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そこには、道路に突っ伏したまま、腕立て伏せのように腕をついて、顔だけこちらに向けた、……全裸になった女の子。ちょうど三条が助けた女性の死体の上に重なるように、うつ伏せになっている。
重たそうな瞼の間に、藍色の大きな瞳が隠される。クルミ色の前髪の束が、二つの瞳に垂れ下がっている。うしろの髪は首もとに流れ、生まれたての卵のような艶やかな肩を通り過ぎてから落ちる。髪の行き着く先は胸板と死体との狭間の空間を隙間なく埋めようとする大きな乳房。背中から尻、太もも、足先に至るまで、三条の正気をまどわせるような柔らかな曲線が続いている。
「え?なにじっと見てるんですか、わたしのこと。わたしに何かついてます?」
「逆だ。まるでなんにもついちゃないんだ……」
「三条。おまえ見過ぎだって」
六階堂は三条の両目を手で覆った。
「え……なに?何のこと?何もついてない?」
その女の子は怖ず怖ずと自分の体に視線を移した。
「え、うそ。なにこれ?って……もしかして……ひゃぃ!」
彼女は慌てて体を小さく丸め、腕で胸と股の辺りを隠した。
「ほら、これを着てなさい」
その後、忙しい衣擦れの音が聞こえた。しばらくして、三条の目にあてがわれた手が解かれると、女の子は六階堂から渡された服を身に纏っていた。
三条と同じような古代ローマ風の白い死に装束だった。しかし男性用と女性用の違いはあるらしい。男性用と同じく無地だが、女性用にはキャラメル色の帯が腰に巻いてあって、それがアクセントになっている。というか、ショルダーカットで肩と二の腕が見えているし、太ももが少し見えるほど下の丈も短く、女性用の方が露出度がなぜか高い。この死装束を選定したおっさん天使とは気が合いそうだ、三条はそう思った。
「えっと……。何も見てないぞ」
「そんな見え透いた嘘が通用すると、ほんとに思ってるの!?」
「まぁ、減るもんじゃなし。過ぎたことは、しゃーない」
「うぅ……。男子に見られるなんて……最悪ぅ……」
女の子は両手に顔を埋め、耳まで赤くなっている。下を向くと、腰に巻いた帯のせいで、胸元のふっくらとした丘が強調される。
「言っとくけどな。俺は別に見たくて見たんじゃない。ただの事故だ」
「その割にはじっくり見てたわよね!?事故では説明できない間が数秒間あったわよね?ほんと最悪!このヘンタイっ!」
「まぁまぁ、落ち着けって。ショックなのは分かるが、一旦落ち着こうぜ」
「こんなときに落ち着いていられないわ!あぁ。男の子に見られるなんて最悪……。もう生きていけない……。でも、なんでわたし裸だったんだろ……」
「死んだからだよ」
「え?」
そのとき急に一陣の強い風が二人の間を通っていった。中央帯に植えられたツバキの葉がざわめき、どこかで空き缶の転がる音が響いた。
「もう生きていけないって言ったけどな、もう生きちゃあいないんだよ」
「あ、あんた何言ってるの?冗談なの?そんなわけないじゃない。こうしてあんたとしゃべっているわたしが、まさか死んでるって言うの?」
「自分の下にあるものを見てみな」
彼女は言われたとおりにした。と見る間に、驚いて立ち上がり、引き下がった。そこには彼女自身の肉体、あるいは死体が転がっていた。彼女は眼を疑った。
「え、どういうこと?わたしが寝ている……。動かない……。息もしていない……」
「そりゃあ、そうだろ。死体が動いたらホラーだぜ」
「嘘……。わたし、ほんとに死んだの……?もう二度とこの体に戻ることはできないの……?」
「当たり前だろ。死人が自分の肉体に戻って動き出したら、ゾンビ映画になっちまう。」
彼女は膝から崩れ、涙を流した。
「あぁ……。わたし、ほんとに死んじゃったのね……」
「ホントだよ。何死んでるんだよ。おまえが生きてさえいれば、俺は善行のために天国行きは確実だったのによぉ」
「死んだのね。生きている者は死ぬ運命だもの、仕方ないけど、やっぱりすぐは受け入れられないよ……。ほんとに自分自身が死ぬなんて……」
「でもさ、六階堂さん」三条は六階堂の方を向いた。「彼女は死んじまったけど、それって彼女の落ち度でもあるんだよな。こいつがもっと丈夫だったら、死ななかったかも。それに、相手が死のうが俺の命がけで助けたという心意気が立派だってことには変わりないじゃん?だから俺、天国行けますよね?」
六階堂は顔を傾け、眉をしかめてみせる。
「おまえ、ちょっとは空気読め」
女の子は四つん這いになり頭を伏せ、哀哭するばかり。
「でもまだ若い内に死ぬなんて。まだ十五よ。あんまりだわ。これから勉強して、大学に行って、楽しい生活が……。友達もたくさん作って、いつか社会に出て働いて、それから、素敵な王子様がいつか現れて……いずれ結婚して……幸せな家庭を作るはずだったのに……。うわぁああん」
泣き叫ぶ女の子の肩に手をやる三条。
「なぁ、おまえからもあの天使さんになんとか言ってくれよ。俺は天国に行くべきだってね」
女の子は三条の手を払いのけ、相手を睨んだ。
「もうっ!何よ!人がせっかくいい感じで絶望しているんだから、変な言葉を挟んでこないで!」
言い合っている二人を尻目に、六階堂はクリップボードを取って、念じるように手を当てた。すると魔法のように一枚の書類が一番上に出現した。そしてざっと目を通してから言った。
「えっと名前は……百五十嵐京だな。私は天使だ。で、この男は三条那由他。ところで、百五十嵐、実はおまえのために、命を落としてまで助けようとした男がいたんだ。結果は、残念なものだったけどな」
「えっ!?そんな人がっ!」
驚きの後、百五十嵐の表情が変わった。
「ほ、ほんとですか?ぜひお礼がしたい!この辺りにいるんですか?」
百五十嵐は目を輝かせた。
――ふへへ、命がけで守ってくれるなんて、ドラマみたい。わたしそういうシチュ憧れちゃうのよね~。どんな王子様かなぁ?
「おい、声漏れてるぞ。それにニヤついてて、気持ち悪」
三条が非難がましく言った。百五十嵐が目を丸くして口に手を当てた。
「あっ、わたしったら……。ま、まあ気を取り直して、六階堂さん、で?どこ?その白馬に乗った王子様って?」
「いやおまえ、馬に乗ってるだなんて言ってないだろうが……」
「あぁ、六階堂さん、間違えました。で、どこなんです?わたしを助けようとして命を落としたって事は、近くにいるはずですよね?」
百五十嵐は立ち上がって、きょろきょろと辺りを眺め回した。かなり距離のある道沿いの建物の間や、街路樹や信号の影の辺りを。視界を妨げる三条を押しのけたりして、全方位探し回る。
六階堂は相手から視線を背けつつ言った。
「……この男だ」
「へっ?どこにいるんです?男子なんてどこに?」
「残念だが、おまえの理想とはほど遠い、これがその男だ」
「……ふぇっ?」
百五十嵐の視線の先に、居丈高に胸を張る三条。
「おまえの言う白馬に乗った王子とはぁ、この俺だああ!」