振り返れば鬼がいる
翌朝、目が覚めると、自分で思っていた以上に疲れていたようで、ほとんど昼食の時間だった。もう少し、ベッドの中でゴロゴロとしていたいけど、さすがにお腹がすいてきたよ。食堂に行くと、扉の前で牧田がいつものように襟元を直してくれた。
「若様、本日は頼子様が昼食にお見えになるそうですよ」
噂をすれば影がさす。百鬼夜行の頭領が魔王と冥王に会いに来たよ。怖えええ。ここは、観音様にひっついて嵐が去るのを待つに限るな。
「お父さまは?」
「瑞祥の皆様は、もう霊泉伯爵家のお茶会にお出かけになりましたよ」
そうだった。今日は、水の魔力持ちの親睦会だったよ。私も水の魔力があるから、いつも霊泉先生にお誘いを頂くけど、嘉承の嫡男が水の会に参加するのは、また噂雀に余計な餌を与えてしまうから断っている。頼子叔母様が来るのが分かっていたら、私も霊泉先生のところに逃げ込んだのに。
「昨日のお話をお聞きにいらっしゃるそうですよ」
「小野子爵家の話?」
「はい。それと陰陽寮の方々が追いかけているもののお話かと」
ああ、それは頼子叔母様の管轄でもあるから、話は共有しておかないとダメだよね。頼子叔母様は、西都総督というお立場にある人なので、西都に何かある場合は報告しないといけない。そして、叔母様は、帝都におわす陛下に報告する義務がある。
厄災が生存している可能性と、それに気づいた土御門さんが西都に向かっていること。もしかすると西都の安全を脅かしかねないことが出て来るかもしれないし、二年前の陰陽寮のしくじりと隠蔽も考えられることから、叔母様と西都総督府は、きちんと調査して陛下にお伝えしなくてはいけない。
頼子叔母様は、個人的には、西都のみならず、帝国で一番怒らせてはいけない人だと思う。魔力勝負になると、今は、当代の嘉承公爵である父が一番強いが、得意の風を封じて、火の魔力だけに限定すると、お祖父さまが、魔王並みの制御力で、一度に数種類の火を行使して優勢に立つことができるらしい。ただ、長期戦になると、誰よりも魔力量のある父に軍配が上がる。この父を苦戦させるのが、叔母様だ。
嘉承の直系は、代々、風と火の二属性が多いが、時々、めちゃくちゃ強い一属性が現れる。風の魔力が皆無な、火に振り切れた嘉承の大姫。瞬発力と火力が尋常でないんだな、あの人。怒らせたら、瞬間、消し炭になるからね。
覚悟を決めて食堂に入ると、すでにお祖父さまと父が座っていたので、挨拶をした。
「おはようございます」
「うん、もう昼だけどな」
肉体年齢は七歳なんで、勘弁してください。魔力は使ってないけど、昨日は疲労困憊だったよ。主に精神面で。
「一人百鬼夜行が来るぞ。昨日の今日だから、負担になるようだったら、外していいからな。サブ子が来る前に稲荷屋にでも逃げておけよ」
私の行動範囲が稲荷屋だけだと思われているのは悲しいが、実際、出不精が過ぎる私は、普段、学校と稲荷屋に行くくらいしか外出しない。唯一の例外は、料理長と美食探求に出かける時だ。
「誰が一人百鬼夜行でサブ子ですって」
後ろを振り向くと、帝国で最も怒らせてはいけない人ランキング、ダントツ一位の嘉承頼子西都総督が仁王立ちになっていた。父様、消し炭決定!
「頼子、久しいな。元気そうで何よりだ」
そう言いつつ、わざとらしい笑顔で立ち上がった嘉承の父の周りには、薄く【風壁】が張ってあった。速っ、でもやることがセコイな、公爵。
「兄様、ごきげんよう。ようやく家にお戻りになったようで何よりですわっ!」
頼子叔母様が最後の言葉を発すると同時に右手に火を纏わせて、父様に殴りかかった。魔力で強化した腕で、物理攻撃を仕掛ける超武闘派の噂は本当だったよ。
父様は、すでに【風壁】で守られていたので、頼子叔母様が「ちっ」と舌打ちしたかと思うと、火力を上げてガンガンと父様の周りの壁を、めためたに殴り出した。めちゃくちゃ野生じゃん。
いやいや、そうじゃなくて、公爵家の姫だった人が、実兄に奇襲攻撃をかけた挙句に、舌打ちしてタコ殴りとか、色々とおかしいって。
「お祖父さま、叔母様を止めて」
「いつものことだろ。放っとけ。不比人、それより部屋の防御をしてくれ。何か燃やすと姫に怒られるからな」
お祖父さま、七歳児に何を期待するかな。相手が悪すぎるって。
「このままだと、それこそ連帯責任で、姫に【土人形】に閉じ込められるぞ。南都まで小野に口利きを頼みに行くのも面倒だろーが」
「嘉承の大姫の【烈火】だよ。無理に決まってるよ」
お祖父さまは、頬杖をついたまま動こうとしない。よく見ると、この人もしっかりと【風壁】で自分の周りを囲っていた。嘉承家、親子でやることがセコくないか。
「あれ~、何か焦げてるなぁ」
ああ、もう、うちの大人たちはっ!
ヤケ気味で、家具と部屋を【風壁】で覆い、その上に【氷壁】を乗せた。こうすれば、【風壁】に叔母様の火が届く前に氷が温度を下げるので、私の【風壁】でも何とか持つはずだ。
「おっ、氷か。涼しくなっていいな」
お祖父さまは、どこまでも呑気だ。コーヒーの入ったカップを差し出して「ふー、ついでに、これ、アイスコーヒーにしてくれ」と言ってくる。誰がするかっ!
「壁の維持で精一杯だってば」
ぜーぜーと荒い息で、お祖父さまに答えると、部屋の温度が下がったことに気がついた叔母様が、くるりと振り返り、私をキッと睨んだかと思うと、【氷壁】に紅蓮の右ストレートを食らわせた。鬼だ、鬼がいる。
「不比人、もう少し真面目に制御と錬成を頑張りなさい。嘉承の嫡男が、この程度で息切れをして情けないこと」
叔母様の言葉が終わらないうちに私の氷壁は蒸発した。普通は割れるんじゃないの?いきなり蒸発させちゃったよ、この人。
「はい、頼子叔母様。命がけで頑張ります」
思わず直立不動で返事をした。私は長いものには、ぐるんぐるんに巻かれるタイプだ。
「お前ら、いい加減、座れよ。それから、頼子、不比人の【風壁】をよく見ろ」
私の張った【風壁】は、割れもせずに、まだ家具と部屋を守っていた。叔母様が少し驚いた顔をして、また炎を纏った拳でガンガンと叩いた。何でそういう反応になるかな。嘉承の父も妹の奇行に苦笑している。
「あら、風は大したものね。ちゃんと耐えているじゃないの」
「あでぃがどございまずー」
もう魔力切れで、ちゃんと喋れないよ。床に倒れこまず、椅子にちゃんと座ったのは、嫡男を名乗る意地だ。部屋を守る【風壁】を解除したところで、牧田と美也子さんが、いつものように、大量のお菓子を運んできてくれた。昼食前に順番が逆だけど、今は、そんなことを言っておれない。とにかく甘いものを食べて魔力を戻さないと倒れそうになってしまう。
牧田が私の前にザッハトルテと蜂蜜を大量に入れたホットミルクを置いてくれた。ザッハトルテは、アプリコットジャムをサンドしたスポンジケーキをチョコでコーティングしたカロリーの塊なので、普段は敬遠しているけど、魔力回復には効く。
ザッハトルテを食べている横から、牧田が次々にケーキを並べてくれた。ドナウヴェレにケーゼクーヘン、アプフェルシュトゥルーデルと、今日のドルチェ・ヴォルぺはドイツ系のお菓子の日らしい。
この中で、私が一番好きなケーゼクーヘンをお替りした辺りで、だいぶ落ち着いてきた。ケーゼクーヘンは、ドイツ語をそのまま訳すとチーズケーキ。チーズと言っても、ドイツ系のケーキは、クワルクというフレッシュチーズを使うからか、味はヨーグルトケーキっぽい。ケーキに使われるのはザーネクワルクという酸味の強いもので脂肪分は恐怖の40%。人に子豚の呪いをかける悪魔の食べ物だ。でも、これも魔力回復にはすごく効くんだから、しょうがない。美味っ。




