきらっているひとが多かったからだ。


 錫子の家のある辺りは、千香の家から近いのだが、雰囲気はまるで違った。千香の家もそのまわりの家も、まっしろの壁やお洒落な庭、綺麗な屋根だけれど、錫子の家やそのまわりは違う。建物自体も背が低いし、庭にはあまりお洒落に見えない果樹や、酷いと葱なんかが植えてある。歯がほとんどないおじいさんやおばあさんが、よれよれの服で立ち話して、大声で笑っている。

 あまりお金のないひと達の住んでいるところだ、という理解を、千香は小学校五年生くらいでした。自分の親や家族、ご近所さんがその地域をきらっているのも知った。でも、錫子とは友達だし、気にしないと思っていた。

 小学校の卒業少し前に、錫子の親族に『拝み屋さん』が居ると聴いた。それはなにか、特別悪いものらしい。

 教えてくれたのはたまに家事の手伝いに来てくれる伯母さんで、彼女はそういうもの――オカルト――にくわしかった。あの子と付き合いをするのはよくないといわれ、千香は迷ったけれど、その『拝み屋さん』達が子どもをイケニエにしてひとを呪うとか、そういうことをしているからあの家系にはショーガイシャがうまれるのだとか、そういう話を聴いたらいやになってきた。

 でも友達で居ようとしたけれど、中学の夏休み、錫子が部活の合宿にこなかったことで、亀裂がはいった。

 千香は合宿を楽しみにしていたのだけれど、錫子は違うらしかった。都合が悪いとかなんとか、もごもごと言い訳をする。旅行にでも行くのかと思って聴いたら、家族で出かけるといった。なにをするのか聴いても錫子は言葉を濁した。かわりに、最近悪夢ばかり見る、と、気色の悪い夢の話をした。


 伯母さんにそこのことを話したら、多分『拝み屋さん』の修行に行くんだろうといっていた。いろいろといやな話を聴かされ、両親もそれを否定せず、合宿に来なかった錫子に足をひっぱられて大会の成績も悪かったのもあって、千香は錫子を見限った。




 錫子はもともと、千香くらいしか友達がいなかったが、中学にあがると同じように口数の少ない、ぱっとしない友人をふたりつくった。

 錫子は千香と同じ体操部、そのふたりは文芸部で、三人で教室の隅にかたまり、にやにやしながらなにか喋っているのをよく見た。錫子がなにを楽しんでいるのか、千香にはわからない。

 千香は体操部でも、平均台くらいしかできない錫子とは違い、どれもそれなりにこなせた。だから先輩に可愛がられたし、大会にも何度も出た。友達も沢山できた。好きなアイドルの話や、可愛いコスメの話で盛り上がるのが楽しかった。錫子とは絶対にできないことだ。


 錫子は団体の時だけ出てくる。たしかに平均台はうまいけれど、同年代と比べれば大柄で体重もあるので、コーチから痩せるようにと何度もいわれていた。錫子はそれで何度か泣いていたが、千香はもう庇わなかったし、先輩も同輩もみんな笑いをこらえてそれを見ていた。


 錫子の家はやはり、なにか変なのだろう。錫子は二年から、急に休みがちになった。学校に出てきても、部活を休むこともあった。家が近い千香はプリントを届けに行っていたが、以前のように家に上げてくれなくなったし、会話も事務的なものだった。

 休んでいるのにどこかにでかけているみたいで、千香もそれを見かけたことがあるし、ある日先輩が怒って錫子を呼びつけたことがあった。錫子が男の子とふたりでデパートに居たらしい。

 錫子は首をすくめてなにもいいかえさなかった。何度か助けを求めるように見てきているのに千香は気付いたけれど、黙っていた。千香は知っていた。おそらくそれは、錫子の弟だ。錫子はそうでもないのに、錫子の弟は格好いい。背ももう錫子より高く、大人っぽかった。中高一貫の進学校に通っていて、千香達の中学の人間は、錫子の弟を知らない。知っていても、あんな美少年を錫子の兄弟だとは考えない。

 千香は知っていたし、錫子が男の子と出かけるなんて弟か従兄弟以外にありえないとも思っていたが、なにもいわなかった。助けてあげる義理はない。別に、友達でもなんでもないのだし、錫子が休むことで先輩やコーチの機嫌が悪くなり、練習がきつくなるから、怒鳴られるのくらい我慢すればいいと思った。練習さぼってるやつを助けてあげなくていい。

 錫子は結局、謝らされていた。その日は先輩達が錫子をとりかこんで、腕立て伏せや腹筋をひたすらやらせていた。そういうのは数日続いた。錫子は全然痩せなかったし、しばらくするとまた休みがちになった。






 高校でも錫子はそのままだった。休みがちなのに体操部にはいって、たまに来ると先輩達にしごかれる。同じ中学からあがってきたひとが多かったので、錫子は先輩達にしごかれる為に体操部にはいったようなものだった。

 千香も体操部にはいった。アイドルやコスメの話、彼氏の話、ドラマの話、一緒に少しだけ都会の街へ行ってお買いものをして、甘いものを食べて。楽しいことは数限りない。

 そこに、錫子が居るのは正直いやだった。

 また団体戦で足をひっぱられたくないし、先輩が錫子を呼び出す時に千香がつかいはしりをさせられるのもいやだ。家の方向が同じで、同じ学年で、しかも同じクラスだから、と、そんなことをさせられるのだ。錫子の家の近辺に行くのはいやだ。あんなところの人間と同じに思われたくない。

 夢を見なさい、と、コーチがよくいう。自分がなりたい姿を思い描いて、それに近付くのだと。夢、という単語に、錫子が顔をしかめていた。それが理由で、錫子は罰走をさせられ、以降はコーチがなにをいっても表情をなくしていた。千香は、ああはなりたくないなと、ある意味リアルに想像していた。錫子のようにはなりませんように。あんなに不器用でブスで、しかも頭も悪いなんて、終わってる。


 千香のいらだちを、体操部の同級生達はわかってくれた。錫子は成績もぱっとしなければ、美人でもないし、明るい訳でもない。ただ黙って教室の隅に居る()()だ。

 高校にはいってから錫子の声を聴くのは、月に二回くらいになった。中学からできたオタクの友達は、ひとりは同じ高校に進学したが、クラスが違う。そして、錫子はあたらしい友達をつくろうとはしていなかった。していたとしても、あんな口下手なやつに友達なんてできない。




 錫子が重たい前髪でくらい顔を隠すように項垂れ、じっとしているのを、まず面白がったのは男子達だった。錫子に消しゴムやなにかを投げつけては、どんな反応かを見て笑っている。次第に、女子も錫子をイジるようになった。

 錫子は黙ってこらえているだけだから、なにか反応をひきだそうと、イジリはエスカレートしていった。鞄に牛乳をかけたり、ジャージを水浸しにしたり、靴に泥を詰めてみたり。

 でもただのイジリだ。いやならいやだといえばいい。錫子はずっと黙っている。抗議もしなければ、教師にいいつけるでもない。なら、いやがっていないのだと、皆そう考えた。都合よく。


 錫子の弟はたまに、あの進学校の制服のまま錫子を迎えに来た。錫子は中学の時と同じで、部活をサボって弟とそそくさと帰っていく。

 錫子の弟はもっと背が高くなって、顔も格好よくて、どうして錫子があんなイケメン、しかもあの進学校の生徒と一緒に居るのかと、同級生の女子達はむっとしていた。千香はやっぱり、あれは錫子の弟だとはいわなかった。いう必要はない。


 千香は錫子がきらいだし、自分の立場を考えていた。錫子と友達だったとか、錫子に弟が居ることを知っているというのは、『失点』になる。錫子の家庭環境も家族構成も知らない振りをしていないといけない。錫子と一瞬でも友達だったなんて、なかったことにしたかった。

 そんなことを知られたら、自分もイジられるかもしれない。ただでさえ、錫子と家が近いからと、また、先輩達が錫子を呼びつける時のつかいはしりをさせられているというのに、これ以上錫子と接点を持ちたくない。




 二年生になって、錫子は尚更学校に来なくなった。

 最低限の出席日数は稼いでいるようだが、成績が悪くて補習をうけているという噂は聴いた。何度か、錫子が生徒指導室に呼ばれた、というのも聴いた。あのオタクの友達に泣きついているのも見た。こわい夢を見る、といっていた。


 錫子は相変わらず、平均台以外はぱっとしなかった。段違いで何度か危ない落ちかたをした。団体戦には錫子は選ばれず、コーチがスカウトしてきた後輩がはいった。

 千香はまだ、数回は大会に出ていたし、部活をサボることもなかったから、後輩達から慕われた。錫子は反対だ。部活にあまり顔も出さず、たいしてうまい訳でもなく、先輩や同輩に叱られて小さくなっている錫子は、後輩から軽蔑されていた。

 でも千香は焦っていた。次の大会で代表になれなかったら、錫子みたいに後輩からばかにされるかもしれない。こわくなって、おまじないやなにかをしてみたが、効果があるとは思えなかった。

 伯母さんにその話をしたら、いいことを教えてくれた。『夢が現実になる呪文』だ。千香はそれを唱えて寝るようにした。そうしたら、夢が叶う。伯母さんが勉強に通っているところで教えてもらったらしい。今度千香ちゃんも一緒に行こうね、といわれて、千香は承知した。呪文はききめがあったみたいで、三年のはじめに代表になれて、千香は面目を保てた。











「千香ちゃん」

 伯母さんとの約束の日、駅で電車を待っていた千香は、名前を呼ばれて顔をあげた。

 錫子の弟が居た。折角のイケメンなのに、誰かのお下がりみたいなださい服を着ている。彼は軽く手を振って、千香の傍まで来た。

「久し振り。俺のこと覚えてる? 錫子の弟」

「う、うん。覚えてる。みっちゃんだよね」

 ぎくしゃくと喋って、千香は唾をのんだ。頬がひきつる。みっちゃん、と錫子が呼んでいたから、千香もそうしていた。名前は知らない。

「よかった」

 錫子の弟はにっこり笑った。大きめの鞄を肩にかけていて、何故か編み棒が覗いている。最近あみものがはやっているらしいから、彼もしているのだろうか。千香はそんなふうにしか思わなかった。

「どっか行くの?」

「あー、うん。ちょっと、伯母さん家」

「ああ」

「みっちゃんは?」

「ちょっとね。上り?」

 頭を振る。電車が滑り込んできて、錫子の弟は手を振りながらそれにのりこんだ。

 見送ってから、千香は気付いた。向かいのホームに後輩が居る。それも、ふたりも。






 やばい、やばい、やばい。

 千香はそればかり考えていた。後輩に見られた。錫子の弟と居るところを見られた。

 伯母さんの家には仏壇とも神棚ともつかない祭壇みたいなものがあり、それがある部屋に大人や子どもが十人くらい集まって、あの呪文を唱えていたが、頭にはいらなかった。

 会話は、あの距離だから聴こえない。でも、話していたのはわかっただろう。短い間だが、錫子の『彼氏』と話していた。それがどれだけまずいことか、千香はわかっている。今更あれは錫子の弟だといったって誰も信じてくれないし、信じてくれたとしても、錫子の友達だったことがばれるだけだ。


 偉そうなおばさんが喋って、揃ってなにかを唱えると、集会は終わった。千香の頭にはなにも残らなかった。

 伯母さんは千香の様子がおかしいのに気付いて、どうしたのと訊いてくれた。千香はいらいらと不安でどうにかなりそうだった。

「あいつの所為でいじめられるかもしれない」

 イジリだ、と自分達ではいっているのに、伯母さんに対してはその言葉が出た。千香は矛盾に気付かなかった。自分の学校生活がかかっている重大な出来事が、さっき起こってしまったのだ。

 伯母さんは『あいつ』でわかった。千香はたまに伯母さんに錫子のことを話すが、名前はもう呼ばなかった。『あいつ』だ。ただの。

「千香ちゃん、あの子に呪われたの?」

 頭を振る。そういうことではない。それに、錫子になにか超人的な力があるとは思えない。そんなものがあったら、学校生活をもっと楽しいものにしているだろう。

 千香はつっかえつっかえ、先程の出来事を説明した。伯母さんは頷きながら聴いてくれて、でていったかと思うと、あの偉そうなおばさん、それに似たような材質の服を着ているおじさんをつれて戻ってきた。


 促され、そのひと達にも喋っていると、千香はいつの間にか泣いてしまっていた。たまたま、錫子と家が近かった所為で、小学生の頃わけもわからず友達になってしまった。変な家系なら、自分達普通の人間の傍に来ないでほしい。こんなの、自分に非がないのに交通事故に遭うみたいなものじゃない……。

「きっとその子の業が深すぎるんでしょう」

「まわりを不幸にする人間は居ますからね。悪い波動を出しているんです。当人に自覚がないのが迷惑な話だ」

 言葉の意味はわからないが、錫子が悪くいわれているのはわかった。当然だと千香は思った。錫子は卑屈で、見ているといらいらする人間だ。そういうやつがイジられるのは当然。でも自分は違う。わたしは、ちゃんと勉強して、部活もして、メイクもしてるしSNSだって。わたしは頑張ってるのに。わたしはあんなブスとは違うのに。コーチのいうこともちゃんときいてる。大会にも出た。

「呪いを返しておきましょう」

「先生、それだけじゃこの子が安心できませんわ」

 伯母さんが祭壇を仰ぎ、千香は思い出した。

「あの」

 おずおずという。三人が千香を見る。「あの呪文の、もっとつよいのってありませんか。夢を現実にする……」






 偉そうな女のひとと男のひとは、あの勉強会の先生だそうだ。呪文の本を持っていて、教えてくれた。夢が確実に現実になる呪文だそうだ。ただ、それには条件があった。それを唱えるひとの髪が要る。

 翌々日、学校に行った千香は、部活の時間になると、後輩達になにかいわれる前に同輩にいった。錫子の『彼氏』が錫子をレギュラーにしないことで文句をつけてきた、と。後輩達は疑わなかったようだ。千香がひきつった顔で錫子の弟に接していたからだろう。

 錫子が『彼氏』に文句をいっているのだと千香はいった。仲間達はそれを信じた。部活にあまり顔を出さないくせに生意気だと、千香以外の皆が思った。

 千香はどきどきしながら、呪文のことを話した。




「錫子、あんた調子にのってんじゃないの。平均だって最近は千香のほうが上手なのに、お前が代表になれる訳ないだろ」

 体育倉庫だ。一番大柄な子が、錫子を正座させて怒鳴っている。錫子は項垂れ、泣いていた。錫子にしては頑張っていいかえそうとしていたが、数が違いすぎる。錫子の必死の訴えは千香達の声にかきけされた。

 三十分ほどのお説教のあと、ひとりがはさみをとりだした。

「あんたさ、ちゃんと夢見てないんじゃないの。夢を現実にする努力が足りないんだよ」

 錫子は顔をあげ、頬を拭った。

「コーチがいってるでしょ。夢を見なさいって。ビジョンを持てって。あんた、なーんにも考えてないじゃん。千香がいいお(まじな)い教えてくれたから、それやんな」

 数人でおさえつけられる。錫子はかすかに抵抗した。同輩が錫子の髪をひと房きりとり、千香はあの先生達に教わったとおりのことをした。

 大柄な子が紙に書かれた呪文を錫子に見せた。用意ができないのに口に出してはいけないといわれていたから、千香もそれを読んではいない。読もうと思っても読めないかもしれない。そこにはやけに画数の多い漢字が、七文字ずつ、七行並んでいる。


 読めといわれ、錫子は洟をすすりながら、か細い声でなにかいった。

 なにをいっているのかはわからなかった。聴きとれなかったのだ。

「これはね、夢が現実になる呪文だってさ。あんた、こわい夢見るんだって?」

 よほどこわいのか、錫子は気を失った。皆、錫子を残して体育倉庫を出た。千香はほっとしていた。これで、錫子の弟のことはごまかせた。錫子と友達だったこともばれていない。

 呪文が実際にきくとは思っていなかった。こわがらせるのに充分だろうと思った。ただ、夢が現実になるんだというのでも錫子はこわがるだろう。髪を切らないといけないと聴いた時には、嬉しかった。錫子を震え上がらせ、余計なことをいわせないようにしたかったのだ。それができればよかった。

 千香以外にとっては、錫子が生意気をいったから粛正するという意図もあっただろうけれど、単なる遊び、イジリの延長線上という意識のほうが強かっただろう。錫子を怯えさせ、謝らせるのは、実際に気分のいいことだった。






 錫子は次の日休んだ。千香は、流石に気絶させたのはやりすぎだったかもしれないと思ったが、どうやらあの『粛正』は関係がなかったらしい。錫子はその次の日には登校してきたし、教師になにかいった様子もなかった。いつにもましてくらい顔で、項垂れている。一箇所不自然に短くなった髪に、男子達が笑っている。

 部活をサボるつもりだったようだが、OGが来たのでそうはいかなかった。千香や仲間達は、ちょっと拍子抜けした。錫子の悪夢とはどんなものだろうと思っていたのだが、これらしい。成程、とも思った。OGが来る度、錫子はしごかれている。叱りつけられ、泣かされる。

 結局呪文に効果などなかったのだろう。そう思ったが、今回はいつもと様相が違った。OGは錫子を誉めた。誉めて、何度も試技をさせた。錫子は息苦しそうにしながら要求に応え続け、うまくいかずに泣いて、でもまだやり続け、最後には頭から落ちて生え際辺りを切った。

 あの呪文は本物なのかもしれないと思った。錫子が誉められているのがおかしいし、結局最後は期待に応えられなくて怪我をするというオチがついているのも、錫子の悪夢らしい。錫子の夢は、いいものだろうと悪いものだろうと、きちんとストーリーがある。それが自然か不自然かは関係がない。錫子が誉められる、という不自然な出来事も、夢なら変ではない。

 錫子がOGにつれられて体育館を出て行くのを見ながら千香は、あれって本当かもねと数人と話した。




 また、錫子が休んだ。その次の日、錫子の親が死んだと担任が話した。五年程闘病していたそうだ。錫子の弟がのった電車が、大きな総合病院近くの駅に停まることを、千香はなんとなく思い出した。編み棒はお見舞いだったのだろうか。

 昼休みが来ればみんな錫子の親のことなんて忘れた。今度この辺りで撮影のある映画の話で盛り上がっていた。千香達が散々話していたアイドルが、単独初主演の映画だ。

 相槌を打っていたが、千香はあまり聴いていなかった。

 錫子がある時から休みがちになったこと、家に上げてくれなくなったことを思い出していた。

 親の看病ならそうといえばいいのにと怒りがわく。

 それを知らなかったわたしは、悪くない。

 いわなかったあいつが悪い。






 登校してきた錫子をイジる者は流石に居なかった。親が死んだ人間に近寄りたくなかったのだ。錫子は雨のなか、まともに傘をささずに来たのか、制服がぐっしょり濡れていた。

 それに、ぼんやりしていた。顔色が悪く、目が赤い。

 昼休み、トイレにたった千香は、前の廊下で錫子が待っていて、驚いた。錫子は千香を、重たい前髪越しに見ていた。


「千香ちゃん、あのおまじないのときかたをおしえて」


 声は掠れ、小さいけれど、聴きとれた。

 錫子と話しているところを見られたら、身の破滅だ。千香は無視して錫子の脇を通ろうとしたが、腕を掴まれた。


「お願い。悪い夢を見たの。昨日と一昨日は寝てない。現実になる前にとめたいの」


 とても強い呪文で、でも七日経てば効果はなくなると聴いていた。それ以上続くことはない、と。

 けれど千香はそれをいわず、錫子の腕を振り払った。

 錫子の親が死んだのは自分の所為かもしれない、と考えた。小学生の頃、何度も顔を合わせた錫子のお母さん。錫子と違って明るい笑顔のひとだった。編み物が好きで、可愛い編みぐるみをもらったこともある。痩せていて、くたびれたふうだけれど、にこにこしていた。かさかさした手で錫子の頭を何度も撫でていた。掠れた声で、こわい夢はお母さんがもらってあげるからね、千香ちゃんのこわい夢もおばさんがもらおうね、といっていた。掠れた、とても優しい声で。

 千香はそれを頭の隅へ追いやった。違う。わたしの所為じゃない。もし、あの呪文が本物だったとしても、錫子が変な夢を見るのが悪い。それに錫子にあれを読ませたのはわたしじゃない。わたしじゃない。わたしじゃない。






 下校時間、校門の辺りで悲鳴がして、しばらくすると救急車のサイレンが響きはじめた。誰か車にはねられたそうだ。朝からの雨が雨が激しくなり、車がスリップしたのだという。

 ひとがはねられそうになったのを、錫子が庇った。今、意識不明らしい。翌日、そう聴いた。千香はいやな気分だったし、部活仲間も静かだった。皆、これも錫子の悪夢が現実になったのかと思っていたのだ。




 伯母さんに相談した。

 しばらく前から伯母さんは、月の半分は千香の家に居た。千香の両親には家事をする時間がなく、伯母さんがしてくれているのだ。しばらく雨が続いているから、洗濯ものが乾かなくて大変だとこぼしていた。

 伯母さんは、錫子に対しては辛辣だった。よくない家系の子だし、これまでの業が還ってきてるだけで、千香ちゃんは気に病まなくていいの、とだけ。また勉強会で、いいお話を聴きましょう、といわれて終わった。

 錫子は夢を見ているのだろうか。どんな夢を見ているのだろう。悪夢というからには、自分が酷い目に遭う夢なのだろう。千香はそう考えながら、はやく七日が過ぎることを願ってベッドにはいった。






 雨はやまず、深夜にかけて尚更酷くなっていった。でも翌朝には小雨になっていて、千香は伯母さんに見送られて家を出、朝練へ向かった。

 朝練にはOG達もたくさん来ていた。また雨が強くなってきたなと思った頃に、伯母さんが忘れものを届けに来た。

 変な音がしたと思ったら、壁が倒れ、天井が落ちてきた。











 千香が目覚めたのは、一週間後だった。伯母さんは死んでいた。土砂崩れがあったらしい。それも、大きなものが二回。おまけに、追い打ちみたいに落雷まで襲い、市内の半分ほどが炎に包まれた。

 体育館、それから千香の家の辺り、錫子の家の辺り、それから伯母さんの家の辺りもめちゃくちゃになっていた。死者百二名。千香の母親は無事だったが、父親は行方が知れない。体操部は、一年生は無事だったが、二年は半分ほど、三年は千香と錫子以外、死んでしまった。OG達も、みんな。

 土砂崩れがそれだけの被害を出したのは、学校裏にある山の整備をきちんとしていなかったからだそうだ。落雷は避けようのないものだが、火災も半分は人災だった。指導されていたのに避難経路を確保していなかった店や、火災対策をしていない家屋が多くあったのだ。

 最悪なことに、ガソリンスタンドが幾つか燃えたし、電波塔にも被害があって、通信が一次遮断されたのも運が悪かったという。

 責任の所在がどこにあるのか、大人達はおしつけあっていた。土砂崩れの被害か、落雷の被害か、その後の火災の被害かを検証するそうだが、はっきりするのに何年かかるのだろう。


 交通事故で意識不明だった錫子は、頑丈な病院に居たことで難を逃れた。弟も、錫子に付き添っていたから無事だった。

 錫子の弟が一度、見舞に来てくれた。

「姉ちゃんが、ごめんって」

 その一言で、すべてがわかった。錫子があんなに憔悴するまで眠らなかったのは、自分の身の安全の為ではない。

 悪夢を見ない為だ。

 錫子にとって、千香が土砂崩れにまきこまれるのは、悪夢なのだ。いや、千香だけでなく、学校が被害に遭うのがいやだったのだろう。イジリなんて言葉でごまかして、錫子をイジメていた自分達を、庇おうとしてくれていた。

 それに気付いて、千香は心底、自分がきらいになった。


 ふたりはそれからすぐにひっこしてしまった。

 千香は片脚に後遺症があり、リハビリは数年続いた。体操は辞めざるを得なかった。伯母さんが信仰していた宗教は、支部が潰れたとかで、街からは居なくなった。






 大学生になって東京へ出た千香は、駅で錫子を見た。

 (じか)に見たのではない。錫子は新聞に載っていた。千香達が血道を上げていたあのアイドルと、結婚したらしい。

 千香はぎこちなく歩いていってその新聞を買い、読んだ。

 アイドルが映画の撮影に訪れた場所で交通事故に遭いそうになったのを、錫子が庇い、それから交流がはじまったとある。

 あの日、校門辺りで騒ぎが起こったこと、その翌日錫子が車にはねられたと聴いたのを、千香は鮮明に思い出した。

 あの土砂崩れで被災した錫子を東京に呼び寄せたとか、そんなふうにも書いてある。そこから交際を続け、ゴールインしたと。

 カメラを向けられた錫子は、けれど、しあわせそうではなかった。くらい目をしている。

 自分の夢が奪ってしまった百二名の命を、忘れていないのだろう。それを忘れられる錫子でないのは、千香は知っている。

 彼女の悪夢はまだ続いているのかもしれない。

 そして、錫子に呪文を唱えさせたわたしの悪夢も。




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