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9話

 ミントとの初訓練の翌日、由希は数日ぶりに登校した。

 そこまで久しぶりというわけではないのに、なんだか何年も不登校になっていたような気持ちになった。

 相変わらず無邪気で、悩みのなさそうなその笑顔。

 由希はそんな彼らを見つめながら、おやと思った。

 今までは忌避していた喧噪を、どこか心地よいと感じている自分に気付いたのだ。

 日常の安心感。変化がないということの頼もしさ。

 激動の数日を経て、由希の心境は確実に変化していた。

 それを自覚すると同時に、由希は今までの自分が恥ずかしくなった。いかに勝手で、独りよがりだっただろうか。

 よし。今日は、久しぶりに誰かに話しかけてみよう。

 ……どうやって声を掛ければいいのだ?

 クラスにはグループが既に形成されている。

 その輪の中にいきなり入るということは簡単なことではない。

 人と話すこと自体は苦手ではない。初対面の人間でも割と喋れるし、一対一の会話になれば、特に苦手意識はない。

 本当だ。

 しかし、出来ているコミュニティに入るということは格段に難易度が上がるのだ。

 もしかしたら、先日少女を助けようと不良の中に割って入った時より、しんどいかもしれない。

 気づけば、由希は手にじっとりと汗をかいていた。心臓も未だに不規則に脈打っている。

 せめて、なにかきっかけがあれば……。

 そんな由希に神が微笑んだのだろうか。

「世良くーん」

「は、はい!?」

 教室の扉の方から、クラスの男子が由希の事を呼びかけていた。

 このチャンスを逃すまいと由希は勢い良く立ち上がり、その男子の場所へ駆け寄る。

「どうしたの、俺になんか用かい?」

「お、おう」

 やたらと意気込む由希に、その男子生徒は明らかにたじろいでいた。

「その、世良君の事を呼んでくれって言われてさ」

「え?」

 予想とは違った男子生徒の返答に由希は面喰った。そして男子生徒が指さす方に視線をやると、

「や、元気?世良由希君」

 そこには、不良に絡まれてるところを由希が助け、そして後日、あろうことか由希に突然襲い掛かった、あの少女がいた。

 由希は少女を引っ張るように階段を昇り、最上階の扉、つまり屋上の入口にたどり着いた。

 気分が乗らない時に一人になれる屋上が由希は好きだった。

 慣れた手つきで、屋上の扉を開ける。

 少女を振り返ると、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。

「由希君って意外と強引なんだね。こんなとこに連れ込んで、私何されちゃうんだろうなあ」

「いいから、誰も来ないうちに」

「いやん」

 そういいつつ、少女は特に嫌がる様子もなく、屋上に足を踏み入れた。

 由希は念のため先客がいないことを確認して、ほっと息をついた。

 さて、聞きたいことはたくさんある。

 まず一つ目は、

「どうしてうちの制服を着てるんだ……君はこの学校の生徒だったのか?」

 少女はなぜかこの学校の女生徒と同じ制服を着ていた。

 しかし由希は少女に見覚えはなかった。もちろん、全校生徒の顔を覚えているというわけではない。

 先日感じたが、少女のルックスはかなりのものだ。整った顔立ちに、メリハリのあるスタイル。これほどの容姿なら噂くらいは流れてくるはずだった。

 そんな由希の考えを他所に、少女は嬉しそうに両手を広げた。

「ううん、違うよ。これは、うちのリーダーに作ってもらったの。えへ、似合う?」

 少女はその場でくるりとまわった。短いプリーツスカートがふわりと舞い上がって由希は慌てて眼をそらした。

「リーダーっていうのは?」

「そんなの決まってるじゃん。あたしたちのチームのリーダーだよ」

 少女の答えに、先日ミントに聞いた話が蘇った。

「チーム……君のいうチームっていうのはやっぱり……」

「待って、その君っていうの、やめて欲しい」

 少女に指摘されて、由希はようやく、未だに彼女の名前を知らないことに気付いた。

「遊佐瑠香。私の名前だよ」

「そ、そうか。じゃあ、えっと……遊佐さんは」

「も―、違うでしょ!」

「え、ええ?」

「瑠香って呼んで」

「は、はあ?」

 突然そんなことを言われて由希はかなり動揺した。

 初対面の女の子を下の名前で呼ぶ度胸は由希にはなかった。

 そもそも、下の名前で呼べる女の子は、小さい頃から見知っているまひろくらいなものだ。

「そ、そんなこと、いきなり言われても困るって」

「えー、じゃあ大きな声出すよ?屋上にいきなり連れ込まれて乱暴されそうになったっていうよ」

「それは勘弁して……」

「じゃあ、呼んで。3、2、1、はい……って、こらー!」

 瑠香のカウント虚しく、由希は口をパクパクさせるので精いっぱいだった。

 そんな由希が哀れになったのか、

「分かったよ……じゃあ、今日のところは瑠香ちゃんで我慢するよ。それ意外は絶対に却下だから」

「それも、ちょっとなあ……」

 すると、瑠香は突然階段への扉を開いて大きく息を吸い込んだ。

 大声をあげるつもりだと理解した由希は慌ててまくしたてた。

「る、瑠香ちゃん、わかった、わかったから叫ぶのはやめて……」

 瑠香は満足そうな顔になった。

「よくできました!じゃあ、そろそろ由希君の質問に答えようかな」

「やれやれ……それで、何の目的で学校に来たんだよ」

「由希君、アイギスに入ったんでしょ?」

「な……っ!」

 唐突にその単語が出されて、由希は体が一気に緊張するのがわかった。

「どうして、それを?」

「そりゃあ、敵勢力の動向は常に目を光らせてるからね。それで、多分もうアイギスの人に聞かされたでしょ。私の入ってるチーム……CSは敵だって。だから、今日はいわば敵情視察」

「まさか……ここでやるっていうのか」

「ん?」

「学校のみんなを人質に、俺と戦おうっていうのか?」

「……ぷっ!あは、あははは」

 唐突に、瑠香が腹を抱えて笑い出した。

「何言ってんの由希君、そんなわけないじゃん」

「どうしてそう言えるんだ」

「由希君はまだ力を使いこなせていない」

「でも、この前は」

「あれは、ただのまぐれ!」

 突然ムキになって反論する瑠香に、由希は面喰った。とはいえ、先日のミントとの訓練では一度も発動させられなかったというのも事実だった。瑠香の言う通り、使い物になるとはとても言えなかった。

 瑠香が由希にゆっくりと近づいて来た。

「あのね、由希君は、私にとって怖くもなんともないんだから。わざわざ人質なんて取らなくても、この場ですぐに殺しちゃうことだってできるんだよ」

 見つめられて、由希は顔をそらす。視線の先にある瑠香の影が揺らいで、質量を持って浮かび上がった。

 瑠香に襲われた夜に見たものと同じだった。

 それは複数個に分裂し、瑠香と一緒に由希を見物するようにゆらゆらと浮かんでいる。

「この子たちを操って由希君の体を穴だらけにすることだってできるんだから」

 瑠香の言葉は真実味を帯びていた。

 何もされていないというのに、腹の底を引き絞られるような重圧を感じた。

「由希君の体をこの子達で貫いたら、どんな声を出すんだろうなあ……想像するとドキドキしちゃう」

 黒い物体はついに、由希の目と鼻の先まで近づいてきていた。

 由希が最後の抵抗でその影たちを睨みつけていると、

「なーんてね、冗談だよ」

 彼女の言葉と同時に、由希の目の前の影がかき消えた。

「あはは、びっくりした?」

「あたり、前だろ」

 一触即発の状況から解放されて、由希は大きく息をついた。

 そんな様子を瑠香は楽しそうに見つめながら、

「それはそうとして、さっきの話は理由の半分」

「……ん?」

「今日は、由希君に会いに来たんだよ」

 またもや瑠香が可笑しなことをいう。

「だから、瑠香ちゃんがどうして俺に会いに来るんだって」

「私、由希君が好きなの」

「は、はあ!?」

 瑠香の爆弾発言に、由希は耳を疑った。

「す、好きってなんで」

「だって私の事、二回も助けてくれたじゃない」

「それは……なんていうか、反射的にというか」

「それでも、私すっごくドキドキしたんだよ。見ず知らずの私のために、体を張って助けてくれようとしてくれるなんて、そんなの久しぶりだったから」

 少女は本心から言ってるようだった。

 その真剣さに、由希は心臓の鼓動が早まるのを感じた。

「それに、名前もなんとなく似てるしね」

「……やっぱり、からかってるんじゃないか」

「ええ、そんなことないよ」

 瑠香は由希の腕に絡みついて来た。

「ちょ、ちょっと」

「ねえ、由希くーん」

 柔らかな感触が纏わりつくように、伝わってくる。

 由希は顔が熱くなるのを感じ、赤面した状態を見られるのが恥ずかしくて、

「ホント、勘弁してくれって!」

 思わず瑠香を強く振り払ってしまった。

「きゃあ!」

 瑠香が盛大にしりもちをついた。由希はあわてて駆け寄る。

「ご、ごめん、大丈夫」

 由希は彼女に手を貸そうとすると、

「あっ」

 座り込んでいる彼女のスカートから下着が見えていた。

「どうしたの?」

「ベ、別に」

 由希は慌てて目線をあらぬ方向に向けてごまかすが、瑠香は察したように脚を閉じた。

「……もう、エッチ」

「……たまたま見えちゃったんだよ」

 頬を微かに染めながら瑠香は立ち上がり、制服についた砂埃を落としながら、

「でも、この前会った時も私の体じろじろ見てたよね」

 そういわれて、由希は瑠香に襲われた時に、その服装で不良に絡まれていた女生徒と同定したことを思い出した。

「あれは別に、むしろ、目立つ服を着てる方が悪いんじゃないか」

「ええ、冗談だったのに本当に見てたの?」

「そ、それは……」

「やっぱり、大きな声出そうかな」

「そ、それはやめてくれ!」

「あはは、嘘だよ、嘘」

 瑠香は制服を整え終わると、気を取り直したように言った。

「とにかく、今日はお話できてよかった」

 言いたいことを言い終えたのか、あっさりとした感じでドアの方へ駆けていった。

「また会おうね、由希君」

「お、おう」

 言い残して、瑠香は去っていった。

 一人取り残された由希は大きなため息をつき、その場に座り込む。

「なんか、どっと疲れた……」

 朝の授業はとっくに始まっていたが、由希はしばらくその場から動くことが出来なかった。

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