第捌話(作者:弓良 十矢 No War)
「ちえりさん!! 来て!!」
はっとして、居林ちえりは我に返った。
今の声は、娘の……義理の娘の珠理だ。あんなふうにわたしのことを大声で呼ぶなんてめずらしい、と思いながら、ちえりは本棚の埃を払っていた手を停め、急な階段をおりていった。
ちえりは二年前、とある男性と知り合った。居林克也、というひとで、知り合ったきっかけはお見合いだった。
ちえりは当時、二十四歳。大学を出て地元の不動産会社で事務をしていたのだが、そこの社長から是非にと云われたお見合いだった。ほとんど業務命令である。ちえりに断るという選択肢はなかった。
成人式で着た振袖をひっぱりだし、お見合い先のホテルへ向かうと、やけに押し出しのいい女性が社長と話していた。どうやら、相手がお得意さんかなにかで、断れなかったのは社長も一緒らしい。ちえりがそう考えていると、お見合い相手があらわれた。
優しそうだけれど好みではないな、というのと、思ったよりも歳だな、が克也の第一印象だ。ただ、いやだなとか、このひととの結婚はありえない、とまでは考えなかった。
克也はその時、三十六歳で、ちえりとはひとまわりも年齢が違う。しかも、数年前に離婚し、娘も居るという。
社長がへいこらしていた女性は克也の姉で、そのひとが克也にかわってそんな事情をぺらぺらと教えてくれた。克也は項垂れていて、どうやら姉のそういう行動をはじているらしかった。
克也の姉の目的ははっきりしていた。要するに、克也の身の回りの世話をしてくれる女性、ついでに克也の娘の面倒を見てくれる女性がほしい。その為には結婚させるのがてっとりばやい。それが口に出された訳ではないが、ちえりにはしっかりと伝わった。
居林家はかなりの土地持ち、かつ名士であるらしい。多くの事業を展開してもいる。克也の姉はそんなようなことも喋りまくった。そこと縁付けば、ちえりにとってもいい話である、というような論調だ。ちえりは猛烈なお喋りに辟易したのだけれど、克也自身の印象は悪くなく、ふたりで庭を散歩しているうちに悪くもないなと思うようになった。
彼とは趣味があったのだ。克也は国内外のファンタジー小説や映画を愛好していた。ちえりもそうだ。どうやら、それが原因で離婚されたようだ。ついでに、社長がちえりにお見合いの話を持ってきたのもそれが理由だった。
ある小説の初版本を持っていると聴いては、ちえりはその場で付き合いを断れなかった。
克也もちえりを憎からず思っていて、ちえりはその後、克也からそれなりに熱量のあるアプローチをされた。ちえりは趣味の合う男性と知り合ったのがほとんど初めてだったのもあって、だんだんと克也にひかれていった。娘が居るそうだけれど、もう小学四年生だというし、あたらしい母親が来てもそこまで拒否反応は示さないだろう。それになにかあってもこのひとが居てくれるし……と、ちえりはお見合いから一年目で、克也のプロポーズをうけた。
だが、現実はそんなに簡単ではなかった。
克也の娘の珠理は、ちえりに対して面と向かってなにかを云うとか、反抗的な態度をとるということはないのだが、家族になって一年経った今でも態度はよそよそしい。お母さん、と呼んでくれたことはない。
珠理を生んだ母親・亜由美が、そう遠くないところに住んでいるのも、問題を大きくしていた。珠理はちえりになにか反発を感じると、すぐに荷物をまとめて、「本当の」母親のところへ行ってしまうのだ。ちえりはその度に、克也の元妻である亜由美に電話で謝り、「娘が遊びに来るくらいなんでもないから気にしないで」と鷹揚な態度をとられていらいらしている。実際、亜由美にとって珠理は実の娘だし、遊びに来るのは嬉しいことだろう。だが、「あなたの娘ではない」と強調されているようで癇に障る。
今現在、ちえりと珠理は緊張状態にあった。克也が仕事で海外に行って、すでに一月経過している。その間に夏休みに突入し、義理の母子はお互いにさぐり合うようなやりとりしかしていない。
克也の出張が始まってから、珠理が亜由美のもとへ行った回数は二回。昨日も、箸の持ちかたを注意して、険悪な空気になったのだが、珠理は部屋に閉じこもっただけだった。亜由美があたらしい夫との旅行で市内に居ないからだ。今、亜由美の家に行っても、誰も居ない。
珠理がちえりを呼ぶとなったら、なにか大事が起こったとしか考えられない。宅配便が来たくらいならあの声量は出さないだろう。ちえりは、もしかして充子――克也の姉――が来たのだろうか、と思った。あのひとに関しては、ちえりも珠理も同程度に苦手にしていて、流石の珠理もちえりが充子に対応していると、ありがたそうに部屋へひっこむのだった。
「どうかしたの? お客さま?」
珠理の声がしたのは、親戚が断りもなく侵入してくる中庭だったので、ちえりはそちらへ向かった。フランス窓から中庭へ出ると、丁度居間の裏にあたるところから、珠理が手招きしている。珠理はあと数ヶ月で中学生なのだが、そうは見えないくらいに小柄だ。
「ちえりさん、はやく」
もしや怪我でもしたのか、と慌てて駈け寄って、ちえりは足を停めた。
マネキン……?
マネキンが数体置いてある、と思った。外壁に寄り掛かって座るような格好だ。どれも女性のマネキンで、ドレスを着ているものもあれば乗馬服のようなものを着ているものもある。そのどれもがうす汚れ、どういう訳だか怪我をしたみたいに血のりで細工されているものまであった。誰がこんなところにマネキンを捨てたんだろう! すぐに業者を読んで、撤去してもらわなくちゃ……。
「珠理ちゃん、汚れてるみたいだから触っちゃだめ」
「ちえりさん、なに云ってるの?」
「どこから持ってきたんだろう、こんなの。オバケ屋敷かな? 業者さんを呼ぶから、ケータイ持ってきてもらえる?」
ふわふわっとした綺麗なピンクブロンドで、ばら色の頬の、西洋人形をそのまま大きくしたような、ふんわりしたドレスを身にまとったマネキンが突然立ち上がった。
「ちょっと、どうして前世の世界なのよ……」
ちえりは驚いて、気を失ってしまった。
「あんがとう。珠理、あんた気がきくわね」
「ううん……ちえりさん、大丈夫かな……」
「大丈夫だいじょうぶ。わたしが治療したもん。あー、久々に飲んだけどやっぱりこっちの世界の炭酸ってサイコー」
ちえりは頭痛に顔をしかめながら、上体を起こした。
一階にある書斎の、カウチの上だ。ブランケットが滑って床へ落ちる。「あ、ちえりさん」
「気分はどう? 一応、治療はしといたけど、具合悪いんなら病院」
「あなた達誰?!」
ちえりはカウチを飛び降り、眩暈でふらついた。珠理が炭酸飲料の缶を置いて、慌てた様子でやってくる。「動かないほうがいいよ。ちえりさんさっき、頭を打ってたから」
頭を打った。それならこれは、その所為で幻覚でも見ているんだろうか。
ちえりは顔をあげ、書斎の椅子やソファに腰かけ、また本棚傍に置いてある踏み台に座っている女性達を、しっかりと視野に捉えた。
マネキン、と見えたのは、どうやら全員生きている女性だったようだ。その誰もが整った顔立ちで、抜群のプロポーションをしていて、十代後半から二十代前半くらいで、奇抜な格好だ。アニメやゲームのキャラクターの格好をしている、といわれたら信じるかもしれない。
ちえりを治療した、と云っているのは、濃紺の地に金の刺繍がいたるところにほどこされた、ふわふわひらひらしたドレスの女性である。ピンクブロンドは少々つやがないが、たっぷりとして長さもあり、椅子に座った彼女の足許に垂れていた。西洋人形の特に上等なもののような、特に整った顔をしている。
その隣には、乗馬服のような格好の女性が立っている。なに素材かわからないケープを肩につけて、その上物騒なことに、拳銃に似た形状のものがはいったホルスターを身につけていた。大きな瞳で、驚いた表情でちえりを見ている。
ソファには、漢服らしきものを身にまとった女性ふたりが、身を寄せ合って座っていた。ちえりに近い側に座っているのはまっくろの髪を凝った形に結い上げている女性で、ばっちり化粧もしている。奥に居る女性は布で頭を隠していて、おそらく女性であること、しかわからない。どちらも顔立ちはアジア系で、よく似ている。その傍にやはりアジア系の、布の塊みたいに服を着込んだ女性が座りこんでいた。床に。
本棚傍の踏み台には、いったいどれだけの手間をかけたのか、水色と紺色と紫のグラデーションの長い髪を垂らした女性が座っていた。トーガのような格好だ。金と真珠の華奢なブレスレットを両腕につけ、頭にも金と真珠の髪飾りを幾つもつけている。オリーブ色の肌で、髪と同じ色の眉がくっきりしていた。少々男っぽい顔だが、美人の範疇にはいる。
ちえりは姿勢を正し、口を開いた。が、なにか云う前に、ピンクブロンドの女性が云う。
「魔力の節約をしたかったから、お水、借りたわ。これで勘弁してくれる?」
彼女は左手にはめていた金の指環をとって、傍のテーブルへ置いた。ちえりは出端をくじかれ、頷くしかない。そういえば、さっき見た時はそれぞれ、顔に泥や血がついていたのだが、今は皆、顔は綺麗になっている。魔力?
ピンクブロンドは脚を組み、ふーっと息を吐いた。
「ありがとう。……なのるのが先だったかしら? わたしはセダ・アレクシアよ。男爵家の……っていっても、こっちの世界ではそんなの関係ないけど」
「は……?」
「で、この子はミリーっていって、わたしとはまた別の世界の出身。こっちの言葉はわからないからわたしが通訳するわね。あ、A級の冒険者なんだって。それはしっかり伝えてほしいみたい」
ミリー、というのは、例の物騒なものを持っている子だ。セダとなのったピンクブロンドがなにか云うと、満足げに頷く。
セダはちえりが茫然としているのも構わず、腕を振りながら次々と女性達を紹介する。
「この子はアグネテ。海洋国家の出身で、聖なるものにつかえてる巫女。こっちのふたりは双子で、髪を結ってるほうが保林で姉。向こうが八子で妹。どちらも皇帝の後宮に居たんだそうよ。床に座ってるのは金月族の長のユゥ」
床に座った女性が立ち上がり、なにか云いながら、礼拝のような動作をした。セダが肩をすくめる。
「飲みものをありがとうって」
「飲みもの……あ」
女性達のうち数人は、炭酸飲料の缶を持っていた。
珠理がちえりの腕をひっぱり、ちえりは我に返った。珠理を仰ぐ。「珠理ちゃん、このひと達は? お友達?」
それしか考えられない。だからそういったのだが、珠理はちえりの発言にがっかりしたみたいだった。
「違う。今セダさんが説明してくれたでしょ。六人は別の世界から来たんだよ! お父さんとちえりさんが読んでる本みたいに!」
「なんか、すっごい便利になってるわねえ」
セダが感心したように云う。
ちえりはカウチに逆戻りしていた。頭痛がおさまらないのだ。
珠理はケータイを耳にあてて、アグネテと双子に身振りでなにか話しかけている。ミリーとユゥは本棚から好き勝手に本をとりだして、ぱらぱらとめくっていた。
セダはTVをつけ、リモコンをいじっている。「すっごい。番組表も出るんだ。わ、字幕つくの? へえー」
「セダさん、マルゲリータでいい?」
「照り焼きチキン!」
セダは珠理にそう云って、ニュース番組にチャンネルを合わせ、ちえりの傍までやってきた。うんうん唸るちえりの額に手をあて、そっと撫でてくれる。そうされただけで不思議と気分が落ち着いてきた。
もうそろそろお午だ。ちえりがカウチから動かないので、珠理はピザを出前することにしたらしい。六人の分も。
ピザはすぐに配達され、珠理がいそいそとピザの箱をあけた。セダがよだれをたらさんばかりの顔で、ピザに手を伸ばす。六人+珠理は、楽しそうにピザを食べはじめた。
珠理が紙皿にふた切れ、ピザをとり、もって来てくれる。
「ちえりさん、どうぞ」
普段ならこんな会話もしないのだが、珠理の機嫌はよかった。ちえりはクッションに体を預けたまま、お皿をうけとる。「ありがとう」
「ねえ、セダさん達、しばらく泊めていいよね」
ちえりは唸る。珠理はそれを、承諾と捉えたようだ。
いつの間にか眠っていたらしい。目が覚めると、随分楽になっていた。もう頭痛もない。
「あら、おはよう」
……夢だったら、と思っていたのだが、セダはカウチの傍に椅子を置いて座っていた。白魚のような指で髪をすいている。膝の上には珠理が与えたのだろう、ノートとペンがあった。
ちえりは体を起こす。珠理がソファで眠っているのが見えて、ほっとした。残りの五人はどこに居るんだろう……。
ちえりの気持ちを感じとったか、セダは云う。
「五人なら、客間をかしてもらってる。悪いけどね。あの子達、疲れてるの。わたしは丈夫だから問題ないんだけど、世界を渡ってきたのが体に負担みたい」
「……あの、それって、冗談ですよね?」
セダは肩をすくめ、ぱっと、掌を上にして右手を出した。
掌の上に、ふわっと光があらわれる。豆電球みたいだ。それはすぐに消えた。
ちえりはセダを見る。セダは手をひらひらと振った。「こんな感じで、魔法をつかえるんだけど、こっちの世界が幾ら便利になったからって、流石に魔法までは開発されてないわよね?」
ちえりは冷めてチーズがかたまったピザを食べている。セダはノートにペンでなにか書きながら、ことの経緯を話してくれた。
セダは「この世界から別の世界にヒロインとして転生した」そうだ。そこで「攻略対象の王太子」といい感じになり、王太子の婚約を破棄させて自分が王太子妃になる筈だった……のだが、婚約破棄の場面に邪魔がはいった。謎の、うさぎのような犬のような生物・もふモッフィーと、それを追ってきた男達だ。
「魔法騎士団、とかなんとか云っててさ。わたしの世界にはそういう組織はないのよ。騎士団はあったけどね。騎士団長がイケメンで」
「はあ」
「魔法院ってのもあって、そこで魔法を勉強してたんだけど、……正体不明のわけのわかんないやつらが来ちゃって、現場は大混乱。しかもわたしは、ほら、可愛いじゃない?」
随分自信満々だが、実際可愛いので、ちえりは頷いた。セダはにっこり笑う。「そうそう。だから、その魔法騎士団ってなのってるやつらが、王さまへの捧げものにしようとかなんとか云って、わたしさらわれちゃったのよね」
「えっ」
「しかもそいつら、世界を移動する技術を持ってて、もふモッフィ―のヒュンタっていうのを捕まえる為にどんどん移動を繰り返すのよ」
なんと云ったらいいのかわからない。ちえりは顔をしかめる。
セダは髪をくるくると指でいじった。物憂げに頬杖をつく。
「で、移動先に美人が居たら、やっぱりさらう。その繰り返し」
「でも……」
「ええ。逃げたのよ、わたし達」セダはくすっと笑った。「あいつらばかなんだ。わたしの魔力を舐めてたのよね。それに、組み合わせが最高だったわ。ミリーは防護魔法っていう体をまもる魔法をつかえるし普通に強い。双子は自分の魔力をひとに渡すことができるし、ユゥは魔法はつかえないけど素手でも凄く強いの。で、アグネテは呪いとか封印魔法とか、そういうのがまったく効かない。わたし達、魔力を封じる魔法をかけられてたんだけど、アグネテがそれを全部解除してくれて、ユゥとミリーが魔法騎士団をぼっこぼこにして、六人で逃げたのよ。丁度ヒュンタが居たから、一緒にこっちへ来ちゃった」
ちえりは口のなかに残っていたピザをのみこみ、セダがくれたハンカチで手を拭いた。ハンカチには繊細なレースが縫い付けられており、アルファベットに見えなくもないがなんとなく違う文字でなにやら刺繍が施されている。
ちえりは頷く。とりあえず……納得はした。セダが幾つか、魔法を見せてくれたし、それは「マジック」で片付けられるようなものではなかった。ついでに、彼女が「水のお礼」と云っていた金の指環は本当に金で、なにかの詐欺だとしたら効率が悪すぎる。
「じゃあ……えっと……警察は? まもってくれると思う」
「無理よ無理。あいつら訳のわからない魔法をつかうの。わたしが学んだものとは系統が違う。アグネテの知ってる魔法とも違うし、双子の遣う魔法はまた別の系統だしね。ミリーのものが一番近いみたいなんだけど、あの子は魔法に特化してる訳じゃないから。わたしが言語魔法をつかえるから、あの子達の通訳もできてるんだけど、世界移動の技術は流石に誰も持ってないし。多分、空間移動の術式の転用だとは思うのよね。けどあれって最高学年にならないとくわしく勉強しないし、エリスさまに負けないようにレベル上げのほうを優先してたから、空間移動のことはうっすらしか覚えてなくて……さっきから思い出そうとしてるんだけど……」
セダはそう云って、溜め息を吐いた、膝の上のノートには、なにやら複雑な模様や、文字らしきものが書いてある。魔法陣に似ていた。
セダは困っているようだし、愛読しているファンタジーもののような展開に、ちえりは少々ぼんやりしていた。
「あの、戻るめどが立つまで、ここに居る? あんまりたいしたおもてなしはできないけど」
セダがはっとちえりを見て、本当にありがたそうに、ありがとう、と云った。
「ちーえーりーさーん! 珠理ちゃーん! こんにちはあ!」
充子の声に、ちえりと珠理はあわてて玄関へ走った。廊下でぶつかり、お互いに謝って、手をつないで玄関へ至る。
「充子おばちゃん」
「おねえさん、お久し振りです」
「はいこんにちは。あらあ珠理ちゃん、可愛い髪型じゃないの! ちえりさんにしてもらったの?」
珠理は双子にあみこんでもらい、アグネテの髪飾りを付けた髪に手を伸ばし、ごまかすように笑った。充子はおほほと高笑いし、両手に提げた紙袋を置く。克也とだいぶ年が離れているので、それなりの年齢なのだが、充子は腕力も気力も衰え知らずだ。
「はい、珠理ちゃんにと思って沢山持ってきたのよ、お洋服! こっちがちえりさんのね」
運転手の男性が、表に停めてある車から紙袋を運んできた。充子はアパレル会社を営んでいて、一月に一回は「珠理に」「ちえりにも」と新品の服を持ってくるのだ。
正直、置く場所もあまりないし、克也がそれでいいというので、ちえりは特に気にいったものでもない限りそれらを寄付にまわしていた。珠理も、面倒なだけだったのだが、今はありがたい。六人もの妙齢の女性が突然同居することになって、充子の持ってくる服が頼りだったのだ。
ちえりは充子に、用意しておいたお菓子とお茶を出し、長話に付き合った。三十分くらい喋りまくった充子は、思う存分喋って気分がよくなったか、運転手の男性を呼びつける。「靴があったでしょ? 後であれも運んで頂戴。ちえりさん、今日は楽しかったわあ。あたくし、これからお茶会なの。後で靴も届けさせるから、ぜひ履いてみてね。感想待ってるから」
「はい」
甲高い声をあげて、「お客さんが来たら隠れて」とセダを通じていい含めていた筈の双子が応接間に這入ってきた。
双子は充子の足許に身を投げ出すようにして、なにか喚いている。充子の手を握って、目には涙を浮かべていた。
さすがの充子も、突然のことに言葉もないらしい。口を半開きにして黙っている。
「失礼しました」
はっと出入り口を見ると、セダが優雅にお辞儀して這入ってくるところだった。昨日と違い、ちえりの服を着ているので、西洋人形のような雰囲気はうすれている。だが、やはりマネキンのように見えた。現実離れした美人なのだ。
セダは双子を促して立たせ、なにか云う。充子が凍結から復活する。「あの……ちえりさん? こちらは?」
「あの、わたしの知り合いの親戚のかたで、セダさんといって、留学生なんです」
「はじめまして」
セダがお辞儀すると、充子はああ、と頷いた。納得したようだ。
セダとは相談していた。居候するにあたり、どのような理由をつけるかを、だ。
ちえりは大学時代、イギリスへ短期留学したことがあったので、そこでの知り合いの親戚が日本へ留学した、ということにした。ミリー達はセダの学友でやはり留学生という設定だ。日本語がわからなくても、それなら違和感は少ない。
打合せ通りの説明に、充子は案の定納得した。
「まあ、まあ、いいわねえ。あたくしも昔ポルトガルへ留学したことがあったのよ。あちらはワインがおいしくて……」
やはり、ちえりの服を着た双子が、充子を見てセダに喋りかけている。充子が気遣わしげ云った。「その子達はなんて云ってるのかしら?」
「奥さまが、亡くなったおねえさんに似ているんだそうです」
セダが説明すると、充子はまああ、と云って立ち上がり、双子の手を掴んだ。「あら、そうなの、おねえさんが……お気の毒に……」
双子は充子にしがみつき、充子は意外にも、いやがらなかった。
あんまり多いと大変でしょうから、あれだったら何人か預かってもいいわよ、といいのこして充子が帰り、ちえりと珠理はほっと息を吐いた。
「よかったね」
「そうね」
頷いてからちえりは、さっき珠理と手をつないだことを思い出した。手をつないだのは初めてのことだった。母親として認めてくれているかはビミョーだけれど、共犯者としては合格みたいね。
充子の持ってきた服はちえりのサイズなので、セダ達では少々腰回りがだぼつき、胸の辺りは窮屈そうだった。アグネテのプロポーションが一番もの凄くて、あうズボンは一本もない。わたしが普通なんだけど、と思いながら、ちえりはちょっと悔しい。
「ありがとう、ちえり」
ミリーがホルスターをジャケットの下に隠しながら、ぎこちなくお礼を云ってくれた。セダ以外の残り四人もだ。セダはと云えば、パンプスを履いたりスニーカーを履いたりしている。
「ちえり、あんた足だけはお姫さまみたいに可愛いのね。わたしのサイズがないわ」
「ねえ、靴を買いに行こうよ、ちえりさん」
珠理がなにか期待するようなまなざしをくれた。ちえりは微笑んで頷く。
お金の心配はない。ちえりには独身時代のたくわえが幾らかあったし、セダやアグネテが自身が身につけていた宝飾品を資金源として提供してくれた。
とはいえ、異世界のものを売るのももったいなく感じたので、ちえりは自分のお金を出して、セダ達が履ける靴を買い、必要そうなものを入手した。
ちえりと珠理は、六人をつれて、よく食事に行くレストランを訪れた。克也のおきにいりの場所で、魚介料理が絶品だ。「あら、美人さんばっかりつれて。どうしたんです、居林の奥さん」
「知り合いの親戚と、その友達です」
「初めまして、セダと申します」
セダが代表してあいさつし、五人はそれぞれの作法でお辞儀をした。レストランのおかみさんはころころ笑う。
セダ達の行儀がいいのと、やはり美人ばかりなのが功を奏したか、おかみさんも旦那さんもセダ達に好印象を持ってくれた。アグネテがアクアパッツァをべた褒めしたのもよかったらしい。アグネテは言葉がおぼつかないのに、よかったら家でバイトしない? と誘われていた。
「凄いね、セダさん達」
レストランを出て、やはり行きつけのアイススタンドで買ったアイスを食べながら、珠理がもごもごと云う。セダ達はそれぞれ好みのフレーバーのアイスを楽しそうに食べ、ちえりにはわからない言葉で会話している。セダによると、アグネテとミリーの言葉は近く、双子とユゥの言葉はほとんど同じだそうだ。
「凄いって?」
「どこでも、すぐに自分の場所にしちゃうんだもん」
珠理はチョコレートスプレーを前歯でかりっと噛んだ。「もうずっと昔からここにいるみたい。わたしはそんなのできないもん……」
セダ達は珠理の云うとおり、おそろしいくらいにこの世界に順応していった。
言葉だけはおぼつかないのだが、水道やトイレのつかいかたはすぐに覚えたし、簡単なやりとりならできるようになった。双子とアグネテは料理が得意なようで、ちえりの代わりに調理をしてくれるし、ミリーは庭掃除や庭木の剪定を魔法のようにすませてくれる(本当に魔法かもしれない)。ユゥは力仕事をなんでも請け負ってくれたし、セダは繕いものや刺繍が得意で、レースでつくった珠理の名前をハンカチへ縫い付けるなどという、ちえりにしてみたら冗談みたいに器用なことをしていた。
と同時に、彼女達は情報収集もしているみたいだった。言葉のわかるセダは、ほとんどの時間TVの前に陣取って、ニュース番組を見ている。もふモッフィーが目撃されていないか、魔法騎士団があらわれていないか、そんなことを気にしているみたいだ。
ミリーとアグネテは、だんだんとセダを介さずとも喋れるようになっていったみたいで、ふたりで相談している場面には何度かでくわした。セダによると、アグネテの魔法(「正確には魔法じゃなくて神通力みたいな意味の言葉だけど。魔じゃないからね」とセダは云う)をつかって魔法騎士団の場所を特定しようとしているらしい。魔法騎士団に見付かったらまた捕まってしまうので、そこを避けてもふモッフィーをさがそう、と云うことのようだ。
双子とユゥは活発で、頻繁に出かけていっては自分達でもふモッフィーをさがしていた。だが、双子は充子が来る日だけは外出せず、充子が来ると傍に近付いていって、隣に座ったりなにか手を握って嬉しそうにしている。
ユゥは尋常ではなく体が丈夫で(ただし魔法に対する耐性がほとんどないらしい)、到底歩きで行けないようなところまで行ってはもふモッフィーをさがし、なにかしらのお土産を入手して戻ってくる。彼女は言葉が通じなくても他人とコミュニケーションをとるのが得意なようで、いつの間にか近所のスーパーでバイトを始めていた。
そんなふうにして、セダ達は魔法騎士団から隠れながらもふモッフィーをさがしていた。
一方で、ちえりと珠理の関係にも、多少の変化が訪れていた。
セダ達の動向が気になるのだろう。珠理は亜由美のところへ行かなくなった。ちえりと口論寸前まで行って、気まずくても、セダ達が突然いなくなる可能性があるので家を離れたくないようなのだ。
自分にはまだなついてくれないのに、セダ達にかなりなついている珠理を、ちえりは複雑な思いで見ていた。
そろそろ克也の出張が終わる。珠理の夏休みも、後一週間しかない。
珠理はセダに手伝ってもらって、宿題を終えていた。ちえりには頼らないのに、セダには頼るのだ。なんとなくそれに対して、ちえりは嫉妬めいたものを感じていた。セダが、義理のお母さんに対してはそんなものよ、と淡白なのもまた、悔しさに拍車をかける。
「セダはどうして、珠理ちゃんに好かれてるの」
その日とうとう、ちえりはそんなばかみたいな質問をしてしまった。
刺繡をしていたセダが、TVから目を逸らしてこちらを見た。ちえりは双子がつくった高級そうな中華料理に見えるものを、テーブルへ並べていた。これで材料はその辺のスーパーで手にいれたものなのだから、料理の腕が凄まじい。
「なによ、ちえり? わたしに嫉妬しても仕方ないでしょ」
「だって……」
「あのね、わたしも義理の親が居たの」
セダは刺繍を再開する。ちえりは箸置きを握りしめていた。
「転生したあとにね。男爵の子どもだって発覚したのはわたしが十五歳になってから。それまでは義理の両親に育てられた」
「セダ、あの……」
「気にしないで。あの国ではよくある話だったから。無責任な貴族が隠し子をどこかへやってしまう、ってことはね。……わたしの義理の両親は、あまりいいひとじゃなかったのよね」
セダは俯く。「だから、あんたは凄いと思うわ、ちえり。本当の母親みたいに珠理を大事にしてるから。できたら、これからもそうしてやって」
セダの声はかすかに湿っている。ちえりは頷こうとしたが、しかし、できなかった。
「……できるかな」
「ちょっと、どうしたのよ、本当に」
セダが手にしているものを置いて、立ち上がった。「ちえり?」
「だって……わたしが結婚したのは、珠理ちゃんの為じゃないもの。克也さんと結婚したの。克也さんが、心配ないよっていってたし、大丈夫だと思ってたんだけど……珠理ちゃんがかわいくないって訳じゃないのよ。でも、もう少し歩み寄ってくれたらなって思うのは、おかしいかしら」
「ちえり、あんた少し疲れてるんじゃない? ねえ……珠理!」
はっとして振りむく。珠理とユゥが並んで立っていた。
ちえりはばつが悪くて、珠理から目を逸らした。まるで、セダに珠理のことをいいつけていたみたいだったからだ。いや実際、彼女は珠理のことをセダに云いつけていた。自分は努力しているのに、珠理が自分を受け容れてくれないと愚痴を云っていた。
「珠理、ちょっと……ねえ違うのよ」
セダがちえりを庇ってくれようとした。
ユゥが甲高い声を立てる。その場に居た全員が、ユゥを見た。
ユゥはTVを指差していた。セダが悲鳴をあげる。「あいつらだ」TVには、ファンタジー小説の表紙に描かれているような「騎士」らしき格好をした七人が映っていた。
ミリーとアグネテが低声で喋っている。
「あいつらにもふモッフィーを確保されたら、戻れないかも」
爪を噛んでいたセダが、はっとして手をおろした。TVにはとんでもない映像が流れている。「魔法騎士団」は、もふモッフィーを確保する為に、この近所で暴れまわっているようだ。行きつけのレストランの屋根に大穴が開いているし、アイススタンドは跡形もなくなってしまったらしい。
ユゥがなにか云う。珠理がセダを見た。「セダさん、ユゥさんはなんて云ってるの」
「もふモッフィーは優しい生き物だから、こいつらを停める為に来るんじゃないかって。わたしも同意見。多分こいつら、それを狙ってる。あの子、わたし達のことも助けてくれたっぽかったから」
ミリーが短く意見を述べ、セダは頷いた。「そうね。……ちえり、珠理、今までありがとう」
「え? 待ってよセダさん」
「わたし達、結構こっちでお世話になったから」セダは髪を肩から払いのけた。「あいつらをちょっとこらしめないとね」
セダ達はちえり達の前にあらわれた時の服装に戻り、それぞれの得物を持っている。セダだけは空手だ。庭に出た彼女達は月明かりに照らされて、女神のように美しい。「大丈夫なの?」
「ん。ミリーがここに防護魔法をかけてくれるって。ここでじっとしてて」
ちえりは頷く。魔法をかけ終えたミリーが銃に弾を込め、号令を発した。六人は庭から飛び出していった。
珠理はついていくと云ったけれど、そんな危ないことはさせられない。「だめ」
「どうして?」
「危ないから。怪我するかもしれないでしょ」
「セダさん達だって危ないよ!」
それを云われたら黙るしかない。珠理は不満そうに階段をのぼっていった。ドアを激しく叩きつける音がする。閉じこもってくれるならありがたい。
TVには、魔法騎士団のやったことが映し出されていた。いくつもの世界を渡ってきて、いい加減もふモッフィーさがしに疲れているのだろう。壊す必要のなそうな壁や建物が破壊されていて、ちえりはそれからいらいらを感じとった。
「珠理ちゃん」
すっかりさめたスープをあたため直し、階段の下から声をかける。「スープ、あったかいよ。おいしいから、食べよう」
返事はない。ちえりは階段をのぼっていき、珠理の部屋の扉を叩いた。「珠理ちゃん。ねえ、機嫌直して。わたし達でできることなんてないんだから……ね? ご飯食べようよ」
返事がない、どころか、気配もないとちえりは気付いて、あおざめた。
扉を開ける。部屋はもぬけのからだった。
ちえりは息を切らして走っている。防護魔法でまもられた居林家の外は、酷い有様だった。サイレンが鳴り響き、逃げ惑う人々であふれている。魔法だのなんだのとして現象をとらえているひとは居なくて、謎の武装集団によるテロ行為、ガス爆発、車の衝突、という言葉がとびかっていた。
「珠理ちゃん! どこ?!」
ちえりはのどをからして叫ぶ。防護魔法は、外の音もきこえなくしていた。もしかしたら防護魔法ではなくて、誰かの別の魔法かもしれない。ちえり達が安心して過ごせるように、という配慮だったのかも。
ききおぼえのある声がした。「セダ!」ちえりは走る。
商店街のまんなかに、セダは居た。ミリーも一緒だ。
魔法騎士団もひとり居た。その男は、珠理の腕を掴んでいた。「珠理ちゃん!」
「ダメっ、ちえり!」
セダの静止の声はちえりには聴こえていなかった。無我夢中で魔法騎士団に向かっていく。相手は驚いたみたいで、持っている剣をちえりへ向けたが、魔法はつかわなかった。
ちえりは珠理の体に飛びついて、魔法騎士団から引き離し、突き飛ばした。ああ、と呻いてその場に倒れ込む。魔法騎士団がなにか云いながら飛びのいた。
「お母さん!」
ちえりは腹部をおさえた。あたたかい血が流れている。剣で刺された……痛い……珠理ちゃん……やっとお母さんって呼んでくれた……。
「ひゅうん」
かすかな声がした。
「ちえりさん」
「珠理、どいて」
珠理が泣いている。ちえりはあおむけで、それを見ていた。ミリーがなにか云い、セダが頷く。
珠理は泣いているけれど、怪我はないみたいだ。
「珠理ちゃん……よかった……」
ほっとしたら、痛みがひどくなってきた。ちえりは咳込む。血が口から流れ出た。
「どうしよう! ちえりさんが死んじゃう!」
「大丈夫」
セダが息を整えた。「わたしは光の聖女なのよ。舐めんじゃないわ」
目を覚ますと病院に居た。
珠理がちえりの手を握ったまま、椅子の上で眠っている。「しゅりちゃん」
珠理は目を覚まさなかった。ふと気配がして、戸口にセダが立っているのに気付く。「セダ」
「痛みはまだある?」
頭を振る。痛みはない。ただ、体がだるい。
魔法騎士団は姿を消した。おそらく、もふモッフィーがどこかへとばしたのだろう。
「わたし達は、取り残された、ってこと」
「せだ……」
「ていうか、あなた達の治療をしたかったから、つれてったら尻尾をひっこぬくわよって脅したの。ミリー達は残らなくてもいいのに、なんだかこっちが気にいったみたいだし」
セダはくすっとする。「そうそう、双子が記憶を操作する魔法をつかってくれてね。局地的な地震が起こった、ってことになってるから。ミリーのおかげで映像関係も、データは全部おしゃか。わたしとアグネテで怪我人は治療したし、ユゥが倒壊した建物からひとを助け出したし。死者は出てないから、安心していいわよ」
「よかった」
セダは優しい目をする。「それを本気でよかったって云えるところが、ちえりよね」
双子は充子の会社で働くことになった。丁度、専属のモデルがほしかったのだそうだ。双子と一緒に暮らすようになって、娘ができたみたい、と充子は大喜びだ。
アグネテとミリーは、レストランに就職した。ユゥは相変わらず、スーパーで力仕事をしている。
セダは、貧血で入院しているちえりにかわって、家事を請け負ってくれた。亜由美が、珠理を預かる、と申し出てくれたのだけれど、珠理がそれを断った。亜由美とあたらしい夫へ気を遣っているらしい。
珠理はあれから、たまに「お母さん」と呼んでくれるようになった。
「セダ、これ、食べたい」
ミリーがぎこちなく云い、ピザ屋の出前メニューを指差す。「はいはい、フルーツピザね。あんたフルーツが好きよね」
双子が充子のデザインしたワンピースを着て、自慢げに這入ってきた。「あらちえりさん、だいぶ顔色がよくなって!」
「はい、おねえさん」
ユゥとアグネテがスーパーの買い物袋を手に這入ってくる。今日はちえりの退院パーティだ。
テーブルにはサラダや、早速届いたピザが並んだ。双子が腕によりをかけたおいしいスープも、大鉢にはいってやってくる。双子以外は相変わらず、居林家に居候している。
「ただいま」
弱々しい声がして、ちえりは珠理と手をつないで玄関へ向かった。克也が疲れた顔で立っている。ちえりが負傷したと聴いて、仕事を急いで片付け、予定よりもはやく戻ってきてくれたのだ。
「お帰り、お父さん」
「ああ……」
夫は手をつなぐちえりと珠理を見て、微笑んだ。「楽しい夏休みだったみたいだね、珠理」
「うん。お母さんも楽しかったと思うよ」
珠理の言葉に、克也は目をまるくする。ふたりはくすくす笑った。
居間から楽しそうな声が響いた。セダが、ミリーってば、となにやら笑っている。克也がそちらを見る。
「なんだかにぎやかだけど……?」
「紹介しないといけないひと達が居るのよ」ちえりは苦笑した。「信じてくれるかわからないけれど、異世界から来た美女達なの」