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ある街外れの路上で三条那由他は生まれて初めて死体というものを見た。しかもそれは自分自身の死体だった。が、彼はしばらくそれが自分のものだとは夢にも思わなかったので、目の前の死体を、恐れ多さ半分、好奇心半分で眺めていた。
「へぇ~、死体ってこんなことになるんだなぁ。人形みたいでやんの」
死体は仰向けに倒れていたので、顔は見えなかった。それに、自分の後ろ姿なんてなかなか見る機会なんてない。だから三条は他人の死体だと思って暢気に構えている。
触れてみる勇気はない。警察に疑われるだろうし、死体に触ること自体が罪に問われそうだし、なんてったって気持ちが悪い。でも好奇心が抑えきれない。伸ばす手を渋っていたところ、しゃがみ込んだ三条の目の高さほどの野良犬が近づいて来た。犬も死体に興味があったのだろう、慎重に臭いを嗅いで様子を見てから死体をひっくり返した。ナイス、犬。後で近くのコンビニにでも寄って、ホットドックを一口分けてやろう。
そして、顔が露わになった。三条はまだその顔が自分のものであることに気付いていない。目を見開いて、口を開け、顔面蒼白だからだ。そんな表情は生きている時の三条のレパートリーにはない。
三条は食い入るようにその顔を見つめる。
「間抜けな野郎だぜ、大口開けて死んでやんの」
よだれが死体の口から垂れていた。体のほうを見ても、内臓が見えるということもないし、というか血も出ていない。そのためグロテスクな感じはしない。
「でもこんな奴でも、そいつの人生があったんだろう。つまんない人生だったにせよ、な。ま、安らかに眠っとけ」
三条は手を合わせて軽く黙祷した。そして目を開け、手をはたいてから言った。
「ふぅ、じゃあ、帰ってギャルゲーの続きでもやっか」
三条が腰を上げて立ち上がった。そして何気なくその高さからその死体を再び見つめた。
「……!?」
三条は事の状況にようやく気付いた。
「これ、よく見たら俺じゃねえかぁああああ!!!」
叫び声があたりに響いた。犬以外、人っ子一人いないし、車も通らない。八車線の道路で、まわりに高い建物もなく、叫び声は五月のよく晴れた空に散逸していった。
「マジかよ!俺死んだのかよ!じゃあ俺は?今喋っている俺は?幽霊なのか!?だろうな!幽霊ってほんとにいたんだ!新聞や週刊誌に持っていけば、大金もらえるんじゃね?」
三条は目の前の死体に触れてみた。しかし体は透けていった。触れることが出来ない。犬に触れたが、やはり透けた。しかも犬はこちらに気付いたそぶりを見せない。
「あぁそうか。幽霊ってのは生きている奴からは見えないのか。じゃあ得ダネにもならんのか……。いや、そんなことより、死んだのは俺なんだよ!人生終わったから大金貰ったってしょうがないだろ!」
三条はまたその場に座り込んだ。
「俺の人生終わったんだな……。一回彼女くらい作っときたかったぜ……。くっそ、大学で華々しくデビューする計画が、崩れちまった。というかそれより、やりっ放しのギャルゲーの続きが……。あぁ、あんな風にとっさに走り出しさえしていなければ、俺はまだ生きていたはずなのに……」
そこまで言いかけて、顔を上げた。
「ま、いっか。過ぎたことはしゃーない」
三条はまた立ち上がり、背伸びをしながらあくびをした。
「まったく死んでも意識が続くだなんて思いもしなかったな。これからどうすりゃいいんだろ。……ん?なんだありゃ」
見上げた視線の先の空から光の束が射していた。空に浮かぶ高い雲をかき分けるように、光の直線が三条めがけて降りてくる。顔を前腕で覆いながら雲間を見つめると、光の中に一点動くものを見つけた。それはだんだん大きくなった。そしてメルヘンチックな装いの箱馬車と、その箱馬車に乗る人影が見えた。
「……ってことは、フランダースの犬形式なんかな」
箱馬車に乗っている人影には……白い翼があり、頭に輪っかが付いている。
「やっぱり天使ときたら絶世の美少女なんだろうな。楽しみだ」
箱馬車はみるみるうちに近づいた。馬はただのオブジェだった。不思議な力で動いているのだろう。やがて、天使の細かな輪郭が見えてきた。やがてその顔が判別できるほど近づいた。
三条は肩を落とし、ため息をついた。
「おい、そこの死人。なんだ?そのガッカリ顔は。言っとくけど私はまだ二十五歳だからな」
箱馬車から降りた天使が、三条を指差しながら言った。少々キツい口調だ。
「いや、俺、別に何も言ってないっすけど……」
天使は三条よりも背が高く、自ずと三条を見下ろすような恰好となる。ツリ目気味の瞳はどこまでも深い黒。瞳にかかる髪も深い黒の黒髪で、前髪は切り揃えられている。なぜかスーツを着ているが、ジャケットと糊のきいたカラーシャツは、痩せ型の彼女によく似合っていた。彼女は間違いなく美人の部類に入るだろう。目鼻はすっとしているし、スレンダーな体型で贅肉がなく、背も高い。それに二十五にしてももっと若く見える。しかし三条が期待した美“少”女ではない。多少の年上なら問題ないが、先月高校に入学したばかりの三条にとって、女性としては歳が離れすぎていた。
「ちっ。顔に出てるんだよ。どうせもっと若い子だったらって思ってたんだろ?そんな顔何度も見てきたんだよ。勝手に思い違いして、勝手に気落ちされても困るんだよね」
三条がどうやって答えたものかと考えていると、間をほとんど置かずに彼女が咳払いをした。それからなぜか気まずそうに三条の方から目を逸らしながら、ビジネスバッグに手を伸ばし、ポケットサイズの分厚い本を片手に広げた。