第五話 奇怪な幼女
それはもう何年前のことだろう? 登喜子の意識は今、随分と昔のその時の頃に、一時的に戻っていた。
「うぇええええん! うわぁああああん!」
とある薄暗い部屋の中、一人の蜘蛛人の幼い少女が、痛ましい声を上げて泣きじゃくっている。
彼女の着ている安物の着物は、血で汚れている。露出した顔や手足には、無数の酷い打撲の跡があった。更に酷いことに、彼女の下半身の、蜘蛛の足の内の一本がなくなっていたのだ。
本来八本あるはずの蜘蛛の足の一本が、途中でもぎ取られている。千切れた後から、血がボトボトと未だに流れ出ており、これがなくなったのは、つい先程の事であることが判る。
「あ~~あ、ぎゃんぎゃん鬱陶しく泣きやがって! 足なんてまた生えてくるわよ。どうせならもう一本もいでやろうか?」
そんな彼女を見下ろす女の姿。彼女の手には、先程もぎ取られた蜘蛛足が一本、つま先から握られていた。女はその足を、思いっきり泣きじゃくる少女に投げつける。
自分の足を頭にぶつけられた少女は、更に泣き、必死に女に向かって許しを請うた。
「お母さん・・・・・・痛い・・・・・・痛いよ・・・・・・私いい子にするからもうぶたないで・・・・・・」
その懇願の言葉への返事を、その母親は言葉ではなく、唾を吹きかけて返した。
「いい子だって? 何をどうすればいい子になるのかしらないけどさ、あんたなんか存在そのものが鬱陶しいのよ! 何度も何度も、あんなに特訓させてやったのに、魔法成績があんなクソなんて、ふざけてんの? 菊花はあんなに優秀で立派な子なのに、何で双子でこんな落ちこぼれが生まれたのかしらね~」
泣きじゃくる娘に、無慈悲な言葉を投げつけるその母の言葉は、未来で彼女が撃ち殺したあの虐待母と、全く同じものであった。
母親は血みどろで倒れる娘に手を差し出す。勿論それは、娘への救いの手でない。その手はまだ健在の残りの足の一本を、乱暴に掴んだ。
「やっぱり後二本ぐらいもいでおくかしら。どうせ半月もすればまた生えてくるし。半月ごとの足抜きのしつけ日でも設けてみるかしら?」
「いや・・・・・・やめて・・・・・・お母さん・・・・・・」
「“お母さん”なんて言うんじゃないわよ! 耳障りなんてもんじゃないわ! 私の子は菊花だけで充分。あんたなんて、生まれてこなければ良かったのよ!」
泣き続ける娘を罵倒し続け、手にかけた二本目の足を、雑草を引き抜くように、勢いよくもぎ取った。
「いやぁああああああああーーーーーーー!」
「ぎゃぁああああ! はぐっ!?」
絶叫と共に登喜子は目覚めた。すぐに我に返り、登喜子は辺りを見回す。
時間は既に夕方。日が落ちかけて、辺りが薄暗くなり始める時間。登喜子が寝ていたのは、町外れの林の中だった。
すぐに彼女は思い出した。あの住宅地で女を殺し、その子供を連れて、町の外へと出たこと。その後で傷だらけの子供の手当と、やせ細った子供の栄養補給のために、彼女は町でこっそりと様々なものを調達してきた。
『緊急だから、無断で持ち出すことになっちゃったわね・・・・・・。今は無理だけど、いつか代金を送っておかないと』
そんなこんなで緊急で連れ出した(世間一般的には誘拐という)子供の手当てをし、そして様々なものを食べさせた(この時には、自分の分の食糧も、しっかり頂いていた)。
またその手当の際、その子供の性別が女性であることも発覚した。辺りを見回し、薄暗い林の中にいる自分のすぐ側に、あの助けた幼女が、目を丸くして、こっちを見ていることに気がついた。
どうやらこの幼女の世話に一段落した後、彼女は少し疲れて眠ってしまったらしい。
「ああ、悪いわね・・・・・・。あんたのことそのままにして、急に眠っちゃった上に、変な声上げちゃって・・・・・・怖い思いさせちゃったかしら?」
そんな登喜子の謝罪に、幼女は首を横に振る。現在幼女の身体には、全身に包帯が巻かれており、ミイラのモンスターのような姿であった。
あの汚れきった服は取り払われ、幼女の身体には登喜子がどこかから持ってきた広めの布を、衣服代わりに身体に被せている。
あれからどれぐらいの時間が経ったか判らないが、幼女は後遺症もなく無事のようだ。何となく顔の血色も、先程よりはマシになったように見える。
(まさか急に居眠りしちゃうなんてね・・・・・・。何か色々疲れる体験したせいでもあるんだろうけど。しかしまさか子供の虐待場面に遭うなんてね・・・・・・。おかげで酷いこと、夢に見ちゃったじゃない)
先程夢に見た、彼女の過去の体験。それに重なるものを、今日になって見せられてしまったせいで、あんな夢を見たのかも知れない。
本当は思い出したくもない、だが決して目を逸らすわけにもいかない過去に、登喜子の心は随分と苛立っていた。その様子を、幼女が訝しげに見ていることに気づく。
「ああ、悪いわね。ちょっと怖い顔してたかしら? 私は月永 登喜子。君は・・・・・・」
「俺はネル・ランキンだ。さっきはありがとな姐さん」
登喜子の名乗りに対して、しっかり自分の名前を言って返す幼女=ネル。だが登喜子は、一瞬その声が、本当に目の前の幼女が口にした言葉なのか疑った。
「えっ!? 今の・・・・・・」
「何だ姉さん? 俺の声、よく聞こえなかったか? 俺はネル・ランキンだ。ネルが名前で、ランキンが苗字だぜ」
「えっええ・・・・・・ネル。大分元気になったみたいね・・・・・・。さっきの女は・・・・・・」
「ああ、あいつはあんなんでも一応俺の母親だ。俺を殴ってた理由は、さっき姐さんが言った通りよ。元々浮気性で、金遣いの荒いろくでもない女だったが、そのツケを受けたのを俺に当たりやがって・・・・・・。いやあ姐さんがさっくりやってくれて助かったわ。あんたは俺の命の恩人だぜ。俺の今の身体じゃあ、まだ人を殺せるだけの力がなかったからなぁ」
「えっ、ええ・・・・・・」
柄悪く饒舌に語りながら、きちんと登喜子に感謝するネル。その装いは、とてもさっきまで虐待を受けていたとは思えないほど、実に堂々としたものだった。
心の傷など微塵も感じさせず口に出される、その感謝の意は受け取りながらも、登喜子は分かりやすく首を曲げて困惑していた。
「ええとネル・・・・・・君、今幾つ?」
「七つだぜ」
ネル=七歳という、見た目に反しない、真っ当な返答が来た。だがそれでも登喜子の困惑は消えない。
「本当に七歳? 何か雰囲気が子供っぽくないし、随分難しい単語知ってるみたいだけど・・・・・・」
「ああ、俺は生まれながらの天才なんだよ。だから物覚えもいいんだ。見た目は子供で頭脳は大人な名探偵にも負けない大天才だぜ♫」
(そういうものなの!? いやこの大陸ではそうなの!? ていうか後半の例えの意味が判らないんだけど・・・・・・)
それで納得していいものか判らないが、実際に目の前にそんな子供が実在するので、もう納得するしかないだろう。違和感は消えないが、登喜子はそのことを、これ以上考えるのは止めておいた。
「それでネル・・・・・・君のことはこれからどうすればいいのかな? やっぱり後でこっそり、この街の警察に送ろうかと思ってるけど」
その場の勢いで見知らぬ人の子供を、ここまで連れてきてしまった登喜子。応急処置は一段落したので、一般的な対処法を提案するが。
「警察~~? それは駄目だわ。ここの警察、碌な仕事しないし、あんなところ連れてかれたら、下手すりゃ俺、人買いに連れてかれてしまうわ。ていうか実際前に、人攫いが近寄ってきてやばかったし」
「そっ、そうなんだ・・・・・・じゃああんたの父親は? 離婚したけど、まだどこかにいるんでしょ?」
ネルを“あんた”呼ばわりして、もう子供に対する態度でなくなっている登喜子。
「知らんわな。多分もうこの街にはいないんじゃないのか? 元々この街嫌ってみたいだし、もうこんな町に来るか~~!とか最後に言ってたし。俺に向かっても、唾かけてきたし」
「じゃあ私はあんたを、どうすればいいわけよ・・・・・・」
「勿論姐さんが俺のこと養ってくれよ! 大人になったら、きちんと恩返ししてやるからさ。俺は生まれながらの天才だから、今は無理でも、いつかはきっと姐さんの役に立つぜ!」
「ええ~~~!?」
返されたのは実に困った返答であった。善意(?)でネルの親を殺した以上、確かに登喜子には、ネルを保護する義理はあるかも知れないが。そもそも今の自分の状況からして、安易に良しと言えない頼みである。
「何だよその反応? 言うけどもし俺を警察に連れてったら、姐さんがあのババアを殺したって、チクッてやるぞ~~」
「いやぁ・・・・・・そもそも私は犯罪者なんだけどね・・・・・・」
「あん? それはどういうことだよ?」
「うん・・・・・・私にもよく判らなくてさ・・・・・・」
幼児が自分を脅してきたことに関しては気に留めず、己の現状を説明する。誰でも訳が判らなくなる顛末に、ネルは当然のごとく困惑した。
「いや、本当に訳判らんな。まあ、確かにアマテラス大陸の獣人が、こんなところにいるのか不思議に思ったけどさ・・・・・・」
「ええ、しかも何故か長距離転移もできなくなってて、自力で刑務所に帰れないし・・・・・・。本当は今日が出所の日だったのに、本当に最悪よこれ」
「長距離転移? 姐さん次元魔道士か?」
次元魔道士とは、幾つかの系統がある魔法の中で、時間・次元・重力などの、空間に干渉する魔法=次元魔法を操る術者である。
最初に謎の男の銃弾を弾いたのも、彼女が使った時空魔法の、重力結界によるものだ。
「ええ、自分で言うのも何だけど、私は祖国じゃ相当の凄腕の魔道士だったのよ。一時は軍で中佐の階級にもいたし。まあ色々あって今は落ちぶれて、ただの犯罪者に成り下がっちゃったけど」
次元魔法のことを理解しているネルに、そんな知識をどこで得たんだ?という突っ込みを入れることなく、自身の素性を口にする登喜子。
彼女は本人がその気になれば、二つの大陸を自力で行き来できるほどの、高階級魔道士だったのである。
「そんじゃこれからアマテラスまで帰るのか? だったら俺も連れていってくれよ。あそこはめっちゃ豊かで平和な国だっていうし。あんな汚い町、俺はもう真っ平ごめんだと思ってたとこだし・・・・・・」
「まあ、そうしてあげたいところも山々だけどさ・・・・・・でも私さっき、あんたのためにあそこで盗みを働いたばかりなのよね。そのツケはちゃんと返さないといけないから、すぐにここを離れられないよ」
「あれ? 何かあっちから変な音が? これは・・・・・・ヘリのローター音?」
自分が犯した殺人よりも、盗みの罪の方を一番に気にかけている登喜子。丘の下に見えるその問題の町を、二人が揃って目を向けたときだった。
ドォオオオオオオオオオオオン!
突如この林のすぐ側に見えるその町から、突如何の前触れもなく、凄まじい爆音が鳴り響いた。そしてこの薄暗くなった町の風景が、突如真っ赤に明るく輝いた。