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三条が口角を張り上げ、ドヤ顔になる。百五十嵐は慌てふためき、六階堂にしがみついた。
「なんの冗談なんです?六階堂さん?こんなデリカシーなくて、いかにもテキトーな奴が、わたしの王子様だなんてあり得ないですよね!」
「いや、誰も王子なんて言ってないだがな。うん、おまえの気持ちも分かるさ。私だって、こいつに命がけで誰かを救うなんていう正義感があるだなんて思えない」
「そ、そうですよね!六階堂さん、ほんとにこいつがわたしを助けるところを見たんですか?見てないんですよね!なら、他にいるんでしょ?ほら、あそこの電信柱に隠れてたりして……」
「あいにくだがな、百五十嵐。私は特殊な訓練を受けててな、半径五百メートル以内の死人の魂を感知できるんだ。この辺りに死人は他にはいない。三条だって嘘をついているように見えないし……こいつはご覧の通りだから、私も正直半信半疑なんだが……。この道路状況から見ても、やっぱりあいつの言っていることは正しい……」
百五十嵐は道路を改めて眺める。八車線道路どうしが交差する巨大な十字路に、渡された四つの横断歩道。そのうち一つに、歩道に近い側から、倒れた三条の死体、そしてほど近くに百五十嵐の死体が続く。その横断歩道に入ってくる側の道はかなりの急坂となっている。その急坂はちょうど十字路付近で終わり、まっすぐ走るつもりの車は、青信号であればアクセルを踏まずに悠々と進んでいけるだろう。しかし今、その十字路の先には横転した無人のトラックがある。
急坂の上の方には路側帯に寄せて駐車したトラックの列がある。工場か何かがあるのだろうか。
この状況を一目見て、六階堂はおおよそ正確に事実を読んでしまっていた。つまり駐車した列の最後尾のトラックに、なにかトラブルがあったのか――サイドブレーキを引き忘れたのか故障か――で、トラックが急坂を滑っていく、横断歩道を渡る百五十嵐へ向かって。歩道を歩いていた三条が、捨て身の体当たりを百五十嵐に食らわせて、自分はトラックに飛ばされる。百五十嵐はトラックの真正面からの衝突を避けることができたが、それでも完全に避けるには遅かった。そんなところだろうと六階堂は踏んでいた。
「百五十嵐、おまえまわりをよく見て横断歩道渡れよ。青信号とはいえ、気付かなかったのか?」
「そ、そんなはずは……。あっ、思い出した!信号は赤かったの。そういえばわたし……」
そう言いかけた百五十嵐を制止して前に出たのは三条。
「思い出したろ?俺がおまえを助けるために道路に飛び込んだこと」
「う、うん。確かに。あなたがわたしを助けてくれたのね。わたしは道路に飛び出してして、……それから、トラックが前に迫ってきて、もう駄目だと諦めたけど……。そのとき誰かががわたしに走って向かってきたの」
百五十嵐は三条に体を向き直った。さっきとはうってかわって、感謝と尊敬で溢れていると言わんばかりの瞳を投げかけた。
「あなたが、助けようとしてくれたのね。ちょっとイヤな奴だと思いかけ……コホン。本当は優しい人だったのね。結果は残念だったけど、助けてくれようとしてありが……」
「そーだ、そーだ!もっと敬え!ひれ伏せ!崇め!」
「ちょっと!そんな言い方しないでよ!だから調子狂うんじゃない!」
百五十嵐は表情から、感謝と尊敬の念は瓦解した。
「ま、っていうことだから、裸の一つや二つ、見せてもらうくらい何でもないってことでいいよな。なんてったって俺は命をも犠牲にまでしたんだからな」
「またそういうこと言う!もうっ!忘れようとしてたところだったのに、また思い出しちゃったじゃないっ!あぁ、最悪。そうだ!いいことを思いついた。ここでわたしの裸を見たあんたの記憶を失わせさえできれば……木刀ででも殴ってしまえば。それに折良く幽霊なんだし、死んだって殺人の罪には問われない!」
「落ち着け!殺人も何も、俺はもう死んでるんだって!」
二人を引いたところで見比べて、六階堂はため息をついた。呆れて肩をすくめ、間に入る気力も失せていた。
「というかおまえ、さっき俺に何か言いかけていたよな。ありが……、なんだっけ?続き言えよ」
「ありがとうなんて思っていないんだから!そう、蟻がたくさんいるって言ったのよ!感謝の気持ちなんて、これっぽちも感じていないんだから!」
「はいはい、ツンデレ、ツンデレ。あの話の流れからしてありがとう、しかないからな。やっぱり感謝の気持ちで一杯なんだなぁ」
「違うって!もうっ。それどころか逆だから。どうせかばうなら、命助けなさいよ。死んじゃったんなら意味ないでしょうが!」
「何を!?それが恩人に対して言う言葉かよ。というか、おまえがもっと丈夫な体で、それに受け身でもとってくれてたんなら、俺は善人間違いなし、天国行きだって確実になっていたはずだったんだぜ」
「命も助けていないのに、恩人なんてよく言えたものね」
「はぁあああ!?」
六階堂はわざとらしく、大きなため息をついて、
「二人とも、そろそろ行くわよ」
二人は天を見上げる。いつの間にか六階堂は頭上にいて、翼を羽ばたかせている。そしておもむろに二人をぎゅっとわしづかみ。抵抗する死人の対処に慣れているのか、軽快に二人を貨車の後部座席に投げ入れる。
「喧嘩は続けていいけど、その中でやれよな。でもシートベルトは着用義務だから。準備は待たないからな。あ、でもこれだけは決まり文句だから言わせてくれ」
一呼吸置いて彼女は言った。
「現世での長旅お疲れ様でした。そしてようこそ、まだ見ぬ、途方もない死後の世界へ」
貨車は上空へ飛翔した。速度は幾何級数的に上昇し、あっという間に地上の営みは視界から消えていった。