第5話「トロの後継者」
「トロ様! も、もうしゃべらないで、お願いだから!」
「そうは、いかない。これが何なのか、伝えないと、ゲホゲホ! 理解されないままでは、お前が使えずに終わってしまう。息があるうちに、伝えないと」
サーベルタイガーを丸焼きにした傍らで、血をぼとぼとと垂らしながら横たわる勇士『トロ』。狙われていたわたしを助けたがために負傷した彼は、自分の命がもうないと悟ると、サーベルタイガーを火の玉にして沈めた凄い力をわたしに授けたいと言った。
何のことか分からず困惑と怪訝な顔をしているわたしに、勇士『トロ』は儀式のようなしぐさをすると、胸の前に光る冠のような金色の輪を出現させる。そして唖然としているわたしの頭に、それをすうっと被せるようにした。金色の光の輪はわたしの頭の上で吸収されるように消えていった。
そして、冒頭に至る。
優しくも真剣な眼差しは、わたしの目を通り越して、その奥の脳みその中にまで到達するかのよう。
「もう法力はお前に宿っている。使い方を知るのだ」
『頼む』と静かにその目は語っていた。
わたしは観念した。
もうこの人は助からない。なら、この人がこの世にいたという証として、わたしが法力とともに、受け継がなければ。
「……分かりました」
「うむ。少女よ、名は?」
「麻耶……マヤと言います」
「ではマヤ。これからかなり難しい話をする。その後はザックの中の本を読んで、じっくりと研究するがいい。本にはこの法力の根源が何かについては書いてない。それだけは口頭で伝承しなければならないんだ。用意はいいか?」
「はい」
彼はおもむろに手を持ち上げた。
「ここには何がある?」
その手は、わたしとの間の何もない空間を撫でるようにした。
「え? 何もないですけど」
「うむ。だが、何もないようで、実はここには小さな粒がたくさんあるのだ」
「空気の粒……、気体の事ですか?」
彼は苦痛も忘れ、驚いた顔をした。
「マヤ。お前は空気という概念を知っているのか」
地球の空気は78%くらいの窒素と、20%くらいの酸素、他に二酸化炭素やその他でできているって、今や小学生でも知ってる知識だ。ここが地球かは怪しいけど。粒っていうのは、それらの分子の事だろう。
「団扇で扇げば風が起こる。それは空気というあまりにも小さいが、沢山ある粒が動くからだ」
「はい、分かります。その分子、いえ、粒が一定の中にもっともっと沢山集まれば、雲のようになったり、液体、いえ、水のようになったりして、目にも見えるようになるんですよね」
ますます彼は驚いた顔を強めた。そして感慨深げに目を閉じて言う。
「神は我に最高の継承者と引き合わせてくれたようだ……」
そして目を開くと、先ほどのやや焦ったような声色をやめ、穏やかに語る。
「ではその空気の粒に種類があることも知っているか?」
「はい。ほとんどが窒素。次に酸素。これで空気の9割以上を占めてるはずです」
「ふむ……その固有名詞を私は知らないが、お前に授けた法力は、それら空気の粒の中の、オキシジェンを操ることができるものだ」
オキシジェン。酸素だ。そうか!
「炎を大きくしたり、それこそ爆発的に燃やしたりしたのは酸素、いえ、オキシジェンを大量に追加したからですね」
「その通りだ」
「オキシジェンはどこから出てきたんですか?」
「体に溜め込むことができる。体のどこに入るのかわからんが、膨大な量だ。それを見える範囲の任意のところに出現させることができる。例えばさっきは、サーベルタイガーの体の周りに火を着けた後、出現させたのだ」
そうか、それで火矢をまず放ったんだ。動物の体はタンパク質だけど、もっと分解すると炭素がある。そこに酸素をふんだんに注ぎ続ければ、火矢が燃え尽きても体組織の炭素がどんどん燃焼する。つまり一酸化炭素や二酸化炭素へ変わっていく。さらに続けていけば、たぶん他の物質も酸化して違うものに変わっていって、元が何だったのか分からなくなるだろう。
「オキシジェンを体に取り込むのはどうすればいいんですか? それと出すときも」
「入れるときも、出すときも、念じるだけだ……。息を吸いながら、入れと念じれば取り込める。出すときは、出したいところへ手を向けると狙いがずれない……」
意外と簡単なんですね。不器用なわたしにはありがたい。
「オキシジェンは水から作ることができる。……水のある所で補充しておくのが効率的だ。ただ一度に大量に作ってはいけない。私は、オキシジェンを採取して、一休みした時に煙草を吸って、えらい目にあったことがある」
「ああ、水を分解して酸素だけ取って、残った水素に火を着けちゃったんですね。爆発して、辺り一帯水浸しになったでしょ」
「そ、その通りだ」
水素は危険だよ。学校の理科の実験で、試験管の中でやるはずだったのが漏れてて、同じめにあったことがある。怒られたなあ。原発事故でも建屋吹っ飛ばしてたしね。気を付けよう。でもこれは上手く使えば武器にもなるね。気化爆弾だよ。
トロ様はわたしが奥義部分まで知っていてびっくりし、びっくりしすぎて笑ってしまい、お腹の傷を抑えた。
「ト、トロ様!」
わたしは馬鹿だ。なんでもっと相手のことを気遣えないの!?
でもトロ様は優しく、大丈夫だと微笑んで、先を続けた。
「あとは空気からも採れるが、これも気を付けねばならん。空気からオキシジェンを採ると、そこにいる生物は大抵死んでしまう」
そりゃそうだ、酸素がなければ大抵の生物は酸欠死する。
「他にも石とかから採れることもある。その辺は本を見るといい……」
「はい。解りました」
トロ様は安心したように微笑んだ。
「……そうだ、ごほっ、ザックのポケットからイントロを取ってくれ」
「イントロ?」
何のことか分からず、とにかくザックのポケットをまさぐる。キラキラした石や綿毛、何枚かの粘土板のようなものなどが出てきた。
入っていたものを一式持ってくると、トロ様は粘土板のようなものを1枚取った。そして胸から認識票のようなのを取り出すと、粘土板に押し付けた。力を入れたせいか、ぐぅっと痛そうな声をもらした。
「トロ様!」
「……タグを、持っているか?」
「え? 何ですかそれ」
「ないなら、指紋でいい。指を何本かここに押し付けろ」
「は、はい」
指紋ということなので、右手と左手の親指をぎゅうっと粘土板に押し付けた。
「そうしたら……これを、焼け。……焼き固めろ。火打ち石と、着火用の綿が……」
ポケットに一緒に入ってたあれか。
キラキラした石同士をぶつけると火花が飛んだ。それを綿毛に向けてもう一度やると、ぽうっと火が点いた。イントロをそこにかざすと端に着火し、熾火のように赤くなる。赤い部分が少しずつ広がっていった。赤い色がなくなって燃え終わった部分は黒い光沢状となり、カチカチに固まっていた。
全体が燃え終わると、トロ様のタグの模様とわたしの指紋が1つの黒い硬い樹脂のような板に刻まれた。どう使うのか分からないが、トロ様とわたしの結び付きを表すもののような気がする。
トロ様は次第に呼吸が浅くなってきていた。もう時間がなさそうだ。わたしは猛烈な悲しみがこみ上げてきて、嗚咽を漏らした。
「ぐずっ……誰かに、お伝えしておくことは、ありまずか? ずぴっ」
眠っているかのように反応がない。不安な時間が続いたが、急に眼を開けた。
「マヤに、ここまでやってもらわなくてもと、思ったのだが……」
「なんなりと。……水臭いですよ」
「……ザックの中に、皮背表紙の手帳がある。その中に……訪問先の事が書いてある。そこの者達の、頼みを聞いてやってほしい…………」
「そこへ、わたしが代わりに行けばいいんですね?」
「……無理は……しなくていい」
勇士は目を閉じた。そして、恐ろしい事を言った。
「私が死んだら、法力で私を燃やせ。跡形もなく」
「ええ!?」
「練習材料に、丁度いい」
「何言ってるんですか! 命の恩人にそんなことできるわけ、ないじゃないですか!!」
「……体は魂の入れ物にすぎん。死んだあとは不要だ。……私の大事なものはお前に引き継がれた。十分だ」
「うっ、うっ、うっ」
なんて達観しているんだろう。こんな人からわたしごときが、大事な法力を受け継いでいいのだろうか。わたしは悲しみと嗚咽と鼻水で声も絶え絶えとなった。
「ド、ドロざま……」
「……」
もうダメだろうか。
「精進せよ……。力は良いことに使え……」
勇士は眠るように、静かに息絶えた。
わたしは、最初の法力を、トロ様、いえ、わたしのお師匠様の火葬に、使ったのだ。
◇◇◇
目覚めたわたしの目は涙を流していた。
朝の陽ざしが瞳に溜まった水玉の向こうに見える。
横には、静かに寝息を立てているサンドラちゃんがいた。
わたしは彼女が起きないように、そっと抱いた。
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