序幕
何処かの世界のとある大陸のとある国。
そのある場所にあるその建物は、一般の人ならば、できれば二度と行きたくない場所の一つであろう。そこは刑務所である。
頑強な要塞のような無骨な建築物の内部は、一般の人がイメージするような、ススだらけで鼠が集っているような不潔な場所ではなく、実に小綺麗で白い床と天井で覆われた、清潔感溢れる場所である。
青い着物と白い軽衫の服装の上に、真っ黒な防護装甲服を着て、右腰には拳銃・左腰には刀・両手には小銃を構えた、物騒な装いをしているのは、この刑務所の看守達。
そんな彼らが、この刑務所の秩序を守るべく、この巨大な建物内の各所を歩き回っている。中には勤務中に堂々と昼寝をしていたり、スマホらしきものをいじって、明らかに仕事をサボっているふうの者もいるが。
囚人達が閉じ込められている収監室は、一般に思われるような、鉄格子が網の目のように広がる場所ではなかった。
長い廊下の両側を、団地の部屋のように並べられる、個々の収監部屋には、廊下と面してガラスのような透明な壁で包まれていた。
視界を遮る壁はなく、内部にある布団や便所等が、廊下側から丸見えである。これなら、囚人達が中で何か怪しげな動きをしても、看守側から全て丸見えであろう。
この透明な壁は、視覚的には普通に拳で叩けば割れそうに見える。だが個々の部屋にいる看守達は、何もせずに黙って部屋で大人しくしている。見た目と違って、頑丈さには信頼があるのかも知れない。
囚人も看守も、皆何も喋らずに、実に静かな収監場所にて。一人の看守が、とある収監室を通り過ぎるときに・・・・・・
「やあ光太郎! 明後日にはあんたともお別れね♫ 寂しいかしら?」
その静寂を打ち破る、実に場違いで明るい声が聞こえてきた。
透明壁ごしに、一人の囚人が、看守に向かって、まるで友達に話しかけるような気楽な口調で話しかけてきたのである。
「寂しい? 何故そんな勝ち誇ったような態度なんだか・・・・・・。単に刑期が終わるだけだろうが・・・・・・」
「別に勝ち誇ってなんか無いわよ~~。もう五年も、毎日顔あわせてる関係なのに、ちょっとは名残惜しんだらどうなわけ?」
「名残惜しむ前に、まずこんな所に来るようなことすんじゃねえよ・・・・・・」
「ああ、はいはい分かったわよ。でもまたここに来ることになったら、またお世話よろしくね」
「絶対にくんなよ登喜子・・・・・・」
やや苛立った看守=光太郎の言葉。声をかけられて立ち止まった彼の目の前には、透明壁で内部が丸見えの部屋に、当然のごとくさっきから、いやに親しげに語りかけてくる囚人の姿がある。
その人物の姿は、もし魔法も魔物もいない世界の住人が見たら、その異形さに腰を抜かしたかも知れない。
その囚人は、三十歳ぐらいの女性であった。短く揃えられた茶髪で、他の囚人同様に白い着物の囚人服を着ている。
そこまではごく普通である。おかしなのは、彼女の顔や胴体ではなく、その更に下。彼女の下半身にあった。
彼女の身体の下部分は、なんと蜘蛛であった。別に足に蜘蛛がくっついているという意味ではない。身体形状的な意味で蜘蛛なのである。それは例えるならば、ケンタウロスの蜘蛛版だ。
茶色い皮と短い毛で覆われた、巨大な蜘蛛の怪物の身体がそこにあった。八本の足が生えた、まさに巨大な虫の怪物である。
その蜘蛛の頭部に当たる部分には、何故か顔がない。目も口もない。いや正確にはその上に、人の形であった。
その女性囚人は、下半身には人間のような足がなく、腰の部分が巨大な蜘蛛の身体とくっついているような状態なのだ。
女性の意思に反応して、その人によっては嫌悪感をもよおす蜘蛛の足が、個々に複雑に動いている。そうこの蜘蛛の身体は、紛れもなくこの女性囚人=登喜子の身体の一部なのだ。
まさに身体半分ずつに分かれた蜘蛛人間である。本来蜘蛛の顔がある部分=登喜子の腰と秘部の部分には、長布が褌のように巻かれており、秘部をすっぽり隠している。身体の形状的に、下着などを捌けないための措置であろう。
「ていうか実際問題として、ここを出たらどうする気だよお前? まさかまた黒い仕事に手をつけないだろうな?」
「心配せずとも、もうしないわよ。私はこの通り、しっかり改心して、これから誠実な大人としてしっかり生きてくつもりだから!」
「そう言いながら、結局ここに戻ってくる奴は、しょっちゅういるんだがな・・・・・・」
「あはははっ、だからその時はよろしくってことよ♫ まあ、とりあえず・・・・・・次の仕事は、まず家に帰って、そこで話をつけてからにするわ。十年の接触禁止命も切れたところだし丁度いいわ。それに私ほどの魔道士なら、新しい仕事なんて、いくらでも見つかるし!」
「なっ・・・・・・」
呆れた様子の光太郎の様子が、その発言を聞いて、即座に変わる。バイザー付きの兜を被っているせいで、その表情は読みづらいが、どうもかなり動揺している様子だ。
「家に帰るって・・・・・・本気かお前? 確かあそこは・・・・・・」
「ええ本気よ。大丈夫よ、もう昔の私とは違うからね」
「しかしな・・・・・・」
相変わらず明るい口調の登喜子と違い、光太郎は随分心配しているようだ。この会話からは事情はさっぱり判らないが、どうも彼女の家に関して、何か訳ありのようである。
「まあ・・・・・・俺がどうこういうことじゃないし、後はお前次第だな。頑張れよ・・・・・・」
心配げにそう言って光太郎は、登喜子の牢室から離れていく。登喜子は彼の後ろ姿を、子供のように手を振って見送ると、さっさと牢内の布団に潜り込んでいった。