迷宮の中の黒い水
家に帰ると、予想通り、嘉承の四侯爵が集まっていた。前回と違い、今回は、西条家の当主英喜ではなく、先代侯爵の博實の出席で、父の嘉承公爵もいた。
「高村母の様子見てきたか?」
真護の父親の東条侯爵が訊いてきた。昨晩のこと、今日、私たちが明楽君をお母様の病室に届けたことは、もう伝わっているようだ。
「うん、めちゃくちゃ細いお母さんだった。ご飯ちゃんと食べれてなかったのかな」
真護が答えると、お祖父さまが、さらっと怖いことを言った。
「あれは、質の悪い呪いだな。あの蛇に生気を吸われ続けたんだろ」
うげげげげっ。何それ、めちゃくちゃ怖いんですけど。
「よし。不比人と真護が帰ってきたから始めるぞ。全員、座ってくれ。牧田、お茶を頼む」
お祖父さま、牧田は昨日は、私たちに付き合って、遅かったんだから、休ませてあげてよ。人使い荒いよねぇ。あ、でもお祖父さまは夜勤だったっけ。
美也子さんと美咲さんが、茶器の乗ったワゴンを押して入ってきた。二人がお茶を皆に出している中、牧田がそっと私と真護の前に、小ぶりのあんぱんを二つずつ置いてくれた。牧田、最高。もうね、お腹がすいてフラフラだったんだよ。病院から、めちゃくちゃ早歩きしたから、すごいカロリー消費したからね。あ、美也子さんも昨日はお疲れ様。
「博實、英喜が報告してきた内容を皆に教えてやれ」
「うん、なーくんに言われて、うちの英喜が悟朗と帝都に向かって、まずは陰陽寮の土御門君を訪ねたんだよ」
なーくんと呼ばれて、お祖父さまが苦笑い。嘉承長人が本名なので、お祖母さまも含めて、この世代の人には「なーくん」なんだよ。山賊のお頭が、なーくん。うぷぷぷ。ちなみに悟朗は、西条の嫡男だよ。
「でも、彼、相変わらずで、行方不明中なんだって。陰陽頭もいないしさ。それで二位の播磨君をつかまえて、陰陽寮に届いた千台の教育委員会の報告書の写しをもらい、千台に行ったんだ。報告書にあった住所から、あの子の出生届けを調べたら、子供は千台の生まれになっていたけど、父親の名前は記載されていなかった。これが、出生届の写しね」
うわ~、もろ個人情報漏洩。明楽君、ごめんよ。
「それで、母親なんだけど、速水の生まれみたいだね」
先代西条侯爵は、ほんわりした話し方なので、あんぱんを齧りながら軽く聞いていたら、明楽君のお母様の出生地を聞いた途端に空気が変わった。お父さまの顔色が変わっている。
「速水って何?」
真護が訊いた。東条のおじさまが、嘉承の父の顔色をうかがう。
「享護、教えてやれ、不比人も知りたいだろうしな」
「速水というのは、千台の隣にあった厄災の令嬢の生家の領地の名前だ。速水凪子侯爵令嬢が、その人だ」
「凪子は、私たちの祖父の従妹の孫娘だよ。小さい頃は、西都にもよく遊びに来てくれた」
厄災の魔物を作り上げた令嬢と皆は面識があったんだ。真護も青い顔をしている。私も表情が落ちて、チベットスナギツネみたいになっているのかな。
「博實、速水の生まれ以外に何か分かったか」
「今は、これだけ。英喜と悟朗が、速水で高村母の両親を調べているところだよ」
「そうか。北条、俺が渡した高村母についていた呪いの解析は終わったか」
え、お祖父さま、呪いは力技でねじ伏せたんじゃないの?解析用に取っておいたってこと?驚異の魔力制御だよ。山賊の頭だと思ったら、本物の元公爵閣下じゃん。
「ふー、お前、また何か失礼なことを考えてないか」
出たよ、サイキックじじい。この人、絶対、ひとの心が読めるよね。
「では、私から呪いの解析結果を。彰ちゃん、ごめん。水だった。黒く淀んだ深淵にある冷たい水のような魔力で練られた呪い。二年ほどかけてゆっくりと高村母を蝕んでいたようです」
「もしかして、それも凪子嬢って言うんじゃないよな、時影?彼女は、陰陽寮が浄化してもう魔力は存在しないのに」
皆が訊きたかった質問が、南条のおじさまの口から出た。
「織比古、そこまでは分からなかったよ。凪子ちゃんかもしれないし、そうでないかもしれない。でもあの呪いは、水の魔力で練られたものだった。むしろ分からないのが、何の魔力で練られたのか分からないほどの脆弱な呪いが、なぜ人の命を蝕むほどに大きくなれたのかということだ」
うーん、時影おじさま、何を仰っているか、全然わかりません。
「ふーちゃんも真護君も、どうして災厄の魔物が現れるかは知っているね。魔力持ちの強い負の感情が瘴気に変わると、空気中の魔素と結びついてしまうからだね。昨晩の瘴気は、魔力が弱くて実体を持つほどではなかったようだけど、確実に高村母は蝕まれていた。魔力を持たない人や魔力の弱い人でも、怒ったり、妬んだり、憎んだりすれば、小さな呪いが生まれるんだよ。でも、ほとんどは、一日で消えるけど、まれに発した人と、受ける人との親和性が高いと、呪いがついてしまって、受けた人の中で、それが育つことがある。かすかな呪いや、大きな呪いの残滓のような、本来は消えてしまうはずのものが、親和性の高い人間の中で長い時間をかけて、ゆっくりと育ってしまうんだね。昨日の瘴気は、厄災になるほどの強い魔力で練られたものでないとしたら、可能性としては親和性なんだよ」
「親和性?」
「まぁ、相性の良さみたいなものかな」
やだ、何その怖い相性。そんなの良いって言われても、全然嬉しくないよ。
「大きな水の魔力を持っていた侯爵令嬢と、魔力のない高村母の親和性が見えない。だから、正直、凪子ちゃんの魔力かどうかも分からない」
「御前、高村母には、本当に魔力がないんですか」
「無いな。それは断言できる」
でも、それだと、分からないのが明楽君の魔力の強さだ。真護の母親の東条侯爵夫人は、元子爵令嬢だ。弱いけれど魔力を持っている。その母親と東条のおじさまの血を引いた真護より、瞬間的にとは言え、強い魔力を出せる明楽君が、どう考えてもおかしい。
「父親がよっぽど強大な魔力持ちなんだろうなぁ」
「誰なんだよ。帝都にそんな強いやついたか?」
「帝都の魔力持ちとは限らないよ。西都の者かもしれないじゃないか」
全ての辻褄が合っていない。分からないことが多すぎるよ。輪郭のない霧の迷宮に迷い込んだような、もやもやとした気持ちが膨れ上がる。
明楽君。君は誰なの。




