やさしい目撃者(ミステリ×ギャグ)
「いままで沢山の事件の解決に導いてきましたが――これほど巧妙で残忍な事件は初めてです」
銘探偵夫が重い口調で言い放った。
推理小説ならば、ラスト二十ページくらいだろうか。そんな場面に、僕ら山岳部のメンバーは為す術もなく存在していた。
合宿でおとずれた山荘でサークル仲間が三人も殺されたのである。
近年稀にみる猛吹雪のため、山荘に続く唯一の道は封鎖され、警察の到着は早くとも明朝になるという。これが雪の山荘ってやつか。
振り返れば、この銘探が、雪男かと見間違えるような姿で『いやあ、気持ちよくスノーモービルを飛ばしてましたら、遭難してしまって。命拾いをしました』と山荘を訪れたときから、妙なことが立て続けが起こったのである。
自称、名探偵。しかし、僕には、アフロの小汚いオッサンにしか見えない。
コイツさえ来なけりゃ事件は起こらなかったのでは、と思うくらいだ。(名探偵という輩が寄り付きさえしなければ事件は起こらないのに、と考えるのは僕だけだろうか?)
「では、謎解きを始めましょうか」
一同、押し黙ったまま銘探の次の発言を待っている。
なんだかんだいっても殺人事件。皆動揺しているのだ。悔しいが一番落ち着いているのは銘探である。
「第一の事件では、被害者がタロットカードの『逆さの男』のように天井から吊り下げられていました。第三の事件は、被害者が風車に磔されていた。ひとつ遡り、第二の事件では、被害者が斧で頭を割られ殺されていたわけですが」
銘探がタラコ唇を舐め一息つくと、鋭い眼光で僕らを睨みつけた。
「ボクたちは、第一と第三の事件の、惨状の派手さに惑わされていました。注目すべきは、第二の事件だったのです……! 被害者の武藤田さんの部屋を、恋人のエマさんが退出してから翌朝に死体が発見するまでの約七時間。この山荘は、不幸にも野生の人食い狼に囲まれ、外からも内からも出入りが不可能だった。よって、犯人は別荘内にいた者、かつ、その時間にアリバイがない者ということになる!」
おおっ、と暖炉が灯るリビングにどよめきが起こる。
「おっと、エマさんは犯人から除外しますよ。恋人同士の痴情のもつれ、は動機としては最もありそうですが。武藤多さんを死に至らしめたのは、五キロも重量がある斧。そんな凶器で身長190センチある被害者の脳天をかち割るという芸当を、女性のエマさんが出来たとは考えづらいですからね。同じ理由で他の女性らも犯人から除外します」
女性陣がほっとしたように胸を撫で下ろす。
残るのは、僕と、部長の関ケ原さんと副部長の半田さんだけだが。
「つづいて、関ケ原さんは、ボクの部屋でこの銘探偵夫の輝かしい冒険譚を朝まで拝聴していたという立派なアリバイがあります。そして、同時にボクのアリバイも成立します」
ね、と銘探にウインクを投げられた関ケ原さんが「お前が無理やり聞かせたんだろうが!」と怒鳴っている。アリバイが成立したのに嬉しくなさそうだ。
「したがって、犯人は半田さん、山沢くんのどちらかということになります!」
視線が一斉に、半田さんと僕に向けられた。
ここで僕は、ある告白をしなければならない。
というのは――何を隠そう、僕が今回の事件の〈目撃者〉であることだ。
新入部員の高木をダイニングの天井から汗だくになって吊るしていた――半田さんを!
武藤田がしゃがんだ瞬間を狙ってよろめきながらも斧で襲った――半田さんを!!
OBの桜井さんの首を電気コードで絞めて、吹雪のなか、遭難しそうになりながらも風車まで運び、死体を縛り付けた――半田さんを!!!
偶然にも犯行のすべてを目撃していた。
しかも、だ。半田さんは僕が見ていたことを知っている。最中に何度も目が合ったし、犯行後ホヤホヤの現場で『おはよう』と声をかけられたりもした。
目撃者として僕は当然、仲間を殺した半田さんを告発すべきだろう。しかし、とうとう告発できずにここまで来てしまったのだ。
「どうです、自白しませんか。田舎のお母さんが悲しみますよ」
銘探が穏やかに語り掛けてくる。泣き落としにする気か。
半田さんを横目でちらりと伺うと、こめかみに汗が伝っていた。暗く絶望的な表情をしており、緊張がこちらにまで伝わってくる。半田さん……。
僕が彼を告発しないのには理由があった。
なぜなら――半田さんは目撃者の僕を殺さなかった。
目撃者は犯行の失敗を意味する。もし、僕が犯人であれば、真っ先に目撃者を消しているだろう。でも、彼はそれをしなかった。
普段から激昂するところなど見たことがない、穏やかな半田さんのことである。きっと、止むにやまれぬ重篤な理由があり犯行に及んだに違いない。
一年前、半田さんが山岳部の部費を盗んだのは、病を患うお母さんの手術代の為だった。
疑われた半田さんが皆に責められたとき、僕は彼を庇うために嘘のアリバイ証言をした。半田さんは大分申し訳なさそうに、『悪いな』と年下の僕に頭を下げてくれたのだ。
今回も理由があるに違いない。人を殺すに相当する並々ならぬ動機が――きっと、きっとそうに違いないんだ。
「っ、僕がやりました――!」
決断するよりも早く口走っていた。
「おえっ」とか「まさか!」とか悲鳴に近いリアクションが飛び交う。
僕はただ、この場の氷を服から背中に入れられるような緊張感と半田さんの苦しげな青い顔を見るに耐えられなかった。それだけだ。
「山沢くん、何故こんなことを!?」
エマちゃんの肩を抱いている二年生の菊谷さんがヒステリックに僕を責め立てた。
「アタシ、貴方のこと信じてたのよ。でも、でも、見てしまったの……貴方の姿を!」
おぼつかない様子でいた部員たちの視線が厳しくなり、僕に一斉に向けられた。
「首を吊った高木くんを見上げている貴方を……血塗れの武藤田くんを見下ろしている貴方を……桜井さんが縛られた風車から帰ってくる貴方の姿を………全部見たのよアタシ!!」
半田さんの犯行を目撃してしまい、呆然と立ちすくんでいた僕の様子を見たのだろう。
なんということだ。目撃者である僕を目撃した人がいたなんて。
「……ま、そういうことです。なんとも悲しい事件でしたね」
銘探がまとめる。
そういうことです、って何だ。お前の推理はどうなった!?
「山沢、お前っ」
「この鬼! 殺人鬼!!」
銘探のポンコツっぷりは見事にスルーされ、仲間たちにボコボコにされた僕は、翌朝パトカーに乗せられ、悲劇の山荘を後にした。
出発する直前、半田さんが近づいてきて、僕に一言。
「悪いな」
大分申し訳なさそうに頭を下げた。
それは、一年前、僕が彼を庇ったときと、まるで同じ響きだった。
これでいいんだ……
うん。これで良かったんだ。
*
ようやく吹雪が去り、晴れやかな朝がおとずれた山荘で。去っていくパトカーを眺めつつ、半田は穏やかな気分に浸っていた。まさかこんなに上手くいくとは。
学生の身分で株に手を出し破産してしまった。闇金まで利用し、どうしようもなく追い詰められたとき、サークルのメンバーが金を貸してくれたが、卒業を間近に返済を迫ってきた。殺すしかなかった。
すべては、お人好しの目撃者のおかげだ。まさか罪を被ってくれるとまでは思わなかったが。
皆が山荘に戻り、ひとりになったところで、ぽつりとつぶやく。
「あーよかった。あのとき殺さないでおいて」
【end】