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四幕『嘆き、乾く追撃者』Ⅲ


 エルシニアの目が、今にも零れ落ちそうなほどに見開かれるのを見て、トバリはまあ、そうなるよなと苦笑を零した。扉を潜り抜けた先に広がっている光景は、いっそ壮観と呼ぶのも相応しい。

 右も左も何処を彼処を見ても、その通りを歩く人々の姿は地上の光景とは違っていて、むしろ別世界に迷い込んだのではないかと疑っても不思議ではない。

 亜人。

 亜人。

 亜人。

 何処を見ても、トバリたちのような《《全うな人間然とした姿》》を見つけるのは困難だった。比率にしておよそ九九対一と考えても過言ではないだろう。実際、トバリが集中して観察をしても、常人(ノーマル)は二人見つけるのが限界だった。それほどまでに、此処の通りには人間ならざる容姿の人々で溢れているのだから。

「ここの住人は……労働種(ピニオン)?」

「と、亜人だね。先天的な遺伝子改造種と、後天的な遺伝子変異罹患者が、此処には沢山集まっている。さっき|《血塗れの怪物》言っただろう。蒸気機関文明の悪しき弊害を詰め込んだ場所――って」

「機関革命で生まれた、最大にして最悪の技術――遺伝子工学ですか」

「その通りさ」

 エルシニアの言葉に、レナードが神妙に頷いた。

 ――遺伝子工学。

 蒸気機関革命によって生まれた高度演算装置――大演算解析機械(オルディナトゥール)を用いることで発展した、二重螺旋構築型高分子生体物質――所謂生命の設計図(DNA)を解き明かす学問である。

 当時、遺伝子工学は宗教家たちや一部の神学者たち、あるいは倫理を唱える者たちから「生命に対しての冒涜的行為」と非難に晒された。

 だが、発展を続ける科学技術や産業の拡大化が齎した労働者の酷使に対し、この技術は一つの光明とも捉えられ、最終的には多くの支持を得て実施されたのだ。

 そうした背景と共に遺伝子工学が世界に齎したもの。それは労働者に代わる、新たな労働力の人為的誕生である。

 ヒト遺伝子を基盤ベースに、様々な動物の遺伝子を掛け合わせて生み出した人造の人類(マガイモノ)。それこそが彼ら、労働種――歯車(ピニオン)と呼ばれる、遺伝子改造人種。

 それが、今まさに目の前の通りを埋める程溢れ返っている住人たちの総称であり、未だ拭い去れない蔑称でもある。

 何より――

「〝労働種(ピニオン)〟と〝亜人デミ〟は本来別の存在なのに……今やその呼び名は両方を指す言葉になっているってのは嘆かわしい限りだよ」

 そう。

 労働種(ピニオン)と亜人は、本来であれば異なる呼び名だった。

 最初から――即ち、生まれる以前の段階――遺伝子操作によって生み出された存在のことを労働種と呼び、遺伝子変異物質の影響により、後天的に変貌してしまった人々のことを亜人と指したのだ。当初こそは。

 しかし視覚情報においては、彼らの相貌からそれらを判断するのは困難を極めた。何せ外見的には、どちらも人間とはかけ離れた半人半獣なのである。挙句、生まれた時点で一定の変化を確定されて造られた労働種より、遺伝子変異物質の影響で変貌した《《元人間》》のほうが、より動植物的変化が激しいことが多いというのだから、最早その違いを他人が正確に判断することなど不可能なのだ。おまけにこの変貌を改善する手段は絶無ときている。

 遺伝子工学そのものが世界的に禁忌と定められてしまったために、あらゆる問題解決が先送りにされている。遺伝子変異を抑制する研究も、元に戻す研究も行うことができないのは勿論、その変異によってもたらされるであろう影響すら調べることも叶わないのだ。八方塞がりとはまさにこのこと。

 挙句に彼らはその変貌故に周囲から忌避され、差別され、仕事を追われ、住処を追われ、社会から追われ――そうしていつの頃からか、労働種も亜人もその呼び名は、亜人種(デミオン)という一括りとされてしまった。

「惨い話だよ。自分たちで造り出しておきながら、それに対する責任は何も負わない……いや、負わせることすらさせず、与えるのは〝自由を認める〟と耳障りの良い言葉だけ。実際は対処する術を考案できず、切り捨てた……そして行き場を失った労働種も亜人も、互いに寄り添って幾つかの集合体(コミュニティ)ができた。それが此処――〝亜人種通り〟。パーウィック・ストリートの裏の顔ってわけさ」

 訳知り顔で語るレナード。トバリは「流石はお役人様。お詳しいな」と揶揄うと、彼は微苦笑で答え、代わりに問う。

「――それで。わざわざ僕にこの国の不甲斐なさを見せつけるために連れてきたわけではないだろう。何をしに?」

「話を聞きに」

 端的に答え、トバリはさっさと歩き出す。此処までくれば、目的の場所までは迷うことはない。「はぐれるなよ」と言葉を投げると、「此処で迷子になるのは自殺に等しいよ」とレナードが苦笑いをした。

「そんなに治安が良くないのですか?」

 亜人通りの事情を知らないエルシニアは、当然の疑問を投げた。トバリは隣を歩くエルシニアを横目に説明する。

「――まあ、治安は宜しくはないな。一種の闇市場(ブラックマーケット)なわけだし、そもそも警官(ヤード)たちは此処には来ない。公的には存在しない場所だし、入って来るにもさっき地上(うえ)で説明した通り、入り口を探すだけでもそこそこ手間だ。踏み込んだところで、此処にいるのは人間(ノーマル)じゃあ太刀打ち出来ない、半人半獣の連中ばかり。労働種抗争の二の轍を踏もうなんざしないだろ」

「此処を制圧するなら、送り込むべきは警官隊ではなくて陸軍の一個師団は必要だよ。それも対亜人種戦闘を念頭に置いた専門集団(スペシャリスト)で構成した、ね」

「物騒な話を世間話のように語らないでください」

 横からレナードが軽口を叩くように割って入るが、その口から発せられた内容は口調とは裏腹に非常に物騒で重々しい内容だった。エルシニアが深く溜息を吐くのもまあ、当然だろう。

「まあ、兎に角下手に歩いて迷子になったら最後さ。良けりゃ拉致られて娼館に売り飛ばされる。悪けりゃ拉致られて生きたまま食われるだけだ」

 さも常識のように語られる非常識な内容に、エルシニアは「良くても悪くても拉致は確定ですか?」と僅かに表情を蒼褪めた。

 そんな彼女に、レナードはこともなげに言う。

「それでもまだ手厚い扱いだよ。人気のなくて明かりのないところなんかに行こうものなら身包み剥がされて男は殺され、女性なら強姦からの薬物付けで弄ばれた後に、良い趣味をした金持ちに売られて玩具コースさ」

「具体的だな。まあ少なくともレディの前でするような話じゃねぇのは確かだ」

 揶揄するようにトバリが言うと、レナードは「本当にね」と頭を抱えた。

「……嘆かわしいことだけど、そういう事例は既に幾つか上がってきている。摘発もした。だけど問題解決には至っていない――それだけのことさ」

 ぎりっ……と、食いしばる音がした。険しい表情を浮かべるレナードを見て、トバリとエルシニアは口を閉ざす。すると、レナードは二人の視線に気づき、浮かべていた沈痛そうな表情を引っ込めると、代わりに口元を綻ばせ見せた。

「あーあー、厭だ厭だ。暗い話ばっかりするのは遠慮願いたいよね。せっかくの娼館も多い場所で、こんな暗い顔ばっかしてたら美人が逃げちゃうってもんだよ」

赤子(ガキ)つれてる時点で寄ってこねーだろ」

 わざとらしい話題変えに、しかしトバリは乗っておくことにした。この男が頭の中で何を考えているのかはさておいて、暗い話など好んでするものじゃあないという意見には同意だった。ましてや飛び交った単語は、やはり女性の前で刷るものじゃあないし、亜人たちを悪し様に語るような話をいつまでもしておくのもよろしくないのだ。

 容姿だけに留まらず、亜人種たちの五感というのはその変貌した容姿に相応して発達することが多い。聴覚の優れた動物系の亜人種などは、特にその能力の高さが顕著となる。喧騒の中で掻き消えそうな会話も拾われていることだろう。

 周囲にそれとなく気を配ってみれば――やはりというか、此方に鋭い視線を阻止できている亜人種がちらほらと窺えた。トバリは向けられている視線に対して警戒しながら、周囲に殺気を振り撒く。変貌の結果、彼らは危機に関しても人より過敏に反応する。

 トバリが放つ暴力の気配を感じ取っただろう。向けられていた視線の数が一気に減った。少なくとも即座に襲い掛かってくるという可能性は潰せただろうと判断し、トバリは「行くぞ」と二人を促した。

 殆ど人間のいない通りの中ではぐれることがないようにと、トバリは勤めてゆっくり歩いていく。

「ちょっ、早いですよ。ミスタ・トバリっ」

「……いやあんたが遅いだけだろ」

 今まさにゆっくり歩いているつもりでいたため、エルシニアの言葉にトバリは眉を顰めたのだが、彼女は「そんなはずないでしょう!」と即座に否定する。

 そんな二人の様子を見て、レナードは失笑しながら言った。

「……うーん。キミたち仲がいいね?」

「よくないです!」

「よくはねぇよ」

 と、二人揃ってレナードの言葉を否定したが、レナードは何も言わずに生暖かい視線を返してくるだけだった。





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