2話
放課後を告げるチャイムが鳴り響くと、クラスメイト達が各々動き出す。
ぼんやりと座っている由希に、まひろが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「いや、別にないよ。まひろはいつも通りか?」
「まあね」
「そうか。じゃあ、お疲れ様」
「うん、また明日」
特段用があったわけではないようで、まひろはそそくさと去っていった。遠ざかる彼女の背中を由希はぼんやりと見送る。
あの事件から、まひろが変わったところがもうひとつあった。
放課後、毎日どこかに出かけていくのだ。それが何なのか、由希は未だに知らない。
聞いてみたことがないわけではない。
しかし、まひろは曖昧にはぐらかすばかりで、由希も指輪の件と同様に深く追求することは出来なかった。
この件も、由希がまひろに距離を感じる要因の一つだった。
気づけば教室内はほとんど生徒がいなくなっていて、憂鬱な思考を振り払いたくなって由希も席から立ち上がった。
上履きを履き替え、談笑する生徒たちを横目に学校の外に出る。
敷地の外でもまだ話したりないのかたむろしている生徒たちの集団を見かけた。他愛ない話を、楽しそうに話している。
彼らの笑顔が由希は羨ましかった。
幼馴染という間柄にすら、距離を感じてしまっている自分にとって、疑いもなく笑いあえる彼らの関係性はただひたすら眩しい。
自分はまひろと、彼らの様に心の底から笑いあえるのだろうか。
気づけば由希は道の真ん中に立ち止まっていて、一部の生徒たちの不審な視線にさらされていた。
居心地の悪さにたまらず、由希はその場を早足で立ち去ろうとして、道脇にいる集団に目が留まった。
中央に女の子が一人。そしてその子をそれを取り囲むようにして由希と同じ制服を着た男子生徒が数人立っている。女の子は私服で、肩に穴が開いた出た灰色のトップスに短い黒のプリーツスカートをはいていて、男子生徒は彼女の脚に猥雑な視線でねめつけていた。
ただならぬ空気を感じて、由希は自然とそちらへ近づいていった。
次第に彼らの会話の内容が聞こえてくる。
「なあなあ、そんな意地悪しないでさ、俺たちと遊ぼうぜ」
「だから、興味ないですって」
女の子に不良集団が絡んでいるという、漫画でしか見たことのないような状況だった。
男数人を相手しているにもかかわらず、女の子はまったく怖気づいていないようだった。しかし逆にそれが面白いのか、不良たちは下卑た笑みを彼女に向けている。
「先輩、俺もう我慢できないっすよ」
「ああん?ったくお前は本当に変態野郎だな」
取り巻きの一人が女の子の短いスカートに無遠慮に手を伸ばそうとしした。
「やめて」
少女がそれを平手でぴしゃりと振り払った。
「て、てめえ、いい加減にしろよ」
ここまで来ても女の子はまったく恐れをなしていないようだった。
その丹力には由希も賛辞を述べたかったが、それでも状況が状況だ。
多勢に無勢という言葉がある。しかも相手は男数人だ。
由希の中に女の子を救わねばという使命感と同時に、自分が今割って入って何が変わるという思いが交錯した。
今まで何をやっても、自分は他人を不孝にしてきた。
両親と、まひろがそうなったのと同じように。
そんな弱気で情けない思考が由希の脚を止めていた。
男たちの大柄な影が、覆いかぶさるように女の子に重なった。これからの彼女の末路を暗示しているようだった。
「……ん?」
不意に、由希は不可思議な現象を目にした。
彼女に覆いかぶさっていた影が消えた。そして、少女の背後に小さな黒い物体が、ふわりと浮かび上がっている。それはどこか、獲物である男たちに敵意を向けているように見えた。
「おい、何とか言えよクソアマ!」
「女だからって許してもらえるとでも思ってんのか、こらあ!」
再び不良たちの罵声が響き、由希は我に返ると、さっきまでの自分の弱気を恥じた。
自分はただ目の前の現実から逃げているだけだ。そんなありもしない妄想で、この場をやり過ごそうとしている。割って入らない言い訳を必死に探している。
目の前で危機に瀕している人がいる。
だったら、自分のするべきことはなんだ。
ようやく固まっていた由希の体が動いた。
「お前らやめろ!」
一斉に由希に視線が集まった。
「一人相手に寄ってたかって恥ずかしくねえのかよ!」
不良たちがお互いに顔を見合わせた。
そして、あからさまに見下したような顔になった。
「あんた誰よ」
彼らの標的が完全に自分に移ったのを感じた。
一人また一人と男たちが由希を取り囲んでいく。
リーダー格らしき男が目の前に来て、ゆっくりと由希の顔をねめつけた。
「……で?それで終わり?かっこよく登場すればなんか解決すると思ったか?」
「それは……」
由希は答えようとすると、唐突に大きな衝撃を腹に感じた。
「がは……」
由希はたまらず腹を押さえて膝をついた。じんわりとした痛みが体の中心から全身に広がっていくのを感じて、由希は自身が腹部を殴られた事を理解した。
「ははは!よええでやんの!お前、俺たちのサンドバックになるために登場してくれたのか?なら、お望み通りにしてやるよ!」
今度は後頭部に衝撃。由希は自分が地面に這いつくばらされるのを感じた。
それからは男の言うサンドバックそのものだった。
痛みが襲い掛かってきた部分を庇っても、また別のところを打たれる。由希はただ痛みの嵐が過ぎ去るのを必死に待つほかなかった。
やがて永遠とも思えるような乱打が終わり、由希はぼろ雑巾のようにアスファルトの上に倒れ伏した。
痛みと屈辱と砂と血を同時に味わっていた由希は、自分の後頭部が掴みあげられるのを感じた。
リーダー格の男の歪んだ笑顔が由希の眼前に現れる。
「なあ、気分はどうだ?」
由希が喋れる状態じゃないと踏んでいるようで、男はにやけたまま続けた。
「かっこつけて人助けなんてするもんじゃあねえよ。誰も得しねえんだからよ……お前も、俺らも」
「得とか……意味わかんねえよ」
由希が口を利けたことが意外だったのか、男は一瞬目を瞠ったが、すぐに笑みが戻る。
「あの女、いなくなっちまった。お前がやられてる隙にな。お前はボコられて、感謝もされねえで助け損だ。それに加えて、俺らもお前のせいでお楽しみがなくなっちまった」
男がさらに顔を近づけてきた。低俗な視線はなぜだか、由希の心にまっすぐ突き刺さった。
「お前の行動は、誰のためにもなってねえってことだよ……これからは、分不相応な事は控えとけ」
男のただ見下すための中傷は、由希の心を思いがけず揺らした。
誰のためにもならない行動。その言葉に由希は思い当たる節があった。
両親の離婚と、まひろの変化。
それは由希にとっての泣き所で、侮辱されることで心が大きくかき乱された。
それに加えて、不良の言う通り、今助けたはずの少女の姿はどこにもなかった。
見返りを求めていたわけではないし、彼女が助かったのなら自分のしたことが間違ってはいないと、理屈ではそう思っている。
しかしそれでも、由希は自分が正しいことをしたのか自信がなくなった。
次第に、自暴自棄のような感情が由希を支配した。
そしてそれは、まるで生き物のように蠢き、自身の獰猛性をぶつける対象を探し始めた。
「とりあえず、金目のもんはっと……」
由希が暴行されている間に吹き飛んだバックの中身を、男子生徒の一人が楽し気に探っているのが見えた。
「ふざけんな……」
痛みと一緒に、普段感じることのないような感覚が上ってきて、それは徐々に強まっていった。
すると、周囲に変化が起こった。
重機が転倒し、大破したかのような轟音が響き、由希の周りのアスファルトに大きな亀裂が入った。
「な、なんだ!」
突然の出来事に、不良たちが狼狽えた。
再び巨大な音が響くと、路の脇に設置されていた電線のうち一つの根元が炸裂し、男子生徒の一人に向かって倒れこんだ。
「ぎゃあ!」
なすすべもなくその男子生徒は電柱につぶされて、身動きの取れないまま気絶してしまった。
その様子を見ても、由希の中の激情が収まることはなかった。
異常な現象はさらに続いた。次々と周りの物体がひとりでに破壊され、その余波が男子生徒たちを巻き込んでいく。
道路の壁が倒壊し、建物のガラスが割れ、止まっていたバイクのエンジンが炎上した。
「ひ、な、なんだよ……これ!」
気づけばリーダー格の男が、理解不能の状況に腰を抜かしていた。
彼の背後には車が停車していて、オイルタンクが破損しているのかガソリンが漏れ出ていた。
やがて、ガソリンが先ほど炎上していたバイクの炎に引火して――
「うわああああ」
大爆発を起こした。
聞いたことのない爆音が辺りに響き渡り、男子生徒たちもろとも周囲の物体を吹き飛ばした。
そして、その余波は由希にまで及び、
「!」
衝撃波を全身に受けて、そのまま由希の意識は途切れた。