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発つ天使、跡を濁さず  作者: 朝楽
11/12

6-1

 百五十嵐は肘をつき、バギーの小刻みな振動に揺られていた。そして、一瞬でも気を許してしまい、三条を認めてしまいそうになった自分を恥じていた。


 ――ほんっと、馬鹿馬鹿。三条の馬鹿。……わたしの馬鹿っ。


 こんな男を一度でも見直しかけてしまったとは。そんな自分が悔しくなってくる。浮かれ調子の隣の男に、一つ言ってやりたくなった。


 「言っとくけど、あんたはたまたま運良く天国に行けるだけだからね。性格や人格が優れていて、天国に行けるわけじゃないってこと、忘れないでよね」


 しかし先に答えたのは六階堂だった。「百五十嵐さんの言うとおり」人差し指を軽く突き上げながら言う。「閻魔大王様の裁判は、人格や人生の総体を評価するものじゃない。閻魔大王様といえど、その人を一目見ただけで死人の心の中のすべてや人生を透かしてみることはできないからな。それに、死人全員を評価しなくちゃいけないから、とにかくスピードが要求される。死人全員の性格や人生の行為を全て調べ上げるだなんてどう考えても無理だ。だから、死人の死の直前の五分間だけ調べて、その人を評価するんだ。」


 「でもさ、心を透かして見ることもできないのに、どうやって死の直前を調べるすか?」


 「冥府にはある鏡があってな。そこには全ての死人の死の直前の五分の行動が映るらしい。正確には常に人間の行動を記録しているらしんだけど、記録の容量に限りがあって、五分以上前の記録は自動的に消去されていく。ログのようなものだ」


 「だからあんたみたいな男でも、死ぬ前の直前だけ良い行いをすれば、天国に行けるってことなのよね。それ以外の人生は関係なしにね」


 「さすがに人殺しとか重い犯罪をした人は天国には行けない。それくらいの悪い人間は裁判の場でボロが出てしまものなんだ。閻魔大王も相当な経験があるから、簡単に見破られてしまう。けどその反面、よっぽどの悪さをしない限り、死ぬ前にいい事をしとけば、良いって事だ」


 「それが死ぬ前に分かっていればどれだけ良いんだろうな……。いやしかし、閻魔大王ってこう、どっしり構えているかと思ってたけど、以外と弱っちそうなやつだったな」


 六階堂が三条を戒めるように言う。


 「こら、失礼だろ。ただ、最近はやっぱり元気がなくなってきていることも、事実なんだよな。あのお方も随分疲れていらっしゃるな」


 「苦労してるって感じだったよね……」






 船に半日乗ってようやくデッキから陸が見えた頃のこと。百五十嵐の隣にはげんこつを食らってしゃがみ込む三条がいる。なにやらわめいているが、彼女は無視して閻魔大王の冥府が頭を出すのを待っていた。


 滑らかな弧を描く丘状の小さな島で、灰色の、つららを逆にしたような細い長い岩が無数に生えている。一カ所、中央まで細い入り江が続いているところがあり、唯一上陸可能なのはそこだけと見える。小さな防波堤がそこにあり、急峻な階段の先には、古代ギリシャのドーリア式の建物。象牙色の石造りで、段のある土台に、巨大な柱が整然と並んでいる。地上の、つまり生きている人間の世界のパルテノン神殿にそっくりだ。その神殿が島のたった一つの建物であり、閻魔大王の館であることは誰の目にも断定できる。


 島に降りると二人は案内役の小鬼に階段を上らされる。港は、対岸のものと比べれば味気ない。土産屋が二、三あるくらいで、広い空き地があるだけだ。土産屋に指定された煎餅が売ってあり、それを野良のケルベロスの子供に観光客が与えている。思わず三条がボソッと言う。


 「奈良じゃあるまいし……。というか、人慣れしていて襲ってこないケルベロスとか、ケルベロスとしてどうなんだよ……」


 何人か、閻魔大王に用がある死人が一緒に歩く。浮かれていない雰囲気から観光客ではないとすぐに分かる。また三条が、


 「ぐはっ、これきつすぎるだろ。一段一段が重すぎる……」


 観光客は階段には寄り附かない。限られた人数だけがロープウェイに乗って丘の上に向かう。裁判を傍聴できる旅行者だ。オークションで付けられるべらぼうな高値を払ってまで転売屋からチケットを受け取った、ほんの一握りの人だけらしい。


 閻魔大王の館に着くと、息つく間もなく控え室のような狭い部屋に案内される。整理券を渡されて、流れ作業のように処理されていく。一番早い者は階段を上った後の息切れが収まらない間に法廷に入れられる。控え室の窓からは、VIPな観光客が優雅にビールやワインを片手にオードブルを食べているのが見える。


 「扱いの差、すごいね……」


 百五十嵐も思わず口にした。ところが三条からは反応が返ってこない。彼は身をこごめ、懸命に膝の震えを抑えていた。それから、口を小さく動かしている。


 「ねえ、三条ったら」


 「ん?なんか言ったか?」


 「あんた、具合悪いの?何してるの?」


 「裁判でどういう対応するかシミュレーションしてるんだよ。だけどもし地獄に行ったらって考えると……どうしても、な」


 「そんな付け焼き刃で、閻魔大王を丸め込むことができるかしら」


 「余裕がある奴はいいよなぁ。くっそ。賄賂送る暇もないとか、詰んだ……」


 「時間があれば送る気でいたのね……」


 「頼れるのは口だけって事だ」


 「あんたはもう……。逆に感心するわ……」


 ついに三条と百五十嵐が呼ばれる。三条のすぐあとに死んだからか、百五十嵐は整理番号がすぐ次だった。待ち時間を少しでも減らすため、次の番号の百五十嵐も法廷内でスタンバイすることとなる。


 法廷の真ん中に閻魔大王が鎮座する。鬼の形相……ではなく、外見は痩せ気味で、眉毛が濃い、四十代の男性といったところで、見た目は人間とあまり変わらない。眼鏡をかけている。裁判を受ける被告人が交代するタイミングで、眼鏡を拭きながら小声で不平がましく閻魔大王が言った。


 「マジでブラックすぎんだろ……。なんでわしだけで全人類の死人の裁判受け持つなんてことになるんだよ……。死人が増えても、給料増えないのに……」


 死人が増えて、カロンのようにビジネスに繋げられる者の懐は潤うが、役所仕事の閻魔大王はた辛くなるだけだった。他の連中は、閻魔大王の嘆きが聞こえていたが、聞こえていないふりをした。


 三条は法廷の真ん中の被告人席へ案内される、が、直前で膝を落としたかと思うと、そのまま土下座した。綺麗な土下座だった。


 「閻魔大王様、わたくしめが天国へ行けるよう、お取り計らいのほどよろしくお願いします!」


 閻魔大王は苦笑した。補佐役は呆れ、書記役は露骨に肩を竦めた。傍聴席の観光客の中には声を立てて笑う者もいる。百五十嵐は知り合いとして恥ずかしくなり、三条を掴んで立たせた。


 「こら、みっともないでしょ」


 しぶしぶ三条は被告人席に収まった。閻魔大王の掠れ気味だが明瞭な声で裁判が始まる。百五十嵐が興味なさそうに見守る。


 「これより故三条那由他氏の死後裁判を行う。三条君、嘘をつかずにわしの質問に答えよ」


 「はい」


 「言っておくが、ここに嘘を確実に見破ることのできる嘘発見器がある。ちなみに、嘘をついたら、即刻地獄行きだぞ」


 「……はい」


 「元気がなくなった気がするが……まあよい。では、貴公は悪い行いをしたことがあるか?」


 「しました」


 「ほう?悪びれる気もない即答だな。貴公は具体的には何をした?」


 「私は道を歩いていて、蟻を踏んで、あるとき殺生してしまいました。小さな蟻です。けれど、それは尊い命なのです。私は悔やんで、悔やんで、悔やみました。尊い命を奪うというのは決してあってはなりません。これが私が人生で犯した最も大きな罪です」


 「蟻を殺したと。それは罪ではあるが、このご時世、蟻を殺して悔やむ者は少ないのだが、貴公は悔やんだと」


 ――三条、あの演技の下で絶対笑ってるわね!ほんと白々しいわ!でも確かに嘘はついていないのよね。他に悪いことなんて山ほどしてそうだけど、何が一番悪い罪なのかなんて主観的な問題だもの。あいつ、嘘をつかずに、自分は蟻を踏む以上の悪いことはしていないと、閻魔大王にまんまと思わせたのね。


 「では……貴公は死んだ時、学生であったらしいが、どういう学生で、将来は何をしたいと思っていた?」


 「はい、日々勉学に励んでおりました。将来は投資ファンドのような会社で仕事を学び、自分で会社を設立して投資や資産運用をしたいと思っておりました。野心はあるけれど資金がなく困っている方達に恵みを与えて、世界経済の発展に邁進したいと思っておりました。でも、……しくしく……それももう叶わないと考えると、残念でなりません……」


 ――デイトレーダーにでもなる気だったのかしら。絶対楽して儲けたかっただけよ……。


 「貴公は学生時代、部活に入らず帰宅部をしていたそうではないか。学校以外の時間はどのように生活しておったのだ?」


 ――待合室で書かされたアンケートの情報ね。


 「部屋に閉じこもってなるべく動かないようにしておりました。ゲームが趣味でよくやっていましたが、それが引きこもりの主目的ではありません。ほんとうの目的は、なるべく運動をしないようにして、呼吸の回数を減らし、二酸化炭素をなるべく排出しないようにするためだったのです……。世間では、地球温暖化問題で、南極の氷が溶けて、寒冷な地域の人々が海に飲み込まれようとしているのです……。そうした人たちのことを考えると、部屋から出る気にはなれませんでした」


 ――ゲームしてたなら、電気使ってたよね。エコでもなんでもないじゃない!


 「ふむ。では、ここからの質問は冥界独自の情報で、確たる事実とはいえないのだが……」


 「え?そんな情報があるんですか?」


 「そうだ。冥界には、数々の裁判の情報を蓄積していて、データベース化されている。過去の死人が生存者に関する発言をした場合、それは記録されて、当該の生存者が死んだときの裁判に活かされる。例えば、夫婦のうち先に奥さんが死んで、奥さんが裁判で夫に関して発言したとなると、夫の裁判のときの情報として利用される。ま、貴公のような若者は、そもそも死んだ知人が数少ないから、情報も少ないが、それでもないわけではない」


 「マ、マジっすか……」


 ――これは想定外だったみたいね。さぁ、どう切り抜けるか、見ものだわ。


 「では質問。貴公は、小学生の頃、クラスメイトの女子のスカートを頻繁にめくっていたという情報があるが、これは本当か?」


 「!?」


 ――あのクズなにやってんのよぉおおおお!


 「かなり当惑しているようだな。いいんだ、黙秘を使っても。かなり不利になるが……」


 ――あいつの顔、これはガチの情報ね。ほんっと最低な男だわ!


 「答えるのか?答えないのか?」


 「……答えます。私は確かにスカートをめくっておりました」


 ――やっぱり!これで地獄行きとまではいかないけど、かなり減点ね。今までの紳士ぶった発言も疑われることになるわ。


 「しかし、私は女の子のパンツが見たくてスカートをめくっていたわけではありません」


 ――は?


 「どういうことだ?説明してみよ」


 「仕方なくやったことなんです!その子はとても暑そうにしていました……。そのままにしておいたら、熱中症になりそうに、私には見えました。教室なのでクーラーもなく、一刻も早く涼しい風を与えてやらなければいけないと焦りました。うちわもないので、仕方なく、スカートの裾であおぐようにしてあげたのです。それが、スカートめくりだと、何度も勘違いされてしまったのです」


 ――そんな言い分が通じるわけ……


 「なるほど、そういうわけであったか」


 ――通じてる!?ちょろすぎでしょ!少しは疑いなさいよ!


 「ただ、もう一つ情報があってな。貴公はこれまた小学生の時、女の子のリコーダーを舐めようとしたそうだな。しかも本人がいる前で」


 ――どうしようもないクズだわ!


 「閻魔大王様、お言葉ですが、舐めようとしただけで、実際には舐めませんでした」


 「そうだ。しかし、その後、四階の音楽室の窓からリコーダーをポイ捨てたそうじゃないか。しかも本人のいる前で」


 ――もう地獄行きなさいよ!というか意味不明だしっ!


 「あ、あぁ……。あれですか。あれも理由がありまして。その女の子のリコーダーに毒が塗られていると思い、舐めて確認しようとしたのですが、やはり神様からもらった自分の命を無駄にするわけにはいかないと思い、とっさに窓から投げ捨てたのです。全ては女の子のためにと思ってやったことです」


 「そうか、それはけっこうなことだ」


 ――だからなんで通じるのよっ!というか嘘発見器が発動しないわね……。嘘発見器が検出できるのは客観的な事実だけで、人間が何を思ったかまでは見破ることは出来ないのね。いや、それとも、三条が本当に言い訳として頭の片隅で考えていたことなのか。……心底どうでもいいわよっ!


 「では話題を変えて……。貴公が今までにした一番の善行といえば、何を挙げ……」


 「車に轢かれそうだった女の子を命がけで救おうとしました!」


 ――食い気味で答えたわ。都合良いんだから……。でも、周りも凄いざわついてる。傍聴人も騒いでるし、書記官も思わず顔を上げたわ。やっぱりここだけは好評価みたいね。イメージとして画になるし。女の子を助けるために命を投げうって駆けつけて……船でわたしを追って駆けつけてくれたときに重なって、凄く格好いい……って何考えてるのよ、わたし!あれはわたしのためじゃなくて賞金のためなんだからっ!


 「あのう、そこの、次の裁判のために待機されている方、失礼ですが……」


 急に閻魔大王が尋問を止めて百五十嵐に声をかけた。


 「へぇっ?なんでしょうか?」


 「さっきから脳内ツッコミしてませんか?顔が鋭くなったり、にやついたり、変化が激しすくて、なんか顔がうるさいです……。声には出ていませんが……。どうか、表情の方もご静粛に……」


 「す、すみません……」


 百五十嵐は顔を真っ赤にした。

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