第肆話(作者:アホリアSS)
それは俺が飼い犬のコテツを散歩させていた時だった。
急に立ち止まったコテツが、俺の顔を見て「わんっ」と吠えたのだ。
そして道を外れて野原の方に歩き出した。
首輪につけた紐が引かれる。俺もそちらに歩いていく。
コテツがこういう態度をとるとき、何か事件があったということだ。
町の人の大事な落とし物をみつけたとか、小さい子が迷子になっているとか。
今回は何だろう?
コテツについて野原を歩いていくと、水音が聞こえてきた。
この先には小川っていうか、農業用の用水路があるはずだ。
しばらく歩いて用水路の端に着く。
コテツが水際のあたりで「わんっ」とまた吠えた。
見ると、岩と岩の間に何かいる。亀だ。
岩の割れ目に甲羅が挟まったようで、ジタバタと手足を動かして動いている。
「ふむ。コテツ。あの亀を助けてやれって言ってるのか?」
「わんっ」
なんでコテツはこういうのに気づくんだろうね。
俺は手を伸ばして、亀を救い出した。
亀は首をキョロキョロと動かしている。
この亀、外来種じゃないな。たぶんニホンイシガメだろう。
「ほれ、もうドジを踏むんじゃないぞー」
俺は亀を水の中に離してやった。
その亀はこちらをチラリと見た後、水に潜っていった。
「コテツ。いいことした後は気持ちいいなぁ」
「わんっ」
俺とコテツは散歩の続きをして家に帰った。
その日の夜、俺は窓から夜空を見ていた。
うちの両親は旅行中で家には俺しかいない。
ちなみにコテツは庭の犬小屋の中だ。
昔話でよくあるけど、亀を助けたらお礼をもらえないかな。
竜宮城に連れてってもらうとか。でもあれはウミガメじゃないからダメか。
あの小さい体だと背中に乗れないし、魔法か何かで乗れたとしてもドロくさいところに連れていかれそうだ。
あるいは旅の女の人の姿になって訪ねてくるとか。
でも、うちには機織機はないんだよな。
そんなことを考えながら、夜空を見ていると、スーッと星が流れた。
亀を助けた用水路の方角だ。もしかして、ほんとうに誰か来るかな?
などと我ながら馬鹿なことを考えていたが、その夜にうちに訪ねてくる人はいなかった。
あたりまえか。
* * *
次の日、俺はコテツを朝の散歩に連れだすため、庭の犬小屋まできた。
そこで見慣れないものが目に入った。
黒い中型犬のコテツの前に、白っぽい小さい犬がいたのだ。
「わんわん」
「ひょんひゅん」
コテツと白犬が会話をするように鳴いている。
「何だこの犬? まさか昨日の亀が犬に化けて、コテツにお礼をしにきたのか?」
俺がつぶやくと、コテツは「ちがうぞ?」という感じで「わん」と鳴いた。
「だとすると、いったいどこの犬だろう。この毛並みだと野良じゃないな。他所からきて飼い主とはぐれたかな」
この田舎町でこんなのがいたらとっくに噂になっているだろう。
すくなくとも、俺が町内で見たことがない犬だ。
俺はいったん家に入り、イヌ用の皿を2つと牛乳パック、それにドッグフードの袋をもって犬小屋に戻る。
コテツと白犬の前に皿を置いて牛乳とドッグフードを入れた。
「よしっ」というとコテツが自分の皿に頭をつっこみ、それを見た白犬も自分の皿に口をつける。
犬の種類はよくわからないが、珍しいタイプだな。
町内会長さんに連絡してみるか? いやだめだ。町内会の幹部たちはウチの両親と一緒に旅行中だ。
俺もいきたかったけど、コテツの世話があるから留守番になった。
ではこの白犬は駐在さんに預けるか。でもあの人はイヌが苦手みたいだからなぁ。
お巡りさんなのに。
白犬は勢いよく食べている。お腹すいているのかな。
犬達がドッグフードを食べ終わると、コテツはこちらを向いて「わんっ」と吠えた。
散歩に連れてけって言っているのかな?
いや、もしかして白犬の飼い主に心当たりがあるのか?
俺は予備の首輪とリードを取り出して、白犬の首に巻いた。
白犬はぺちぺちと前足で首輪を触って不思議そうにしている。
「じゃあ、行くか」
俺はコテツの首輪にもリードをつけて立ち上がった。
コテツはくんくんと地面を嗅ぎながら歩いていく。
俺と白犬はコテツについていった。
野原に入って、昨日亀を助けた用水路まできた。
小さい橋を渡って、先へ進む。
葦のたくさん生えた場所にきた。
大人の背丈ほどの草がぼうぼうに生えており、迷路のようになっている。
葦の間で、なんとか歩ける細道のようなところを進んでいった。
急に立ち止まったコテツがこちらを向いて「わんっ」と吠えた。
そして、葦の壁を向いた。コテツの向いている方でキラリと光った。
何だ?
俺は葦をかきわけて、そちらに近づいた。
葦に赤い布のようなものが引っかかっており、その一端に金色の輪のようなものがついていた。
「なんだこれ?」
「ひゅん! ひゅひゅん!」
俺が布を取ると、白犬が騒ぎ出した。
「これ? お前のか?」
赤い布を差し出すと、白犬は二本の前足でそれを受け取る。
白犬は前足で首輪を外して、赤い布を首に巻いた。
金の輪で布を留めた。器用な奴だな。
「ひゅんひゅん!」
「わん!」
犬同士で何か会話をしている。
白犬はコテツに前足で抱きついて、次に俺の足に抱きついた。
「ひゅん!」
「お礼を言ってるんだろうな。どういたしまして」
しかし白犬の持ち物が見つかったとして、飼い主はまだ見つかってないんだよな。
どうしよう。
「わんっ!!」
コテツが大きく吠えた。この吠え方は緊急事態か?
俺はコテツの首輪からリードを外し、ついでに白犬が外した首輪を取り上げた。
「いけっ、コテツ!」
コテツは葦の隙間を走り出し、白犬がそれに続いた。
俺も全力で走るが少し遅れる。
葦原を抜けてしばらくいくと、用水路からバシャバシャという音が響いていた。
コテツと白犬の声も聞こえる。誰か溺れている?!
用水路に着くと、水に沈みかけた誰かがいた。
コテツと白犬が引き上げようとしているが、うまくいかないようだ。
俺は服のまま水に入った。
準備運動なしで冷たい水に飛び込むのは危険だ。
焦る気持ちもあるが、慎重に水の中に入って歩いていく。
不用意に近づいてしがみつかれると、こちらの命も危うくなる。
溺れた人に後ろからゆっくりと近づき、首の後ろあたりの服を持った。
その青年はぐったりして動かなくなっている。
岸に青年を押し上げる。犬たちも手伝ってくれた。
そして俺も岸に上がった。
青年は金髪で外人っぽい顔だな。変わった服を着ている。
息が止まっているようだ。心音も弱弱しい。
白犬が心配そうに「ひゅーん」と鳴いた。
俺は外人らしき青年をうつぶせにして、背中を押した。
その後、彼の両脇を持ち上げて下ろし、もう一度背中を押す。
ニールセン法の人工呼吸だ。
何回か繰り返すと、彼は水を吐いてせき込んだ。
なんとか間に合ったようだ。
「ゲホッ……ゲホッ…… ▽#〇βΩ……」
こちらを見て何か言っている。
日本語わからないのかな?
彼は一度目を閉じて、何やらブツブツをつぶやいた。
そして目を開けた。
「どうやら、あなたに助けられたようですね。ありがとう」
急に日本語? いや、口の動きと声が合っていない。
同時通訳の機械でも使っているのかな? まさか宇宙人か?
「いやいや、この子達のおかげですよ」
俺がコテツを白犬を手で示すと、彼は目を見開いた。
「ヒュンタ! やっとみつけましたよ。さぁ、いっしょに帰りましょう。王様も首を長くして……」
「ひゅう〜ん……」
白犬がおびえたように後ずさった。
そして空中に溶け込むように姿が消えた? え? こいつ、忍者犬?
それとも宇宙生物?
「はぁ……また、行ってしまわれたか。ままならないものですね」
青年は白犬が消えたところをじっと見ていた。
「えーと、あんたはあいつの飼い主ではないの?」
「我が主のものですよ。連れて帰らないといけないのですが、懐いてくれなくて困っています」
「怯えてた感じだけど、嫌われてはいないかもね。小さい身体で、溺れているあんたを必死に助けようとしていたよ」
「……そうでしたか。ところで、あなたはさぞかし名のある魔導士のようですね。蘇生魔法が使えるとは」
「魔法って大げさな。あれはただの人工呼吸だよ。やり方を知ってれば誰でもできますよ」
俺は人工呼吸のやり方を軽く説明する。
『たぶん、船乗りなら知ってるだろう』とも伝えておいた。
「なるほど……異世界でなくとも、我々の知らぬ知識はまだまだありそうですね。ありがとうございます。急ぐゆえ、これにて失礼します」
青年が呪文のようなものを唱えると、彼の姿も白犬と同様に消えていった。
「ふむ……。彼もあの犬も、昨夜の流れ星でやってきた宇宙人だったのか」
俺がつぶやくと、コテツは「ちがうぞ?」という感じで「わん」と鳴いた。
ちなみに青年は元の世界に戻った後、船乗りに人工呼吸について尋ねた。
ただし、そこで実技で教わったのは口移し法であった。