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舞台下の無表情俳優

作者: きょうぞう

この物語はフィクションです。


小演劇の益々の発展を願って……

 私は新野さんのことを理解できない。


 私も新野さんも、共に劇団の立ち上げメンバーだ。しかし彼はなんというか他とは、随分と雰囲気が違っていた。


 劇団員は年齢も性別も皆んなバラバラ、劇団に入った経緯も所属している理由も様々だ。それでも入団した人たちにはある共通点があった。


 演劇経験者なのだ、彼一人を除いては。

 代表を務める演出の旧友だそうだが、それまで芝居には全く縁も興味もなかったという。それは入団してからも変わらなかった。

 長身で顔も悪くないのだが、いつも周りから一歩引いている。達観というよりつまらなそう、そんな印象だった。


 楽屋で各々が演劇論をぶつけ合っている時も、一人私物の山に埋もれて読書に勤しんでいた。


 もっともその点に関してだけ私は新野さんの側だった。

 有り体に言えば、彼らの主張が耳障りで仕方がなかった。分をわきまえず大層な情熱や理想を振りかざす。

 度々口にする「本気」という言葉が本物ならば、さっさと上京してオーディションでも何でも受けまくれば良い。地方の小劇団に身を置くこと、それ自体が甘えなのだ。


 ぬるま湯に浸かっているのは私も同じ。理解しながらも同類からは距離を取り、斜に構えては嘲笑う。

 そう考えると私は彼ら以下の存在だ。


 案外新野さんもそうなのだろうか。度がキツイ眼鏡の奥からはその表情は窺い知れない。



 地方の小劇団でも競争はある。ある時私は役を降ろされた。


 背の高い女性はイメージに合わない。


 掛け合い中心のワンシュチュエーションコメディ。互いに座ったまま話が進むお芝居に演出は一体何を求めてるのか?


 トップの指示とはいえ、疑問の声は私の他にいくつも上がった。なんせ本読みも終わり立ち稽古に入るタイミングでのこと。

 急遽、戸惑う団員へ説明が行われた。皆んなの前で必死に語る最中でも、演出が私と目を合わせることはなかった。


 私の代わりに舞台へ上がるのは先日入団したばかりの娘だった。クリッとした目が小動物のように可愛らしい。歳を聞けばまだ10代だという。


 最近稽古場に来るときはいつも演出と一緒だった。


「あぁ、またか……」


 説明が終わって、皆がそれぞれの持ち場に戻る。誰かのボヤキは直ぐにBOSE(スピーカー)のハウリングに掻き消された。


 さてさて今度は何ヶ月持つか。


 演出が気に入った娘を贔屓するのは今回が初めてではない。こんなぬるま湯でそうなんだから、恐らくプロの世界でも当たり前なのだろう。


 恥ずかしながら、私も演出を相手に若さに任せ欲に興じた過去がある。打ち上げ後の成り行きとはいえ、ホントにバカな女だった。

 ベッドの中で付き合おうと言われたが……まぁ結果は推して知るべし、だ。



 舞台を追われた私は半ば、厄介者扱いだった。始動から公演までの日程は既に折り返し地点を過ぎている。道具、音響、照明と各スタッフの体制はしっかり固まってしまっていた。

 そこに(素人)の入る隙間は無い。女優一筋だとこういう時に潰しが効かない。全く困ったものだ。


 舞台の上から転がり落ちた私、とうとう劇場からも締め出されてしまった。奇しくもそんな私を拾ったのは新野さんだった。


 新野さんの仕事は受付と芝居を観に来た人の案内らしい。「らしい」というのは新野さんが何をしているか私は見たことが無いからだ。


 素人でも務まる仕事内容なのだろう。現に本番では手すきの裏方や手伝いに来てくれた人たちで回っている。


「コレ削っておいて」


 挨拶もソコソコ、新野さんは私の前にお菓子の金属箱と鉛筆削りを差し出してきた。蓋はベコベコ、擦れた部分には錆が浮いている。電動では無い鉛筆削りを見るのも初めてな気がする。


「えっ?」

「中の、全部ね」


 それだけ言うと新野さんは手荷物をヒョイと持ち上げて、振り返りもせずビルを出て行った。


 あまりの無愛想さに空いた口が塞がらない。が、戻って来る気配もない。

 ため息混じりの舌打ちをして、私は作業に取り掛かる。雑用を新人に押し付けるのは世の常だ。やるのはともかくやられる方は恨みしかないが。


 取り敢えず箱を振ってみる。確かに木の擦れる音がするが、数が尋常じゃない。神社の御神籤かよ。

 蓋を開けて顔をしかめる。想像通りの数、その全てが先が丸く潰されていた。


 入り口すぐの場所に置かれた受付卓(と言っても劇場の備品の長机とパイプ椅子だ)について、私は無心で回し続けた。


 ゴリゴリゴッジャッジャッシャ……カチャ。ゴリゴリ……



 硬くなった首を上げて時計を見る。開始からキッカリ40分、最後の一本がようやく終わる。硬く我ながらよくやった方だ。

 26年生きてきて今日ほど三菱に殺意を抱いた日は無いだろう。熱を持った右腕をそっと撫でる。明日は腱鞘炎間違いなしだ。運が良くて筋肉痛。


 音もなくガラスの扉が開かれ、ロビーに革靴の足音が響く。雑用を押し付けた上司の帰還だ。


「随分とヘビースモーカーなんですね。それとも新刊が面白かったんですか?」


 新野さんの胸ポケから覗く100円ライターを見ながら、私はニタリと嗤う。

 しかし新野さんは「あぁ」とつまらなそうに息を漏らしただけだった。もっと不快な反応を期待した分いささか拍子抜けだ。


「挨拶を兼ねてココ(劇場)から最寄り駅までの道順を確認してきた。角のコンビニの店長と話して、本番当日だけなら店の壁にビラを張る許可をもらってきたよ。

 駅前の文具屋は店先のビラだけじゃなく夫婦で観劇してくれるそうだ。チケットも2枚捌けた」


 抑揚の無い声で報告を済ませ、外出時に持っていた手さげを受け付けに置く。

 中には今回の芝居のチラシが入っていた。よく見るとキャスト欄から私の名前が消されている。修正テープで手直しした物だった。テープの上からは代わりのあの娘の名前がボールペンで書かれていた。


 嫌味を言った私を気に留めることもなく、新野さんは箱の中身を覗き込む。


「全て終わってるな。これで見終わったお客様に良い気分でアンケートを書いてもらえる。

 腕が疲れたろう、少し休んできてくれ。用があればまた呼ぶ」


 眼鏡をかけ直すと新野さんは手さげと箱を持って奥へと去ってしまった。菓子箱は縦にして、削った部分が上を向くようにしていた。


 その時私は、後頭部を思い切り鈍器で殴られたような衝撃を受けた。腕の痛みなど瞬間で忘れた。


 眼中に無かったのだ、私など。彼の目は、新野さんは……

 新野さんは初めからお客のことしか、視てなかったのだ。


 胸の内に燃え上がる劣等感を押さえ込むように、両の手を強く握り込む。

 瞳の奥が急激に熱を帯びる。が、奥歯を噛み締めて必死に耐えた。

 脈は早まり自然と呼吸も荒くなる。人目が無いのをいいことに、私はその場で立ちつくした。


 顔から熱が引くのを感じる。「フンッ」と鼻を鳴らして逃げるようにビルを出た。

 入り口の空気は存外に冷めてて、すぐに私を捻くれた自分に戻してくれた。



 本番も近くなると、現場では修羅場を迎えた。

 余裕を無くした演出の怒鳴り散らす声をBGMに、私と新野さんは黙々と作業に勤しんだ。


 私は備品の黒布を養生テープで貼り合わせていく。即席の暗幕で長机をと囲み、受付道具をお客様から隠すのだ。


 チラリ、外で電話をしている新野さんを覗き見る。

 当日手伝いに来て頂く他劇団の方への連絡だ。扉が閉まっているので会話の内容は聞こえないが姿はバッチリ見えた。


 一定の感覚で何度もお辞儀をする姿に、私は失笑した。ネジ巻きで動くキツツキのオモチャのようだ。いつもの無表情さが余計にツボに入る。

 生真面目を突き詰めて笑いを産むのは、ある意味コメディの基本だ。役者をやらせてみたら案外ハマるんじゃ無いだろうか。


 劇場の大扉が勢いよく開かれて、私のささやかな楽しみは中断させられた。


 出てきたのは私の代わりに舞台に上がったあの娘。振り返った私と一瞬だけ目があった。目元が赤い、泣いていた。

 手で顔を覆うと、何も言わず外へと走り去る。


 入れ違いで新野さんがロビーに入ってきた。眼鏡の奥から無言で視線を送るだけ、それ以上手を出すことはない。私には彼の行動は容易に予想出来た。


「彼女、泣いてましたよ」

「そうだな」

「良かったんですか? 主演女優追いかけなくて」

「いつものことだろう」

「いつものことですね」


 フフッ。

 その時、初めて新野さんの口元が緩んだ。目を細めて笑ったのだ。

 私と彼も、共に劇団の立ち上げメンバーだ。わずかな繋がりが見せた奇跡だった。


 もしこの場に第三者がいたら決して見られなかっただろう。なんせ芝居が打てなくなるかもしれないのだ、不謹慎極まりない。


 逃げ出した彼女を追いかけるのは私たちではない。

 短気でだらしのない演出の仕事。驚くことは何も無い、なんせ()()()()()()なのだ。今回も角のコンビニ前で陳腐なラブストーリーが繰り広げられるのだろう。


「古谷さん」


 突然名前を呼ばれてドキリとする。思い返せば、彼に名前を呼ばれたのは初めてかもしれない。


「今回は手伝ってくれて助かったよ。慣れない事務作業は大変だったろう」


 彼のその言葉は私を大いに喜ばせた。彼は初めから気にかけていてくれたのだ、私のことを。


 常に舞台上のことしか考えて来なかった自分対して、彼は舞台外の全てを管理していた。

 何よりお客様のことを見ていた。お金の管理に人員の手配、非常時における誘導経路。

 そして共に働くスタッフ()のことも。


 彼の言葉に、まずはお礼で返すのがスジだろう。だが私は軽口で返した。なんせ私は捻くれ者なのだ。


「本番は明後日ですよ、お礼言うのは早いんじゃないですか」


 彼が舞台外を支配しているなら私はその逆だ。感情の乗せ方に間の取り方、動きの緩急に目線に表情。

 舞台の上で必要なことはそれこそ挙げればキリが無い。私は捻くれ者でありながらも舞台上の看板女優なのだ。


「違いない」


 舞台下の無表情俳優はテープの余りを引きちぎる。視線を落とした彼の顔、そこには既に笑みはない。

 口を真一文字に紡いだつまらない顔が、私には不思議と心地良かった。



 本番のバラシ(片付け)の後、私は思い切って彼を食事に誘ってみた。

 しかし私は意外な理由で断られてしまった。


「お誘いは嬉しいよ。でも2人で会うのは無理かな、妻と娘がいるんだ」




 やっぱり私は新野さんのことを理解できない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編!お恥ずかしい話、小劇団…そもそも劇団をあまり観に行ったことがなかったのですが。 舞台裏でのドラマが、フィクションの中にリアルさがあって良かったです♪ [一言] 子持ちかい!笑
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