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ラムダは薄明の世界に背を向けて立ち上がった。立ち並ぶ柱の一つに近づくと、手にしたカードをスリットに押し込んだ。しかし、曲がっているのか途中で引っかかってしまう。軽く舌打ちすると、ラムダはシグマの剣先をスリットに押し込んだ。意外にも剣は柄まで埋まり込み、やがて目の前に見慣れた空間が現れた。慌てて剣を引き抜いても空間はそのまま開いている。
悄然と立ちすくむラムダに握りしめた鍵だけが確かな感触を持って存在していた。無くさない様に鍵を首から下げると、服の下にしっかりとしまい込む。素肌に感じるその冷たい感触に後押しされるように、ラムダは通路に飛び込んだ。通路は静かに閉じ、蒼茫とした世界からも切り離されて、ラムダは一人きりだった。
「上へ」
悲しみと、不安が一時に押し寄せてくる。全てが失われ、仲間も護るべきものはここにはいない。ゆっくりと上昇する体を剣にもたせかけて立つのが、今のラムダには精一杯だった。
上昇が止まると、いつもの様に非常口は地上への通路を開いた。しかし、そこに広がる光景は決して日常ではありえなかった。
「ひどい……」
ラムダの呟きの前には瓦礫の荒野が広がるだけだった。見慣れたものは何一つ無い。有難い事に動くものの姿は何一つ見当たらなかった。
「このどこに天子様がいるんだろう?」
空虚な空間に自分の声が響くのを恐れるように顰めたラムダの声を聞くものはいない。手掛かりも、目印になるものも何も無かった。
「探し物はデルタが得意だったっけ……」
誰よりも速く都市機能の異常を察知したり、侵入者を発見したりする事がデルタは得意だった。そのデルタも今はいない。さっきアドミが見せた光景を思い出す。ぐっとくる感情を押し殺してラムダは周囲を見回した。
「……デルタ・コード……」
不意に浮んだ言葉を口にする。途端に視覚がブラックアウトする。目を開いているのに何も見えなくなっていた。
やがて視界の外から緑の輝線が縦横に走り出す。それはある明確な構造を持ってそれぞれの線を結んでいた。
「都市……のフレーム」
表層は全て剥ぎ取られ、今、ラムダの足元に有るのは輝線に現された線上の層構造でしか無かった。そこから都市が基底部まで見通せる。各層の間には点々と禍々しい紅点が輝いている。あの色は侵入者の色だ。さっき下層で見た光景が今度は上から見下ろす形になっている。デルタには都市がこの様に点と線で認識されていたのだった。恐らく人も。シグマの言葉が思い出される。
(上はどんな風に見えるんだ?)
シグマには自分はどんな風に映っていたのだろう?自分が都市だと思っていた所は一体何なのだろう?仄暗い思いに沈んだラムダの目にその時一際明るく輝く光点が映った。
「あれは……天子様!」
輝線の位置からラムダにはその光点の場所が認識出来る。ここから2階層下がったところだった。
「急がなきゃ」
ラムダは下への道を探して走り出した。
都市は破壊の限りを尽くされていた。元の形状を留める建造物は一つも無い。その瓦礫の間を動くのは黒衣の男達のみである。
「どこだ……」
しかし、ギリギリと歯を噛み鳴らしながら男達の頭領は唸りを上げた。ニムダのマントを砂塵が巻き上げる。黒装束の男達が瓦礫をひっくり返し始めたのだ。中央管制室を制圧したところまでは、計画通りだった。住人のふりをして潜り込めれば、後は裏口を開いてやるだけで、この通り都市は簡単に掌握できる……はずだった。
「必ずあるはずだ。後は……」
ニムダの視線は地に注いだ。先程捕らえた管理者の姿を思い出す。ニムダは黒衣のマントを翻すと歩き出した。