第四話 三度目の殺人事件
住宅街のとある中規模の家にて。その家は少々荒れていた。
庭の草木は殆ど手入れがされておらず、雑草が生え放題。正面玄関からの裏側には、回収に出されていないゴミ袋が、山のように積み重ねられて、蝿を集らせ、異臭を辺りに立ちこめさせている。
そんな家の中に、今二人の人間がいた。装飾もなにもなく、極めて質素、というよりは、物を置ける余裕もない貧困さを感じさせる家の中。
その中の居間にて、ひっくり返されたテーブル共に、一人の子供が倒れている。性別ははっきりと判らないが、恐らく六~七歳ぐらいの幼児だ。
踞る子供の服は、もう何日洗っていないのか汚れだらけ、血もこびり付いている。露出する子供の手足には、まだついてまもない痣が、いくつもついていた。
そんな子供を見下ろすのは、一人の三十歳ぐらいの女性。双方とも金髪碧眼で、見た感じでは親子のように見える。最も女性の態度は、とても親とは思えないものであった。
「私言ったわよね? 私が帰ってくるまでに、家の掃除を全部すませておきなさいって。何よこれ、まだ半分もいってないじゃない。しかもこの窓なんか酷いわ! こんなものを外から見られて、恥をかくのは私なんだからね! 元々あんたがつけたものだってのに、自分のものさえ・・・・・・」
ヒステリックに叫び続ける女。煤だらけの家の中、血らしきものがこびり付いた窓を差して、狂ったように叫ぶ。ちなみにその窓は、とても幼児の手の届くところになく、この子供に掃除させるのは不可能だろう。
そもそもどうしてこの位置の窓に、この子供の血が付着する事態が起こるのだろうか? 飛び散ってついた血だというなら、いったいどれほどの勢いで殴ったのだろうか?
抵抗する力のない子供を、女は容赦なく蹴りつける。数回ほど蹴った後で、女はその子供を、侮蔑しきった目で見る。
このようなことをされれば、子供どころか、大人でさえ泣き叫んで助けを求めるだろう。
だがその子供の目には、涙など流れていなかった。横向きに倒れた姿勢で、むせ返りながら、子供は女を見上げる。
「うっ・・・・・・」
何故か虐待する側の女が、顔を青くしてたじろぐ。
女を見上げるその目には、まるで蛇が獲物を睨み殺すような、凄まじい憎悪と殺意が感じられるものだった。
子供は自身の手に着いた血を舐めとり、ゾンビのようにゆっくりと、地面に膝をついた姿勢で、上半身を起こす。そして何も言うことなく、ただひたすら、そのおぞましい視線を女に向け続ける。
そして途中で一度、まるで相手を哀れむような、そして嘲笑うような嘆息をする。泣き喚くこともなく、まるで多くの修羅場を駆け巡った猛者のような、その幼児らしかぬ雰囲気は、とてつもない異質さを感じさせた。
「なっ、何よ・・・・・・その生意気な目は・・・・・・!? まだ蹴り足りないっていうなら・・・・・・」
バキン! ドオン!
逆に震えている女の、更なる激昂が響きそうになったときに、突如玄関の方で、盛大な物音がした。
それはまさに、まるで誰かがドアを蹴破るような音。そして多足による連打される足音。
案の定、この家の中に入り込んできたのは、先程までこの家の側で聞き耳を立てていた登喜子であった。
「ひいっ!? ばっ、化け物!? 獣人!?」
「全くさ・・・・・・さっきの苛めといい、なんでこう立て続けに不快なものを見せてくれるのかしらね、この街はさ・・・・・・」
口調は静かだが、部屋に飛び込んできた登喜子は、凄まじい怒りの形相であった。
一方の女も、突如自宅に入り込んできた、この国では異形と受け取られる、蜘蛛の獣人の姿に、戦慄していた。
「なっ、何なのよあんた!? いきなり人の家に出てきて、何のつもり!?」
「私が何かって? それは勿論、あんたみたいな屑とは正反対の“誠実な大人”よ。いまここで、とても不誠実なことが行われてるみたいだから、それを止めに来たの。それぐらいのことも分からないわけ?」
突然の乱入者に最初は戸惑いまくって腰を抜かしていた女も、多少平静を取り戻してくる。そして逆に再びの怒りを露わし、今度は登喜子に向けて叫び出す。
「この蛮族・・・・・・不法侵入しておいて、随分言ってくれるじゃない! 不誠実って何よ! 私はただ、この役立たずのガキをしつけてあげてるだけよ! 親として当然のことをしてるのに、何であんたなんかに・・・・・・」
「はいはい“しつけ”ね・・・・・・。虐待する親は、大概そんなことを言うわ。それが自分がどれだけ頭のおかしなクソであるかを、堂々宣言していることも知らずにね」
嘲笑う口調の登喜子の言葉に、女がまた何か口汚く反論するが、登喜子はそれを無視して、今この部屋から見える範囲の、この家の状況を観察する。
「しかし中は随分殺風景な家ね。家自体は結構な大きさなのに何これ? 金目の物は全部売っちゃったのかしら? 夫も子もいる身で、他のよさげな男と不倫して、夫を捨てたけど。実はその不倫相手が詐欺師で、全財産持ってかれて、この鬱憤を我が子にぶつけたかしら?」
「ちょっと何よ!? 何であんたがそんなこと知ってるのよ!?」
「・・・・・・へっ?」
登喜子の捲し立てるような言葉に、驚愕する女。だがどういうことだろう? 彼女の犯した問題を口にした登喜子が、女の困惑する姿を見て、何故か登喜子自身も当惑している。
この相手の反応に、女もまた、先程とは別の方で当惑する。当惑に当惑で返すという、何とも不思議なやりとりである。
「何よそれ・・・・・・。私はただ前に(刑務所の)知り合いから聞いた身の上話を、適当に言ってみただけなんだけど・・・・・・まさか今の話が図星だったわけ!? こういう話って、よくあることなのかしら? ・・・・・・ていうか、まさに正真正銘の屑ね。本当にしつけが必要だったのは、あんたの方だったじゃないの」
「ふがぁあああああーーーー!」
適当に言ったことが真実だったという、とてつもない偶然に、実に呆れる登喜子の耳に、突如奇声が飛び込んでくる。
女の方が、突如言葉になっていない、獣のようで、ギャグ風味に絶叫したのである。
「うるさいうるさいうるさい! どいつもこいつも、私を馬鹿にして! 皆私の言うとおりにしないのが悪いのよ! だいたいそのガキだって、しょっちゅう意味の判らないこと言って、昔から気持ち悪かったのよ! そうよ、きっとこいつは厄を持って生まれてきたのよ! きっと全部こいつのせいよ! こんな汚らわしいガキ、生きてる価値なんてないわ! もうしつけなんかしないで、さっさと殺し・・・・・・」
「生きる価値がないのは、あんたよ!」
ダン!
理性など欠片も失った女を、登喜子は激昂して発砲した。素早く懐から取りだした拳銃による早撃ち。
一瞬で女の眉間に、啄木鳥の巣のような小さな穴が開き。そして後頭部から盛大な赤いシャワーが放出されて、この何もない家の中に、赤い彩りを加えた。
女は自分に何が起こったのか判らぬまま、そのうるさい口をようやく閉ざしたのであった。
(ふう・・・・・・またゴミを一つ始末したわ。いやあ・・・・・・善いことした後は気持ちがいいわ♫)
己の善行に酔いしれ、しばらく悦に入っていた登喜子。だがすぐに当面の問題を思い出す。
「ああ、そうだ! 君、大丈夫!?」
女の死体からすぐに視線を逸らし、登喜子は倒れていた子供のほうに声をかける。子供は何とも呆然とした様子で、自分の母親である女の死体を、黙って見続けていた。
目の前で人が死んだ。しかも自分の母親が。その事実に、子供はやはり泣くこともなければ、怯える様子もなく、無言で正座するような姿勢で、登喜子と女の亡骸を見続けていた。
「大丈夫よ、もう君を苛める奴なんていないから。うわあ酷い傷だわ・・・・・・すぐに手当がいるわね。もう誰にも、君にこんな傷を付けさせたりしないから、安心して・・・・・・」
優しい声で、子供を抱きしめて語りかける登喜子。子供は自分に触れてきた殺人者を怖がることもなく、ただ黙って彼女の腕の中で頷いた。