騒音
卓司は浪人生。すでに二浪しており、次はもうないと父親から最後通告されている。だから、絶対に受験に失敗できない。しかし、春先の引越し時期に若い夫婦が隣の一戸建ての家に引っ越してきた。卓司が借りているアパートからは塀と常緑樹が遮っていて、様子はわからない。その家は、しばらく空き家だったため、卓司は不安になった。
(若い夫婦だから、友達を呼んで夜遅くまで騒いだり、子供が泣いたり、叫んだりしてうるさいのではないだろうか?)
受験に差し支えるような状況になると困る。卓司は隣人の事が気になった。
だが、それは取り越し苦労と思えるようになった。隣家からは子供の泣き声も、深夜の騒ぐ声も聞こえず、平穏な日々が過ぎていった。
(考え過ぎだったか)
卓司は自分が精神的に追い詰められているのだと思い、我が身を恥じた。
そんなある日の事だった。突然、隣家から子供の叫ぶ声が聞こえてきた。それも昼夜を問わずだ。更に悪い事に階段を上り下りする音も聞こえてきた。それでも卓司は耳栓をしたりして堪え、勉強に集中した。
(これくらいの事で心を乱されているようでは、本番で力が出せない)
三浪はできないという強い思いが卓司を支えた。
だが、それも限界が訪れた。まだ夜も明けきらない時間に子供が大騒ぎする声が聞こえてきたのだ。深夜まで勉強をしていた卓司は数時間しか眠れていないので、寝不足だった。
(ここまでくると、俺だけの問題じゃない。近所迷惑だ)
卓司は意を決して部屋を出ると、隣家へ向かった。子供が騒いでいるのだから、親も起きているのだろうと考え、遠慮なくドアフォンを押した。しかし、反応がない。卓司は苛立ち、もう一度押した。すると、家の中でガダンと音が聞こえ、眠そうな顔をした若い男性がパジャマ姿で顔を出した。
「朝早くから、お子さんが大声で騒いでるのはご近所迷惑ですから、控えていただけませんか」
卓司は感情を抑えて告げた。するとその男性は、
「ウチには子供なんかいませんよ。違うお宅じゃないですか? 貴方こそ、迷惑ですよ」
ムッとした表情で言い返すと、勢いよくドアを閉じた。卓司はその反応に呆然としてしまった。
(確かに家の中には子供がいる様子がなかった。一体これはどういう事だろうか?)
卓司は首を傾げて、隣家を離れた。その時、
「ちょっとよろしいですか?」
険しい顔をした警察官二人が卓司の前に現れた。
「何でしょうか?」
卓司は全く身に覚えがないので、怪訝そうな顔で訊いた。
「最近、空き家を荒らす人間がいるんですよ。貴方はその空き家の持ち主の方ですか?」
警察官の一人が隣家を右手で指し示して言った。
「え?」
卓司が振り返ると、その家には誰も住んでいる様子がなかった。ドアフォンは剥がれ落ち、玄関のドアはガラスが割れていて蜘蛛の巣が張っていたのだ。
「うわああ!」
恐怖のあまり、卓司は警察官を押しのけてアパートの部屋へと走った。
「ちょっと!」
二人の警察官が追いかけてきた。しかし、卓司は部屋に飛び込むとロックをかけ、奥の部屋へ走り、布団をかぶって震えた。
「開けなさい!」
警察官がドアを激しく叩く音が聞こえる。だが、卓司は布団から出ようとしない。
「開けなさい!」
ドアを叩く音が更に激しさを増す。やがて、大きな音が聞こえ、近づいてくる足音が聞こえた。
「さあ、一緒に来なさい」
そう言って布団を剥がしたのは、警察官ではなく隣家の男性だった。