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発つ天使、跡を濁さず  作者: 朝楽
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1-2

 すると、どこからか生じた穏やかなつむじ風が彼女の髪を巻き上がらせ、神秘の光に包まれた。急に文語的な口調になって、その本を読み上げ始める。


 「聖なる神よ。死者の魂を神の国へと誘う、高尚な任を私に与えてくださった偉大な神よ。私たちの同胞の死に祝福あれ。私たちの……ってちょっと!何してる!」


 三条は天使の背中に回り込み、不思議そうに翼をじっと眺めては、ついにそれを手に取った。


 「ふうん。こうなってんだな」


 三条は羽根の流れとは逆方向に指を滑らせ、サラサラとした触感を何度も確かめる。


 「まるで本物の鳥の翼みたいだ。天使って鳥類なのか?いやそれよりも、付け根の方が気になる……」


 三条は手を伸ばし、天使の背中を(まさぐ)る。天使が不意に官能的な悲鳴を上げ、背中をのけぞらせた。はっとして口に手を当てた。


 「おい、おまえ……。やめ……やめろ」


 天使は抵抗しようとするが力にならない。三条の方は構わず翼をかき分け、翼の継ぎ目を観察する。


 「どうなってんだ、これ。ジャケットに穴が空いていると思ったんだが、広げても肌は見えてこない。翼がジャケットに付いている訳でもないな。翼が体に対して浮いているような感じだ……。そういえば、輪っかの方は……」


 天使は身を小さくして、震えながら、小声でぶつぶつ言っている。三条は気付かない。好奇心の虜となり、気になったものに触れている。


 「うぅん……。触ってみたけど、冷たくないし、熱くもない。ただ確実に感触はある……思念的なアイテムではないんだな。……ん?」


 三条が輪っかを頭の上から掴み取り、自分の胸の前でいじったり、回してみたりした。


 「おお、これ外せるんだな」


 「ちょっ!おまえ!!なんてことをするんだ!」


 天使が輪っかを奪い返そうと手を伸ばしかけたが、すぐに気力を失ってその場にしゃがみ込んだ。


 「うぅ……。輪っか取られたぁ……。これ一旦外したら、もう二度と戻らないのにぃ……最悪……」


 天使はそれまでの落ち着いた振る舞いを一変させ、目に涙を浮かばせて子供のようにいじけていた。三条はそんな天使を見てようやく我に返った。


 「す、すんません!」


 後ろから、しゃがみ込んだ天使の頭に輪っかを当てがって、角度を変えたりして戻そうとする。


 「ひゃあ!」


 天使がまた喘いだ。また急いで口を封じ、三条をぎらりと睨み付ける。


 「くっ!おまえってやつはっ。まさかヘンタイか?」


 「は?何言って……」


 「さっきから当たってるんだろうが。おまえの大事なものが!はやくどけろっ!」


 「当たってるって、何が?」


 「それを私に言わせる気か!?筋金入りのヘンタイだな!」


 「……ん?大事なものって……はっ!」


 三条は自分の体を見下ろした。全裸だった。


 「うわぁああああ!なんじゃこりゃあああああ!」


 「いいから早くこれ着ろ!」


 三条は天使が差し出す衣服を受け取った。白一色の、マント付きの貫頭衣。テルマエ○マエで古代ローマ人が着てた感じのやつ。


 「地味だな……」


 「うん、まぁ似合うじゃないか。馬子にも衣装、だな。」


 「死装束が似合うって言われても、あんま嬉しくないっすね……。ところで、なんで全裸だったんだろ」


 「当たり前だろ?人間が死んでも服は死なないんだからな」


 「まぁ、そりゃそうだけど……」


 理屈では理解しながらも、三条は狐につままれたような気になる。どうやら生きている間に人間は、死人は白装束のような簡素な恰好で湧いてくるというイメージが醸成されるらしい。現実というのはいつも期待外れで、間抜けなものだ。


 「というか、輪っかは大丈夫なんすか?」


 「ほんっとどうしてくれる!……って別にこれただの飾りで実用的な価値はないんだけどな。といってもこれ、天使の象徴なんだよ。死人を迎えに行くとき、輪っかがあるおかげで、どれだけスムーズに話が運ぶか。さて、どうするかな。後で針金に繋いで頭に付けるか」


 三条は輪っかと頭の間に針金がうっすら見える天使が迎えに来るのを想像した。


 「ほんとすんません。天使なんて見る機会ないですから、つい夢中になって……」


 「ま、落ち着いたところで。じゃあ、えっと……名前は……三条那由他か。私はおまえを担当させてもらうことになった六階堂埃ろっかいどうあいだ。少しの間だが、よろしくな」


 六階堂はクリップボードに留めた書類に目を通しながら言った。なにやら書き込んでいる。


 「それ、なんだか役所仕事みたいっすね」


 「みたい、じゃなくて役所だよ。私は天界府付きの公務員だからな。一人前の天使ってのは要するに皆公務員だ」


 「うわぁ……、夢がねぇなぁ……」


 「おまえら生きてる人間が勝手に夢見てただけなんだがなぁ」


 六階堂はため息をつき、カバーを閉じて書類を片付けた。


 「じゃあ、行くか。閻魔大王様のところにな」


 「え?閻魔大王だって?ちょっとまって……」


 三条は当惑した。


 「あのぅ、天使が来たっていうことは……、天国一択ってことだと思ってたんですけど……。宗教観どうなってんの?というか、閻魔大王がいるってことは、もしかして、地獄に行く可能性もあるってこと?」


 「そりゃそうだろ。また妙な勘違いしてたんだな。残念だが、良い奴は天国へ行くが、悪い奴は当然地獄へ行く」


 三条はの顔から血の気が引いて、青ざめる。もっとも、死人には血なんて通っていないのだが。


 「待ってくださいよ!俺は善人です、まったくの善人です!悪い事なんてしたことがない!」


 「善人はそんな言い方しないだろ……」


 「うっ……。いや、その。あっそうだ!あれ見てくださいよ!俺あの子を助けて死んだんですよ!」


 三条の指差す方に、もう一つ倒れている人間があった。


 うつ伏せに倒れているので、二人から正面の姿は見えない。しかし長い髪と体つき、そして服装から、若い女性であることが窺える。


 「ふぅん」


 六階堂は倒れている人間がまだ生きていることを知っていた。人間が死ぬと必ず、三条のように魂が肉体から発現する。六階堂から見える範囲のどこにも、他の魂の姿は見られない。倒れた女性はぴくりとも動かない。しかし六階堂は近くに寄って観察するまでもなかった。ゆっくりと彼女は頷き、三条に柔らかく微笑んだ。


 「見直しだぞ。おまえ、意外と良い奴だったんだな。あの子が起き上がったら、一生おまえに感謝し続けるだろうな」


 六階堂が慈しむような目で倒れた女性を眺めた。彼女の未来の人生を創造するように。


 一方三条は鼻息荒く六階堂に迫った。


 「ですよね!俺、ほんと善人でしょ!善人の中の善人は俺のことっすよ!じゃあ、天国行き決定っすね!」


 六階堂は表情を崩し、眉をひそめた。


 「……おまえなぁ。というか、私に言われても困るんだ。閻魔大王様のところへ行くって言ってるだろ?天国行きか地獄行きか決めるのはあのお方なんだよ」


 「そ、そこをなんとか!天使のよしみで口利きでもしてくださいよ!ね、お綺麗な六階堂様!いやぁ、スタイルいいですよね!ホント。優しい目をした天使様。慈悲の御心に満ちた天使様。神々しい!しかも巨乳!」


 「見苦しいにもほどがあるだろ。それに、さっきと態度変わりすぎ。それにな、最後のは普通にセクハラだし、嫌がらせか?痛い目見たいのか?」


 六階堂は自分の平らな胸に手を当てて、睨みをきかせた。


 「とにかく俺はあの子を助けたんですよ。頼みますって!」


 「だーかーらー、口利きとか無理だから。そんな権力ないって。私をこれ以上困らせるなよ。もう連れて行くぞ……って……あれ?」


 六階堂は三条の背後に視線を移した。


 「どうしたんです、天使様。どこを見てるんですか。俺の目を見てくださいよ!天国に行きたいんです!お願いします!俺はあの子を助け……」


 「う~ん……。もう朝ぁ?あれぇ、外?」


 「ん?」


 六階堂の口は動いていないのに、三条の耳に自分のものでない寝ぼけた声が聞こえた。女の声だ。それも、自分と同年代くらいの……。


 「えっと。そこのお二人さん、何してるんですか?あれ?確か、わたし、道路に飛び出して……」


 背後から聞こえたその声の主を確認すべく、三条は振り返った。

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