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お公家の事情 火にも水にもわがあらなくに  作者: 英じゅの
黄色いおにぎりと練りきりの猫
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GIRL MEETS BOY 3

「・・・ん、・・・んか?」


誰かに話しかけられて、愛ははっとした。


「すみません、ぼんやりしてて。もう一度、言ってもらえますか」


隣で、話しかけてくれた女性は、気を悪くした風でもなく、「愛さん、なにか飲み物を頂きにいきませんか」と繰り返してくれた。さっき、拓哉に紹介してもらったが、彼女の名前が思い出せない。自分を名前で呼んで、話しかけてくれただけに、少々、居心地が悪く感じる。


「はい、そうですね」


そう言うと、「では、あちらに参りましょうか」と女性陣が優雅に歩き出した。彼女たちは親切だ。でも、どうしても場違い感というか、居心地の悪さが先に立ってしまう。デザインこそ違えど、襟ぐりの開きが少ない、肘まである袖のついた上品なワンピースに身をつつんで、帽子をかぶった彼女たちといると、自分のペパーミントグリーンのポリエステルのノースリーブワンピがどうしようもなく恥ずかしくなってくる。その時、庭の一角がざわざわとした声に包まれた。


「あら、あれは速水の大姫でなくて?」

「まぁ、凪子様ですわ。相変わらず、おきれいねぇ」


凪子と言えば、あの完璧なお姫様と言われる先輩だ。思わず、声がした方を見ると、袖のある白いサマードレスに帽子を被った凪子が、左腕に紫色の風呂敷包をのせ、右手をその上に軽く添えて歩いていた。


風呂敷包みって、あの人、おばあさんみたい。そう意地悪く思おうとしたが、凪子の姿は、どこまでも優雅で目が離せない。拓哉の祖母と母の前で立ち止まり、軽く会釈をした。


「滝川のおばあさま、おばさま、ごきげんよう。今日はお招きありがとうございます。わたくし、実は昨日まで西都の親戚の元におりまして、そこで、瑞祥の大姫様の大変なお気に入りという美味しいお菓子のことを伺いましたの。滝川の皆様にも、ぜひ召し上がって頂きたくて、思わず沢山買ってまいりましたわ」


そう言いながら、凪子が風呂敷包をほどいて、中の箱を片手で持ち、もう片方の手で底を支えるようにして、滝川子爵夫人に差し出した。すべてが流れるように優雅な凪子の所作に腹が立つ。夫人は、今度は、家令の川島を呼ばずに、「まぁ、まぁ、素敵なお気遣い、ありがとうございます。何かしら。楽しみですわね、お義母様」などと言いながら、自分で受け取った。自分がケーキを渡した時は、軽蔑したように見ていた拓哉の祖母までもが、「あの瑞祥の大姫様のお気に入りですって。凪子姫、開けてもよろしいかしら」とはしゃいでいる。


愛は腸が煮えくり返る気分だった。自分と何が違うのだ。凪子がお姫様で、自分が庶民だからと言って、ここまで差をつけるなんて間違っている。


ジュースの入ったグラスを持っていた手が震えるほどの怒りを感じた。一緒にいた名前を覚えていなかった親切な女性に、「手土産を紙袋に入れて持ってくるのと風呂敷包みでは、どっちが上品なんですか」と質問をぶつけてみた。悔しくて、何か言わないと気が済まなかったのだ。


「上品さがどうというのは私には分かりませんわ。用途は同じですものね」


ほら、見ろ。同じじゃないか。


「でも、お渡しする時には、どちらも取ってお渡ししないと失礼になりますから、風呂敷の方が後でバッグにしまえて楽かもしれませんわ」

「そうなんですか」


この女性には、もう自分が庶民の娘だと見抜かれているはずだ。それでも変わらずに丁寧に対応してくれることには、いくばくかの感動を感じたが、それよりも、拓哉の母と祖母と凪子の会話に腹が立って仕方がない。


「紙袋も風呂敷も、埃除けでございましょう。それをそのままお渡しするのは気遣いが足りませんから。取り出して、中身をお渡ししませんと。紙袋の場合は、家令に渡して袋の処分をお願いしてもよろしいですけれど、他家の家人を煩わせるより、自分のバッグにさっさとしまった方が私は気楽ですの」


女性がおっとりと説明してくれる。そんなの知らない。帝国のそんな古臭いバカみたいな作法なんか覚えて何になるというのだ。愛は、何故か悔しくて、素直に頷くことも、礼を言うことも出来なかった。そうだ、礼儀知らずと言えば、凪子もそうではないか。拓哉が、話しかけられるまで、話すのは常識がないと言っていた。


「凪子さんが話しかけられる前に、拓哉君のお母さんにお話しするのは失礼ですよね」


少し溜飲が下がった思いがした。そうだ、凪子の礼儀だって完璧ではないじゃないか。


「いいえ、ちっとも。凪子様は、速水侯爵家の大姫で嫡子でいらっしゃるでしょう。魔力もお持ちですし。滝川子爵夫人よりも高位ですから、あの場合は凪子様から話しかけられるまで話してはいけないのは、滝川子爵夫人の方ですわ」


やっぱりそうか。何があっても身分がある凪子は許されてしまう。それなのに、全く同じことをしているのに自分は馬鹿にされる。あまりに理不尽な話ではないか。黙り込んでしまった愛のせいで、微妙な空気になったことに気を使ったのか、一緒にいた女性が、拓哉の母の前まで行って話しかけた。


「滝川子爵夫人、無作法を承知でお願いしますわ。私たちにも、瑞祥の大姫のお気に入りのお菓子を見せて下さいませ」

「まぁ、久世の大姫、私も同じことをお願いしようと思っていましたのよ」

「私もですわ」


数人の女性客が集まり、ほほほほと笑い合っている。他の客たちも興味深げだ。滝川家の理不尽さに怒っていた愛も、皆が気になるという凪子が持ってきたお土産には興味がある。完璧なお姫様がどれほどの品物を持ってきたというのだろう。


「瑞祥の大姫様のお名前が出ますと、さすがに気になって仕方がありませんものね」


そう言いながら、拓哉の母が、凪子にもらった箱を開けると、中には、珍妙な動物の顔が描かれた、何の変哲もないガラスの小瓶に入ったプリンが数種入っていた。


へっ?

その場にいた全員は、そう思ったはずだ。こほんと、拓哉の母が咳ばらいをして、箱に入っていた説明書を読み上げる。


丹葉佐々山(たんばささやま)の黒豆プリン。クロちゃんとマメちゃん・・・だそうですわ」

「丹葉佐々山というと、瑞祥家の御領地のあるところで、領民たちが瑞祥家に日ごろの感謝を込めて献上したものの中に、この素朴なプリンがあったそうですの。それを、大姫様が大層お気に召したので、西都の老舗菓子店が、いつでも召し上がれるようにと商品化したと伺いましたわ」


凪子の説明に、周りにいた客たちは「まぁ、領民たちが。素敵ですわ。さすがは瑞祥の大姫様」などと口々に褒めそやしている。


・・・何なの、この人たち、マジで言ってんの?何が流石で、どこら辺が素敵なの?


「黒豆プリンのクロちゃんとマメちゃんって・・・」


愛がつい口に出すと、皆の視線が自分に集まった。思ったよりも大きな声だったようだ。「バッカじゃないの」という次の言葉を飲み込んだが、周りは自分が何を言うのか待っている。顔が羞恥でほてってくる。


「そのまんまじゃん」


誰かが愛の言葉を引き受けた。


「うん、でも、そういうツッコミどころがある方が、商品としてはウケるんだよね。やっぱり西都ってマーケティングが強いよね」

「領民たちと公爵家の大姫の関係が麗しい。それと一緒に出て来ると買うよな」


土御門晴明と小野鷹邑だった。


「晴明も鷹邑も、遅れてきた上に、そういう皮肉はよしてちょうだい。本当に美味しいプリンなんだから」


そうして、会話は、西都のこと、マーケティングのこと、経済のことになり、活発な討論にまで発展した。その中心にあったのは、あの三人だ。


その日以来、愛は貴族が大嫌いになった。慇懃無礼な馬鹿の集団だと思っている。そして、それを象徴しているかのような速水凪子の存在には激しい嫌悪を感じた。ただ、自分を何度も助けてくれた優しい小野鷹邑だけは憎めなかった。



夏が終わる前に、高村愛と滝川拓哉の交際は完全に終わった。

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