黒い蛇の叫び
速水凪子嬢が、明楽君のお父様の魔力を毎日吸収していた。土御門さんから、恐ろしい事実がもたらされた。
「不比人君、約束するから。凪子は化け物じゃない。鷹邑の魔力を吸収していたのは、あいつを生かすためだったんだ。頼むから、凪子の最後の記憶を見せてくれ。そうしたら、君が知りたいことは全部話す」
土御門さんは、必死で訴えるが、生来の魔力属性を変えるほどに、誰かの魔力を吸収し続けたという侯爵令嬢の悪魔めいた、おぞましい行為に、強い嫌悪感が湧いてくるのを止められない。自分でも、また呼吸が浅くなっているのが分かった。気持ち悪い。嫌だ、そんな人の記憶なんて見たくないよ。
「不比人、いちいち呼吸を止めるな、何回も言っているだろう。お前の悪い癖だぞ、それ」
嘉承の父が、にやりと笑って、また私の頭をがしっと掴んで、髪の毛をぐしゃぐしゃにした。
「父様も、頭がもげるから、ぐしゃぐしゃしないでって、いつも言ってるでしょ。悪い癖だよ、それ」
私が言い返すと、「少なくとも呼吸は戻ったな」という冥王。そうか、あれは、簡易AEDだったのか・・・って、全然納得しないよっ。私は猫っ毛だから、それでなくても、髪の毛がぐちゃぐちゃになりやすいんだから。
「不比人、小野鷹邑が絡んでいるんなら、土御門に協力したほうがいいんじゃないのか。経緯をちゃんと掴んだ方がいい」
「それはそうなんだけど、私も風の魔力持ちなんだよ。風の魔力を毎日吸収し続けたとか怖すぎるよ」
私には、豆柴の三角耳は似合わないけれど、もしも今の私にあの耳が生えていれば、根元から、ぺにょっと垂れているに違いない。しっぽも両足の間に巻き込んでいると思う。明楽君、私、「へたれ」なんだよ、ごめん。
私が俯きそうになっているところに、また別の手が私の頭をつかむ。
「不比人、死んだ人間の記憶ごときに怯えるな。一番厄介なのは、生きている人間だ。明楽を絶対に守ってやるんだろうが。」
冥王に続いて、魔王も追い打ちをかけてくる。やっぱりこの人たちは、最凶親子だよ。
「ふーちゃん、大丈夫。何か憑いたら、いつでも喜代水でお祓いするから。今なら、聖水もつけてあげるからね。喜代水だけに、幸せを呼ぶ良いお水だから」
幸せを呼ぶ喜代水寺の良いお水って何なの?霊験あらたかで由緒ある寺院のはずが、なんか思いっきり胡散臭い商売をしてないか。
「茶釜君、ふーちゃんが、もっと怯えるから、話をそっちに持って行かないでね」
錫杖をしゃんしゃんと鳴らしてみせる叔父様を、瑞祥のお父さまがやんわりと止めて下さった。そんな叔父様に、叔母様は、扇で口元を隠し、「あら、おほほほ」と笑って、北条侯爵は、もう絶対に盗まれまいと瘴気の壺をがっつりと抱え込んでいる。何だ、この混沌。
「ああ、もう!分かった。協力するよ。その代わり、約束は必ず守ってよね!」
ほとんど自棄だ。七歳児には、精神的に重すぎて、怖すぎるミッションだけど、大好きなあの明楽君の豆柴のにぱっとした笑いを守るためなら、頑張るしかない。でも、私は、本当に、どうしようもない小心者の怖がりなんだよ。
結局、父様とお父さまに片手をそれぞれ握ってもらうことにした。右に当代の嘉承公爵で、左には瑞祥公爵だよ。どうよ、この曙光帝国最強の攻守。大厄災の魔物に襲われても瞬殺できる布陣で、勝負だよ。
土御門さんが、苦笑しながら、「不比人君、両手がふさがった状態で魔力が使えるの」と訊いてきたが、全く問題ないよ。私は、思考が魔力になるタイプの魔力持ちだから。
「そこも、始祖様と同じなんだ。本当に末恐ろしいね、君は。じゃあ、早速だけど、始めてもらっていいかな」
そう言って、土御門さんが、北条侯爵の抱えこんでいる瘴気の壺に手を伸ばしたが、北条侯爵は、その手をぴしゃりと払い退けた。
「謝って済む話ではないけど、大姫のことは、本当に申し訳ありませんでした。もう北条家を騙して、盗んだりしない。嘉承の三代と瑞祥公爵を前にして、おかしなことができると思うほど、僕は馬鹿じゃないし」
神妙に頭を下げた土御門さんに、容赦のない叔母様が返した。
「馬鹿じゃなくて、大馬鹿ですものね」
「頼子、お前、たまには空気を読めよ。この状況でそれを言うか。時影も、土御門に壺を渡してやれ。何かあったら、俺がお前の分も責任を取るから」
嘉承の父の言葉に、時影おじさまが、憮然としながらも壺を土御門さんに渡した。
「不比人君、瘴気が壺から出てきたら、風と水の魔力を同等に流してやってほしい」
「瘴気に魔力を流すってどうすればいいの?」
形がちゃんとあるものなら、なんとなく分かるけど、瘴気のような実体を持たないものに、魔力を流すというのが理解できない。私の質問に土御門さんが考え込んだ。
「えーとね。まず、魔力をぼわんとさせて・・・」
魔力をぼわん?
あ、この人、東条家と同じで、一切考えずに感覚とか雰囲気とか、ふわっとしたものだけで魔力を使うタイプだ。「魔力がだだーって出たら、きゅきゅっとして」とか、真護がよく言う、擬態語と擬音だけの全く訳の分からない説明しかできない人じゃないの?南条家と気が合いそうだと思ったら、びっくり、実は、第一位の陰陽師の魔力の使い方は、あの東条家と同じだったよ。さっきの頼子叔母様のツッコミ、ドンピシャじゃん。さすがは野生のサブ子。
「不比人、餃子だ。水と風を混ぜて餃子の皮を作るイメージしろ。それで瘴気を餡だと思って包めばいい」
お祖父さまの説明に、「それで誰が分かりますの?」と頼子叔母様が、またツッコミを入れたが、けっこう掴めたかも。私は、しょっちゅう菓子屋の作業場や、家の厨房に出入りしているせいか、料理で例えてもらうと一番分かりやすいんだよ。
「分かった。餃子じゃなくて、大きめの包子の方がいいね。水と風で丸い皮を作り上げて、それを上から被せて、余った部分をねじるように包み込むね」
私の中から、嘉承の風と瑞祥の水を取り出し、混ぜるように練っていく。この塊を、薄くのばしていけば、包子の皮になるよ。
「その年で、驚異的な精度と速さの錬成だね。じゃあ、いくよ」
土御門さんが、壺の蓋を開けると、あの黒い蛇が、そろりと出てきた。お祖父さまの【業火】で焼かれて邪気がなくなっているせいか、あの吐き気を催すような気持ち悪さはなく、むしろ物哀しい感じになっていて、動きも弱々しかった。
「不比人くん、お願い」
土御門さんの合図に合せて、瘴気を私が練った魔力で包むように力を与えた。すると、黒い蛇のような靄が消えて、中核をなしていた『思い』がゆっくりと浮き上がってきた。これが凪子嬢の最後の記憶?
「・・・して。か・・て。わた・・・・ちゃん」
残っていた凪子嬢の魔力が弱すぎて、私の魔力を与えても、きれいに『思い』を掬えない。瘴気がもう消えるかという間際で、ぼやけたイメージながら、若い女性が必死の形相で訴えてきた。
「返して、私の赤ちゃん!」
最後の声は、はっきりと聞き取れたが、まったく予想だにしなかった瘴気の最後の叫びに、様子を見守っていた全員が瞠目した。
そして、黒い蛇は消えてしまった。
喜代水寺の貫主の厳かな読経と錫杖の遊環が揺れる音だけが食堂に響いた。




