今日あったこと
人びとが騒ぐ。
年代物の教壇にはにび色のコートのボタンをふたつもずらして留めている教授が立つ。投げやりな声がその喉から発せられる。むろん、誰も聞いちゃいない。人びとは明日の昼食の話で持ちきりだ。たとえこのまぬけの話を聞いたところで、米粒ひとつぶんほど腹を満たしてくれるわけでもなし、と、確信しているものは少なくない。振り返って見ると席順には法則性が認められるように思う。西側には鮮紅色のモードが目立ち、触発された南の区画はハードを着込んだゲーマーが陣取る。北、東の地方も同様だ。それらすべてを睥睨できるここはどこだろうかと思う。が、それもさりとて腹を満たすものではなかった。
一人くらいは彼の話を聞いてやるものがいたってよい。そうでなくっちゃ報われない。慈悲の芽生えにおどろきつつも、ほこりをかぶった耳を傾け注意をそそぐ。
……で、あるからして、つまり塔には窓が三つしかない。これは通気性の観点からすると悪手であるように思われるし、実際そうである。が、それがどうした。窓がたくさんある塔を思い浮かべるがよい。天つく尖塔のおもてが無数の二重窓で覆われる姿を。キモい。それはさすがにキモい。窓は建物にとっての目であり、窓がたくさんある建物は目が百もついている妖怪に等しい。神話ではもうちょっとましな地位だったろうが、どちらにせよ怪物には違いない。カルチャーショックはソーシャルゲームのレアリティで覆せるほどのものではないのだ。
……これじゃ、耳を貸されないのも当然だ。
チョークの粉はここまで飛来する。伝統的な感冒に侵される将来を思い、手は自然と呼吸器を塞いだ。うぅう、窒息しそうだ! 本末転倒。急速的な彼岸への渡航。パスポートはまだトランクのなか。あの顔写真はどこで撮影したのだろう? 通りかかった賢者に尋ねる。すみません、あの。賢者は立ち止まり、威厳をただよわせる動作でこちらを見る。どうしたかね? えぇっと、お尋ねしたいことが。記憶にまつわることですが。賢者が杖で打擲。あ痛! いきなりなにを! くだらんことをわしに訊くな。賢者はふたたび旅路を急ぐ。わからないことは、検索しろ。遺言とは以上のようであった。
ちょっと、ちょっと! 大声にブレーキを踏むパトロールカー。なるほど、あれにはさほどの防音性もないのだ。ごみ出しした手を打ち払いながら(ここらへんの地区では水曜日に焼尽する)、向かってくるふたりの警官に訴える。あれ、あの人! いきなりやって来て杖でぶん殴られたんです! たぶん法律を四つくらい破っているんじゃないですか。捕まえてくださいよ。現行犯じゃないすか。見ます? この腫れ上がったリンパ腺。ふたりはためらう素振りを見せつつも言う。――それは風邪のせいじゃないですか。――ええ? ベッドには枕とシーツと毛布とタオル。必需品の条件を二十年も満たし続ける。高くあげた右手に、真鍮の針が刺さる。毒液にしか見えぬ緑のどろどろ。それが管から針へ、針から管へと入り込む。点滴とは、このようなものだっただろうか。