【創作落語】大江戸珍獣捕物騒動(作者:歌池 聡)
えー、わざわざのお運び、ありがとう存じます。
昔から、思いがけないことから物事が起こる、というようなことを表す言葉が色々とございます。
『ヒョウタンから駒』『青天の霹靂』、ちょっと意地汚いところですと『棚からぼた餅』なんて言葉もありまして。
「へえ、棚からぼた餅が落ちてきたら最高じゃねぇか」
「馬鹿だな、お前は。棚においてあるぼた餅なんざ、ネズミ捕り用の毒入りに決まってるだろ」
さて、これからお話ししますのは、そんなとある言葉の元になったかもしれない、そんなお話でございます。
──江戸の町にある日、何だか妙な生き物を見かけたというウワサ話がぱぁっと広がりました。
「犬のようだが後足で立って、『ひゅーんひゅん』と変な声で鳴くらしいぞ」
「ちょっと耳が長いから、ありゃあ変り種のウサギじゃねえか?」
「お前、ホントは見てねぇだろ。あんな目の青いウサギがいるもんかい」
それに、どうやら異人らしい妙な格好をした連中がその生き物を探し回ってるという話も伝わってくると、どんどん話に尾ひれがついて大きくなってまいります。
あの異人たちに引き渡せば礼金がもらえるらしい。いや、今は鎖国の世なのでご公儀(幕府)に引き渡したほうがいいんじゃねぇか、いや実は食ったらとんでもなく旨いらしいぞ、などなどと……。
いえね、実のところ、本当のことなんざどうだってかまやしないんです。なにせ庶民なんてのは、常に娯楽ってもんに飢えてますからな。面白そうな騒ぎにならいっちょ乗っかってやろうじゃねぇか、ってなもんです。
かくして、自分がその珍獣『ヒュン』を捕まえて見世物小屋でもやってやろうか、いや何人かで追い込んで礼金は山分けだ、などとよからぬ皮算用をする輩があちこちに現れ、江戸の町はそれはもう大変な騒ぎになっておりました。
「やれやれ、何だか江戸中が浮き足だってやがんなあ。珍獣だか何だか知らねえが、ご苦労なこった」
そうボヤキながらわび住まいのオンボロ長屋に帰ってきたのは、大工の八五郎。
この男、若いのに腕もいい、仕事がていねいだと、皆にたいそう頼りにされております。
「お、いま仕事帰りか、八公。ちょうどよかった。角の駄菓子屋が何やら頼みたいことがあるってよ」
そう声をかけてきたのは隣の熊吉です。
「駄菓子屋って、お菊婆さんとこか? 棚ならこないだ直してやったところなんだがなあ」
「いや、お菊婆さんじゃなくて、その孫娘が何か作って欲しいんだとよ」
「あの婆さんに孫娘なんていたのか? なら、さぞシワくちゃなんだろうな」
「若ぇうちからシワくちゃなわけがあるかい。いいから行ってやんな」
「やれやれ、しょうがねぇな。
──おおい、誰かいるかい?」
そう店先で呼ばわると、奥から出て来たのは、ちょっと見目のいい年頃の娘さんです。
「はぁい、ただいま──あら、あなたが大工の八五郎さん?」
「おうよ。それで、作って欲しいものってのは何だい」
「え、ええと、その、犬小屋を──いえ、ウサギを飼うような小屋を──」
「犬かウサギなのか、どっちなんだい。まあ、いいや。まずはそいつを見せてくんな」
「え? い、いえ、そんなわざわざ見なくてもいいですから、適当な大きさのものを──」
「何──? てやんでぇ、べらぼうめ! 動物を飼うったって大きさも違えば性格も違う。見もしねぇで当てずっぽうで作るなんて、そんないいかげんな仕事が出来るかってんだ!
いいから見せてもらうぜ。こちとら、気が短ぇんだ。──おう、お菊婆さん、上がらせてもらうぜ」
「はあ、わしゃ今年で七十になりますで……」
──耳が遠いんだかボケてんだか。
必死で止めようとする娘を押しのけて、八五郎が奥の部屋の襖をがらっと開けますと──部屋の隅に見たこともないケモノが、怯えたように震えております。
『ひゅ──ひゅーん……』
「ん? 何だこりゃ? 犬でもなしウサギでもなし──あっ⁉ こりゃ、巷でウワサになってる『ヒュン』とかいう珍獣じゃねぇか⁉」
さて、そのお園という娘によくよく事情を聞いてみますと──。
お菊婆さんの息子は、若い頃に『こんなちまちました商売なんざまっぴらごめんだ!』と家を飛び出し、自分で商売を始めてなかなかの身代を築いたそうです。
その家に生まれたお園はたいそう気立てが良く、一人で暮らしているお婆さんが不憫だと、ときおり親の目を盗んでお菊婆さんの店に手伝いにきていた。
そして、今朝も店先を掃除していたところ、棚の下で怯えたようにうずくまっていたこいつを見つけた、ということなのです。
「だって、こんなに怯えてるんですよ? きっと皆にさんざん追い回されて、怖い目を見たんだわ。
可哀想にねぇ、『ひゅん太』ちゃん」
何だか、いつの間にやら名前まで付けちゃっているようですが。
「いや、それはいいんだけどよ。ご公儀に届けようとは思わなかったのかい?」
「だって、それが正しいことかどうかもわからないじゃないですか。この騒動が下火になって、どうしたらいいかがはっきりするまでは、あたしがここでかくまってあげようかと思ってるんです」
「──おう、偉いっ! いや、そのふところの広さ、大したもんだ。
よし、ここはおいらもひとつ、手伝ってやろうじゃねぇか。
まずは小屋をこしらえて──お園さんも毎日来れるわけじゃねえんだろ? おいらはすぐ近所だから、毎日様子を見に来てやるよ。
よし、じゃひとっ走り材料を取りに行ってくらぁ!」
そう言ったかと思うと、返事も聞かずにだっと店を飛び出して行きます。
「──何だかせわしない人ねぇ。でも、根はいい人そうだし、小屋も作ってくれるって。良かったね、ひゅん太ちゃん」
さて、ところ変わって、ここは江戸のほぼ真ん中にある森の中。
そこに密かに集まっていたのは、今ウワサの、異人のような妙な格好をした8人──実は、異世界からあのひゅん太を追いかけてきた、魔法騎士団という何ともファンタジーな集団です。
しかし、その顔は一様に不機嫌さに淀んでいます。
「まさか、こんな低レベルの文明世界に、これほどの大都市があるとは──」
「それに、どうやら我らの服装は相当に怪しく見えるらしい」
「かといって、あんな小汚い服を身にまとうのはご免ですぞ!」
「この都市にいることは確かだし、目撃情報もあるようなのだが、あまりに人が多すぎて──」
そんな部下たちの愚痴をひとしきり黙って聞いていたのが、この騎士団を率いるユーリという男。
実はこのユーリが、食べた者に時空を飛び越える力を授けるという究極の至宝『世界樹の実』を発見して、国王に献上したんですな。
ところが喜んだ国王がうっかり落としてしまったところを、王宮で飼っていたペットがパクリ! そのまんま、ひょいっと時空を超えて逃げてしまった。
すわ一大事!ってんで、その世界樹の実を取り戻すべく、いくつもの世界を転々として逃げるそのペットを、彼らは追いかけ続けているというわけでして。
ちなみに、それを追いかけている間だけは、彼らにも時空を超えることが出来るんですけどね。
え? どんな仕組みなんだって? そんなことあたしに聞かれても困りますよ。何せあたしゃ時空を超えたことなんざねぇんですから。
──さて、しばらく部下たちの話を聞いていたユーリが、ようやく口を開きました。
「どうやら、このままではらちが明かないようだな。よし、私が開発した魔術を使ってみるか」
「ええっ、そんな便利な術があるんですか!」
「まだ試したことはないのだがな。とにかくやってみよう。しばらく待っていろ」
そう言って杖を頭上に掲げると、何やら呪文を唱え始めました。そこは部下たちも魔術師ですから、その呪文がどのようなものかはおぼろげにわかります。
「これは──『結界』と『念話』の術式か?」
「いや、それに『反射』や『追尾』の術も組み込まれているような──?」
やがて、ユーリは呪文を唱え終わると、大きく息を吐き出しました。
「今、この町全体に結界を張った。この結界内で質問を念ずると、その答えを知っている者から答えが無意識に跳ね返ってくるのだ。おおよその方角もわかるはずだ」
「どれどれ──『ヒュンと鳴く生き物を知っているか?』──うわ、四方八方から答えが返ってきた!?」
「質問の仕方が悪いのだ。それだとウワサを聞いただけの者も入ってしまうだろう。
ヒュンタの姿を思い浮かべて、それを見たことがあるかを聞いてみろ」
「むにゃむにゃ──おお、だいぶ数が絞られました」
「それがおそらく本当の目撃者だろう。そうやって対象を絞り、質問の仕方を工夫すれば、必ずやヒュンタのところにたどり着けるはずだ」
「おお、さすがはユーリさまだ!」
「この結界内なら、お前たちにもこの術が有効だ。各地に散らばり、少しずつ場所を絞り込んでいこう。よし、行けっ!」
──さあ、大変なことになってまいりました。このまま、ヒュンタは見つかってしまうのでしょうか? それをかくまっているお園や八五郎の運命やいかに!?──と行きたいところなんですけどね。
ちょっとその前に──実はこの偉大な魔術師ユーリに、とんでもなく大きな誤算がありましてな。
ユーリたちの世界の魔法と、この世界の人間との相性がよほどよかったのか、あちらこちらでこんなことが起こってしまいまして──。
「──おおっ! 今、頭ン中で『誰かヒュンのことを知っているやつはいねえかな』なんて考えたら、四方八方から答えが返って来やがった!?」
「俺にゃ何にも聞こえなかったけどな? ──うわ、本当だ!」
「他の質問の答えも返って来るのかな。『昨日、湯屋(公衆浴場)で無くした俺の財布を持ってるやつは誰だ?』──あっ、権助てめえ、知らないって言ってたが、ネコババしてやがったな!」
どうやら、何か質問を念じりゃ答えがどこからか返って来るらしい。そんなことがあっという間に広がりました。するってぇと──。
「おっかさん! 生き別れになったおっかさんはどこ!? ──あ、あっちの方角だわ!」
「わが父、赤間源之進を卑怯な手で殺したにっくき仇は──そっちか!
おのれ、父の仇! 首を洗って待っておれ!」
「うちの藩のご家老に賄賂を渡している悪徳商人は──あっちか! よし、証拠をつかんでやるぞ!」
「おいらの女房とこっそり逢引きしてやがった助平野郎は──あっちってことは、さてはあの野郎だな! もう許さねぇぞ!」
にわかに江戸中で、時ならぬ人探し・犯人捜しのブームが湧き起こって、もう町中は大混乱です。
そんな騒ぎのことはつゆ知らず、駄菓子屋の裏庭では、八五郎が鼻歌まじりに犬小屋をこさえております。お園は、初めて見る大工の仕事に感心しきりです。
「へえ、絵図面もなしに作れちゃうんですねぇ」
「まあ、こんなのは朝飯前よ」
「あ、でもあんまり遅くなると家の人とか心配するんじゃないかしら。その、奥さんとか──?」
「ああ、おいらは気楽な独り身だよ。今は仕事が楽しくてよ、嫁取りとかはまだ考えてねぇな」
「──ふぅん」
そんなふたりをよそに、ひゅん太もすっかり安心したように寝そべっています。ところが、そのひゅん太がふいに起き上がり、牙をむいて低く唸り出したのです。
「あら、ひゅん太ちゃん、どうしたの──」
すると、庭陰にゆらりと黒い影のような気配が湧き起こり、みるみるうちに8人の怪しげな人の姿になったのです。
「だ、誰でいっ⁉」
八五郎は急いで道具箱から釘抜き──まあ、いわゆる『バールのようなもの』を取り出し、ひゅん太とお園をかばうように身構えました。
「──答える必要はない。我らはその生き物を捕らえに来た。大人しく渡してもらおう」
「冗談じゃねぇ、誰がお前らみたいな怪しいやつらに──」
そう答える間もなく、先頭に立つ男の指先からイナヅマのような光がバリバリーっと走り、八五郎の足元の地面を真っ黒こげにしました。
「やめておけ。お前たちどころか、この町中の者が束になろうと我々には勝てない。さあ」
「そ、そんなこけおどしには騙されねぇぞ! やれるもんならやってみやがれっ!」
「──ユーリ様、面倒です。どうせ下等な文明の者、やってしまいましょう」
何だか、後ろの男が物騒なことをささやいてますが。
「いや、現地人を手にかけるのは好ましくない。
──では、若者よ、こうしようではないか。その生き物は、世界の運命すら左右するほどの特別な力を持つ木の実を呑み込んでしまったのだ。われらはそれさえ回収できれば、その生き物はどうでもいい。
腹を切って木の実を取り出すので、あとの毛皮や肉は君たちの好きにするといい。珍品として、それなりに高く売れるだろう。これならどうだろうか?」
「てやんでえ、べらぼうめ! こちとら、そんな安っぽい料簡でこいつをかくまったんじゃねぇっ!」
「何っ! 下郎、ユーリ様に向かってなんて口を──」
「三下はすっこんでやがれっ! 俺ぁ今、こいつとしゃべってんだ!」
そう派手なタンカを切って手下どもを黙らせると、八五郎、真っ青な顔で釘抜きを構えたまま先頭のユーリに話しかけます。
「なあ、その木の実があんたらにとってどれだけ大事なのかはわからねぇよ。だがな、ひゅん太はあくまで、目の前にあった旨そうな木の実を食べただけだ。それはケモノの本能ってやつじゃねぇのかい。
それが、何で腹をかっさばかれるほどの罪になるんだい」
「お、お前はこの木の実の価値を知らないから──」
そう色めき立つ部下たちを、ユーリが身振りで制します。どうやら、話を聞く気はあるようですな。
「その価値とやらは、あくまであんたらにとっての価値、だろう? ひゅん太には何の関係もねえじゃねぇか。
それでも、腹をかっさばくほど罪深いってんなら、こいつにそうさせたやつはどうなんでぇ。ひゅん太が食えるようなところに、そんな大事なものを置いといたやつにも罰がなきゃ、筋が通らねぇだろうが!
どうあってもこいつの腹をかっさばくってんなら、そいつにも同じように腹を切らせろってんだ! それを約束するまでは、俺は殺されたってここを動かねぇぞ!」
──そのとき、ひゅん太が動きました。先ほどまで警戒心をむき出しにした険しい顔をしていたのが、妙に切ない表情となり、お園の手をぺろりとなめたかと思うと、『ひゅん』と一声上げて、その場から煙のように姿を消したのです。
「あっ、逃げた!」
「くそっ、ここまで追いつめておきながら、貴様のせいで──」
そう部下たちが殺気立つ中、ふいにユーリが八五郎たちに向かって深々と頭を下げました。
「お、おい、何でぃ──」
「異世界の勇士よ。貴殿の言うこと、まことにもっともだ。我らは少しばかりあせりすぎていたのかも知れない。
確かに、貴殿の言うようにヒュンタには何の罪もない。なるべく殺さずに、木の実を吐かせるか糞として出て来るのを待つかするように心がけよう。
貴殿の勇気、心より感服つかまつった。数々のご無礼、深くおわびいたす。
では、失礼する。──追うぞ!」
そう言うなり、魔法騎士団はひゅん太と同様に、煙のように消えていきました。
「ひゅん太ちゃん、行っちゃった──」
「──はああ、助かったぁ……」
しばらくして、八五郎が腰が抜けたようにへたり込みました。
「は、八五郎さん!」
「ひゅん太のやつ、あのままじゃ俺たちが危ないってんで、逃げてくれたんだろうな。
へ、へへ、ま、まだ手が震えてやがらぁ──」
恐らく、一杯いっぱいだったんでしょうな。ろくに武芸の心得もないくせに、勇気だけを頼りにあんな怖そうな連中に立ち向かった八五郎──その震えたままの手を見ているうちに、お園の胸の内にむくむくとある決意が湧いてきたのです。
「八五郎さんっ! その勇気と、真っ直ぐなところ、本当に格好良かったです!
どうか、あたしをあなたのお嫁さんにしてくださいっ!」
「へ? ──えええっ⁉」
さて、このふたりがその後どうなったかは、皆様のご想像にお任せするといたしまして。
魔法騎士団がいなくなると魔法の効果も消えたのですが、その間に起こった騒動については随分と語り草になったようでございますな。
「ヒュンの騒動の時に、目の前でいきなり仇討ちが始まっちまってよ」
「ヒュンの騒ぎから、生き別れになった兄弟と再会したなんて話があってな」
「ヒュンのことから、身分違いのふたりが結ばれるなんてこともあったらしいぜ」
──この『ヒュンのことから』というのが、時とともに少しずつ変化して『ひょんなことから』という言い回しの語源になったとかならなかったとか。
実はこの『ひょんなことから』の『ひょん』が何を意味するのかどこからきたのか、諸説あってどうにもはっきりしません。
これは、そのいくつかある説のうちのひとつのお話になります。
では『大江戸珍獣捕物騒動』の一席、これにてお開きとさせていただきます。ありがとうございました。