今度は喜代水
しばらくの間、誰も喋らなかった。
「私の赤ちゃん」と速水侯爵令嬢は叫んだ。何も言わないが、それが誰のことを指すのか、皆、同じ人物を思い浮かべているはずだ。齎された衝撃が大き過ぎて、どう切り出していいのか分からない。
「とりあえず、牧田に茶を持ってきてもらって落ち着くか」
・・・どうしてなんだ、牧田。今、私の前に濃い緑色が特徴的な深蒸し茶が置かれている。お祖父さまが提案して、五秒も経っていないはず。何でいつも分かるんだろう。
深蒸し茶は、他のお茶に比べて蒸し時間が長いだけに、えぐみや渋みが抜けていて、まろやかな味なので、こういう精神的に疲れた時の一服にちょうどいい。この毎回、外さないチョイス。もう、ダメだ。考えちゃダメなんだ。
「ここの執事さんは、ずっと【遠見】で見てるの?」
土御門さんの言いたいことは分かるんだけど、牧田は魔力を持っていないよ。あと、執事じゃなくて、家令だから。
「晴明、それは訊いてくれるな。誰も答えられん」
お祖父さまの言葉に、嘉承の父も、お父さまも、頼子叔母様まで頷いた。やっぱり、我が家の七不思議で間違いなかったよ。
「そうなんだ。えーと、このお茶を頂いたら、今までの事情を全部話すってことでいいかな」
諦めたように土御門さんは、深蒸し茶をずずっと飲んだ。うん、それがいい。私も、とりあえず落ち着こう。
一番先に、茶碗を置いたのは頼子叔母様だった。
「父様、私は、もう北条家に向かいますわ。どうせ、土御門が話すことは、大勢の人達が知るには、特に体制側の人間が知るのは、あまり適切でないことでしょうから」
叔母様の思いがけない男前な発言に、飄々としていた土御門さんも流石に吃驚したみたいだ。そうだよね。理不尽の極みにいる人だから、問答無用で、力づくで取り押さえられてボコボコにされると思うよね。・・・と思ったところで、叔母様と目が合いそうになったので、慌ててお父さまの後ろに隠れた。危ない、また心を読まれて、私がボコられるところだったよ。
「ただし、陰陽頭には、貴方が嘉承家にいることを知らせますわよ。理由は不明ということで報告します。嘘をつくのは信条に反しますので、ここで退出した方が私も気楽ですわ」
そう言って、綺麗な淑女の礼と共に、本当に辞去した。
「おい、サブ子、火伏せ坊主とヤバい錫杖も回収していけよ」
叔母様が、食堂を出て玄関に向かったのを見届けてから、声をかける嘉承の父。絶対に【風壁】をがっちりと張れる時間と距離を確保してから言ったよね。
「敦人、お前は、頼子が絡むと本当に大人げないな」
お祖父さまは呆れて、お父さまと北条侯爵は苦笑している。土御門さんも西の大公爵のトホホな態度に微妙な表情だ。
まだ食堂に残って帰り支度をしていた、文福叔父様が、錫杖の遊環をしゃらしゃらと鳴らしながら、瑞祥のお父さまの後ろで隠れている私の隣まで来られた。
「ふーちゃん、瑞祥と嘉承の殿が両隣にいらっしゃるから、お呼びではないかもしれないけど、何かあったら、喜代水は、最後の一滴になっても、ふーちゃんのお手伝いをするからね」
そう言って、叔父様が錫杖の横で左ひざをついたかと思うと、剃髪の頭を静かに下げた。
えっ?ちょっと待った。この感じ、つい先日にもあったよね。
叔父様は、喜代水寺ではなく、喜代水と仰った。「喜代水の最後の一滴」というのは、喜代水の最後の一人までという意味だ。最後の一人になっても、私の手伝いをしてくれるというのは、小野と同じで、私の傘下に入るということでいいんだろうか。
喜代水一門は、小野と違って、血族や親族ではなく、始祖の不比等が建立した大きな寺院とその周りに集まった、ちょっと風変わりな僧侶と行者の集団で、都の貴族の勢力とは一線を画している。どこが風変わりというと、例えば、当代の貫主の叔父様は、古い火の魔力持ちの伯爵家の出身ながら、いわゆる正統派と言われる西条や北条のような火の魔力持ちとは全く相容れない【火伏】という、火を弱める力だけを持って生まれた。喜代水は、そういう本流から外れた魔力を持つ者たちが集まり、1000年以上も自治権を保持している特別区の中心にある。いまだかつて、皇帝陛下にも忠誠を誓ったことがない特別区の魔力持ちの集団が、私を助けるという宣言は、風の小野一族の忠誠よりも大きな意味を持つ。
「文福、それは、喜代水の総意と理解していいのか」
驚きすぎて、とっさに声が出ない私に代わって、お祖父さまが確認して下さった。
「もちろんです。最後の一滴と申し上げましたのは、そう解釈して頂きたいからです。ただ、うちは、小野一族と違って、俗世の権力や勢力争いとは外れたところで存在する僧侶や行者や学者の集まりですので、忠誠を捧げることはできませんから、あくまでお手伝いです。ふーちゃんの公爵位を継ぐ時期に関わらず、喜代水は、ふーちゃんに困ったことが起きたら、いつでも我々のできうる限りのお手伝いをします」
叔父様のいつものえびす顔が、数段凛々しく見えた。私が公爵でいる間のみの忠誠の小野一族とは違い、喜代水は、忠誠はくれないが、爵位継承に関係なく、いつでもお手伝いをしてくれるという。めちゃくちゃ嬉しいんだけど、これが、なかなか微妙な話なんだよね。
「嘉承は、今も昔も未来も、常に瑞祥と共にあることを望む。魔力はともかく、勢力的に瑞祥を越える力は必要ない。不比人が決めることだがな」
お祖父さまが、首の後ろを揉みながら、困ったように私の方に視線を向けられた。実際、まさにそうなんだよ。喜代水の中には、火や風だけでなく、水や土の魔力持ちもいるから、あの集団の総意となると、瑞祥との勢力バランスが問題になる。
「そんなことは瑞祥は気にしませんよ、お父様。ふーちゃん、困った時に何かお手伝いしてもらえるということなら、せっかくのご厚意だし、有難くお受けしようよ」
お父さまは、そう仰るけど、私の代になると瑞祥は従兄のお兄さまが瑞祥公爵を継承しているので、将来的なことを考えずに、お父さまの一存だけで決めちゃってもいいのかなぁ。
「まぁまぁ、勢力とか、そういう難しいことではないんです。ほら、たまに悪霊とか憑いちゃうことがありますよね。そういう時に、ご連絡頂ければ、いつでもお祓い致しますし、うっかり厄災なんか出現させた西都の公達の討伐のお手伝いとか。なかなかお役に立てる集団かと思うんですよ」
お父さまが、「確かに。ふーちゃん、怖がりだもんね」と納得したように叔父様に向かって頷かれたが、逆に私は何もかもが腑に落ちない。悪霊が、たまに憑いちゃうとか、厄災がうっかり出現しちゃったりとかって何なの?叔父様、その良い笑顔が、めちゃくちゃ怖いんですけど。
「彰人、止めとけ。お前、そのうち、喜代水の坊主どもの訪問販売で怪しい水を山ほど買わされるぞ」
「「「あり得る」」」
嘉承の父の言葉に、同意の声が三つ重なった。お祖父さまと北条侯爵と、最後は土御門さんだった。




