14話
由希は人生初めての夜の店に、中年男性を追って、そして女性を伴ってという状況で入店した。
高そうだがおしりがひんやりとするソファに由希と瑠香は並んで座った。
隣の瑠香が珍しそうに辺りを見回していた。
「すごいね、なんていうか、大人って感じだね。由希君はこういうお店はよく来るの?」
「へ?なんでそう思うんだよ」
「だって、さっきの身分証明書」
瑠香が由希の財布の入っているポケットに目をやる。中には由希の偽造免許証が入っていた。
アイギスに入った時に、任務に使うだろうと言ってミントから渡されたものだった。
その時はこんないかがわしい物を使うつもりなんかなかったが、予想外の活躍となった。
「それにしても由希君って、結構不良なんだね」
「軽蔑したか?」
「ううん、むしろもっと好きになった」
「な、何言ってんだよ」
「すごく由希君らしいっていうか。無害そうな顔をして、実は結構危ないことやってるっていうの、たまんないよ」
「意味がわかんないって」
実際は由希はまひろがカードを能力で作成したものを受け取っただけだが、説明する必要もなかった。
そんなやりとりをしていると、やがてキャストの女性が現われた。
「あら、お若い二人は彼女さんと彼氏さん?」
「そうなんです」
「お、おい」
由希が否定しようとするが、瑠香が勝手に話を進めてしまった。
こういうお店に男女二人で来ることはどうなのかと考えたが、存外によくあることのようで、女性キャストは会話を進めていった。
見計らって、由希はそのキャストに尋ねてみた。
「あの、あそこの席にいる人なんですけど……この店にはよく来るんですか?」
他の客の話題にキャストは一瞬面食らったようだが、由希の示す方向を見て、
「あの男の人ね、本当にここ数日の間に店に来るようになったんだけど。これがものすごく羽振りが良くてね、昨日なんてシャンパンを5本も開けたのよ」
「シャンパン……」
いまいち相場が分からない由希だが、キャストの話しぶりでそれがとても高いものだということはわかった。
「初めて来たとき、たまたま今座ってるキャストが接客してね、それで頼むわ頼むわ。しかもそれ以降はあの子を指名するようになってさ。ああもう、私が対応してればー……って、ごめんなさいね、今のは内緒で」
我に返ったようにキャストがおどけて謝ってきたが、由希の頭の中は混乱していて、それどころではなかった。
最近得た収入とは何だろうか。
あの親子にそんな突然お金が入るような気配は感じられなかった。
なにより、奏はどうしたのだ。
こんな夜遅くに、愛する娘を一人家においてどこかの成金よろしく振舞って、一体どういうつもりなのだろうか。
由希の想いをよそに、知啓は酒をかっ食らっていた。
ますます気が大きくなっているようで、その内容が由希の元へ届いた。
「今日はたくさん飲むって決めてるんだ。邪魔な娘はもういないし、金だってたんまりあるんだからな!おい、シャンパン持ってこーい!」
由希は知啓の言葉に耳を疑った。
彼は今、何といった?
「おら、おら!さっさと持ってこないと帰っちまうぞ!」
横柄な知啓だが、金づるだからか担当しているキャストや周りのスタッフは満足げだった。その様子にますます知啓も気をよくしているようだった。
その姿はひどく滑稽に見えた。
由希は腹の底が何か嫌なものが這いまわっている感覚を覚えた。
「……あの、どうかした?」
黙り込む由希をキャストが不安げに見ていた。
「黙っちゃって。っていうか、あの人、もしかして知り合い?」
気を取られていて由希は答えなかったが、キャストはそれが肯定を意味するものと解釈したようで、あからさまに眉をひそめた。
「あちゃー、そういうパターンか。あの、本当にお願いだから、さっきの話、私が行ったって言わないでね」
相変わらずキャストの言葉は由希の耳をすり抜けていった。
由希の頭の中はただ一つ。
お前は何をやっている。
こんなところでバカなことをやってる暇はないはずだ。
娘を愛しているなら、今すぐ帰れ。
出来ないのなら、俺が無理やりにでも連れ帰ってやる。
「ちょ、ちょっと」
気づけば由希は席から立ち上がり、知啓のいるテーブルへ向かっていった。
目の前まで来て、ようやく知啓は由希の存在に気付いたようだった。
「ああん?なんだあ、お前は?」
由希の顔は覚えていないようだった。
「んだあ、てめえ。なんか文句あんのかよ?」
「何やってんだよ、こんなことで」
「見りゃわかんだろ、酒を飲んでるんだよ」
「家に帰らなきゃいけないだろ」
「はあ?なんでお前にそんなこと言われなきゃいけねえんだって」
おぼつかない呂律で知啓は由希に食って掛かる。
「奏が、家で待ってるだろ!あの子をおいて、こんなことであんたは何やってんだよ」
「……お前、まさか」
知啓はようやく由希の事を思い出したようだった。
由希は尚も詰め寄る。
「あんたさっき、邪魔な娘はもういないって言ってたよな。あれはどういう意味だ」
由希の質問に知啓は黙り込んだ。
「どういう意味だって聞いてるんだよ」
「……そのままの意味だよ」
「え?」
知啓は開き直ったような顔になった。
「奏は、もう私の元にはいない……なぜなら、あいつは研究機関へ送ったからな」
「なんだって……?」
「それと引き換えに俺は資金を受け取り、その記念にこうしてここで遊んでるというわけだ」
「この野郎!」
由希が思わずつかみかかろうとするが、突然背中から羽交い絞めにされた。
屈強な男が背中越しに、由希をがっしりと押さえつけている。恐らくこの店のトラブル担当のスタッフだろう。
由希は暴れたが、そのまま店の外にまで連れ去られてしまった。
戒めのためか、由希は思い切りみぞおちを殴られて、解放された。
やがて、店から出てきた瑠香が由希に駆け寄ってきた。
「大丈夫、由希君?」
心配そうな様子の瑠香に答える気力は、今の由希にはなかった。
由希はアイギスのアジトに帰還すると、ミントとまひろに事の顛末を報告した。
「……ひとまず、状況はわかったにゃ」
苦々し気にミントはつぶやく。隣のまひろも沈鬱にうつむいている。
その様子から答えはわかっても、由希は尋ねずにはいられなかった。
「奏はこの後どうなると思いますか?」
一瞬躊躇したような顔をしてからミントは答えた。
「仮に父親が言った通り、研究所に身売りされたというならば……人体実験をされるにゃ」
由希は言葉を失った。
「オーナーはまだまだ未知の部分があるからにゃ。性質から危険性まで、ありとあらゆる実験がなされるはずにゃ……それに奏の場合はもっとひどい可能性があるにゃ」
由希の代わりをするように、まひろが尋ねた。
「……それはどうして?」
「聞くところによると奏の能力は回復系の力にゃ。これは医療分野を始めとして、様々な分野に応用が考えられるものにゃ。だからこそ、研究機関は頭の先から足の爪の先まで奏を調べつくすにゃろう……父親に対して金額もかなりのモノを用意しただろうから、意地でも回収しようと考えているはずにゃ」
ミントが告げる事実に、由希は眼の前の風景がゆがんだような気分になった。
そして後悔が訪れる。
「俺のせいです」
「にゃ?」
「俺が保護しない方がいいなんて余計な事を言ったから」
「由希……それをいうなら、悪いのは、私」
まひろが庇う様に割って入った。
「一緒に同行していた私が、こういうことになると由希にちゃんと説明できていなかったから」
「いや、それでも俺が……」
「由希の言うとおりにするべきだと、私が考えてしまった」
「だから、俺がいなければこんなことには……っ」
「やめるにゃ、お前たち」
今まで聞いたことないするどい口調でミントが二人を静止した。
「お前たちは悪くないにゃ。最終的な判断は支部長である私が決めたのにゃ……由希、お前は責任を感じる必要ないにゃ」
「……でも!」
「今日のところはここまでにゃ。今は帰って寝て、それからまた考えればいいにゃ」
語尾は相変わらずだが、にべもない様子のミントに、由希とまひろはしぶしぶ部屋から出た。
地下から出て、家路を由希とまひろは並んで歩く。
先ほどのミントの言葉もあって由希は黙っていたが、耐えきれない様子でまひろが口を開いた。
「大丈夫?」
「……大丈夫、でもないな」
「ミントさんも言ってたけど、由希は悪くないわ。間違っていたとも思わない」
「でも、結果的に間違った」
蒸し返されると、由希も次々に言葉が腹の底から言葉が湧いて出てくるようだった。
「あの時、俺が余計なことを考えずに奏を保護していれば、彼女は研究室に引き渡されることもなかった……それになにより」
痛みを伴いながら、由希は言った。
「それに何より悔しかったのが……知啓が奏を思う気持ちが嘘だったこと」
由希の頭に今でも焼き付いている、二人の笑顔。
そこに由希は硬い絆を感じた。
そしてそれは、由希にとってもよりどころとなっていた。
由希が両親に置いていかれても。この前瑠香から聞いた、彼女の家庭での悲しい思い出を聞いても。
知啓と奏のような親子はいるのだと。
それを信じていたかった。
「俺は……これから何を信じていけばいいんだ」
「……由希」
まひろが不意に、由希の肩に手を置いた。
由希はまひろが自分を慰めてくれているのだと考えた。
しかし、まひろの口から出たのは予想外のものだった。
「まだ、終わってないわ」
「え?」
由希は思わず顔をあげた。
「どういうことだよ」
「だから、連れていかれたからって、奏は死んでしまったわけじゃない」
先ほどとは違い、まひろの目には確かな輝きが灯っていた。
「奏を返してって研究所の人にお願いするの」
「そんな……返してくれるわけないだろ」
「だったら奪い返せばいい」
力強い言葉に由希は目を瞠った。
「奏は消えてしまったわけでも、死んでしまったわけでもない。ただ一つ間違いなく言えることは……父親の帰りを待っているということ」
まひろの声音に迷いは感じられなかった。
「由希は、どうしたい?由希にとって、自分がするべきことは何?」
「それは……」
「さっきも言ったでしょ……私は由希のやった事が間違っていたとは思わない。由希が迷ってるなら、私が由希を導く」
「まひろ……」
幼馴染の力強い言葉に、由希の心に熱が灯った。
そうだ。どうしてこんなところで悲観している暇があるのか。
正しいと決めた道が、少し曲がっていたくらいで進むのを諦めるなど、そんなバカげた話があるか。
自分のなすべきことをやる。
それだけだ。
「ごめん、まひろ。俺、どうかしていたよ……そうだ、奏を取り戻しに行こう」
「ええ!」
二人で決意を固めたところで、由希はふと思った。
「でも、研究所なんてどうやって探せばいいんだ」
「そんなの簡単」
「え?」
「本人に聞けばいい」
「お、おい、まひろ!」
さっさと歩き出すまひろに由希は慌ててついていった。




