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四幕『嘆き、乾く追撃者』Ⅰ

 常に煤煙立ち込め、灰色雲に覆われた空の下故に、恒常的に薄暗さに包まれているロンドンの都市の中で、光に覆われた異様なる街並みが広がっている区画がある。

 ソーホー地区、パーウィック・ストリート。

 建物の壁に張り巡らされた配管から迸るエネルギー光が明滅し、様々に彩られた個性豊かな看板からは極色彩の眩さが辺りを包む蒸気に反射して異様な輝きを放っていた。

 異質な光を放つ蒸気の中から時々姿が伺えるのは、扇情的な衣装に身を包み、自らを華やかにしようと化粧の施された女たちだ。彼女たちは老いも若いも――それこそまだ子供ではと首を傾げるような年頃の娘もいれば、顔も手足も深い皴の走った婦人などが入り混じっており、彼女たちは我一番と通りすがりに声を掛けては、談笑に興じるなり、近くの安い機関酒場(エンジン・バー)にしゃれ込むなり、あるいは早々に相手と値段交渉をしたりと様々である。

 そして声を掛ける側の女が老いも若いもいるならば、声を掛けられている側の男たちだって、老いも若いも顔ぶれは様々であり、高級ない服に身を包み――その胸元には、この場に似つかわしくない身分を証明する品を着けている者も散見できる。中には杖をつき、介助らしき連れ合いと共に年若い娘と何処ぞへ歩き去っていく情景も、珍しくはない。倫理も道徳もあったものじゃあないが、この場所においてはそれも黙認されていた。

 それがパーウィック・ストリート――世界でも屈指の大蒸気機関都市ロンドンにおける、半ば公然とされている快楽街である。 

「――……いつ来ても酷ぇ光景だ」

 そんなパーウィック・ストリートの手前。ヴィンセントが手ずから作り上げた蒸気式四輪駆動を駐車したトバリが、開口一番に呆れ顔でそう言った。

「……ねぇねぇ《血塗れの怪物》。何故僕まで一緒しないといけないんだい? あの集合住宅のほうが安全なんじゃないのかな。結界がどうこう言っていただろう?」

 後部席に座っていたレナードが、相も変わらず赤ん坊を腕に抱えたまま、眉を顰めて訊ねる。

 トバリは「話を聞いていなさそうな割にしっかり聞いてたか」と、感心したように口笛を吹く。

「自分の身の安全に関することは、そりゃあねぇ……」

「では質問に答えてやるよ、ミスタ・スペンサー――単純に、我が雇い主(オーナー)の意向だ」

「煮ても焼いても食えなさそうな回答だねぇ。僕としては今すぐ引き返して、安全な場所に引きこもりたいよ」

「悪いな、対レヴェナント戦闘は俺が担当なんだ。そしてその俺は使い走りも兼ねている――よって、俺が使い走りになっているときは、もれなくアンタはお荷物として持って行かなきゃならねぇんだよ」

「ああー……それ、二重の意味?」

「――そうそう、足手まとい(お荷物)

「……楽しそうですね、お二人とも」

 助手席で二人のやり取りを見ていたエルシニアが、溜め息交じりに言った。投げやり気味な彼女の言葉に、トバリは「そういうアンタは随分と神妙な顔してるぜ?」と訝った。

「別にそんな表情(かお)はしてませんよ」

「鏡があったら覗いてみな。眉間に皴ができてるぜ」

「皮肉と嫌味しか喋れないんですか、貴方は」

 くつくつと笑うトバリに、エルシニアは深い溜め息を吐いた。

「そんなに此処に来たくなかったか」と訪ねれば、エルシニアは鋭い眼差しをトバリに向けて言った。

「好んで近寄る場所だと思うんですか?」

「いいや、まさか」エルシニアの言葉に、トバリは即座に否定を返す。

「むしろ好んで来てたら吃驚するよ」

 答えながら、トバリは蒸気式四輪駆動のドアを開けて外に出た。後部席のレナードに向けて「ほれ、降りろ」と顎をしゃくって見せながら、エルシニアに問う。

「此処で待つか?」

「そうするくらいなら、最初から同席しませんよ」

 エルシニアは何度目とも判らない溜息を零しながら、彼に倣って蒸気式四輪駆動から降りて、スカートを整えながらトバリに訊ねる。

「……それで、何故私たちは此処に来たんでしょうか」

「見当は?」

 トバリは「厭だ、降りたくない!」と未だに降車拒否しているレナードの襟首を摑んで強引に車外に引き摺り下ろしながら聞き返す。

 エルシニアは数瞬、中空に死線を彷徨わせて黙考する。そして、

「ある程度、くらいには」

「是非聞きたいね」

 車体に背中を預けながら、トバリはエルシニアに続きを促す。エルシニアは頤に指を添え、考えをまとめるように目を閉じて、ゆっくりと口を開いた。

「私たちは今、複数の依頼を同時に進行していますね。一つはマイクロフト氏の依頼(もの)。もう一つはレストレード警部の依頼(もの)です。

 マイクロフト氏の依頼は、其処の駄々を捏ねている人の護衛が(メイン)ですね。ただ護衛するだけなら、先程彼が言った通りに集合住宅(アパルトメント)の一室に放り込んで、厳重に監視すればいいはずですが、そうはしていません。今まさに、護衛対象を引き摺ってまで外出しているわけですしね」

「まあ、俺が外に出る以上はそうなるな。見捨てられるならそうしたい限りだが、それは駄目みたいだし。かといって、リズィに護衛を任せるにはまだ早い。アンタに任せてもいいが……アンタも連れて行けって言うのが、我らが雇い主様(オーナー)の意向だからな。諦めろ」

「私はそんな人の護衛したくないですけどね」

 苦笑いするトバリに、エルシニアは心底厭そうに柳眉を顰めて言う。二人の遠慮のない言葉に、赤子を腕に抱えた美男は「君たち……僕の扱い、雑過ぎないかい?」と、顔を蒼褪めさせる。

 無視。

 トバリもエルシニアも、レナードの言葉など聞こえていない体で続けた。

「となれば、思いつくのはもう一つの案件――レストレード警部からの依頼です。干乾びた死体の調査……そのために此処に足を運んだ、というくらいしか、私には想像できませんけど?」

「――お見事(excellent)

 トバリはにやりと口の端を持ち上げて見せた。

「流石に理解が早くて助かるよ」

「判らないのは、何故それが……その――」

「娼館街?」

「快楽街!」

 意地悪く後を引き継いでその名を口にすると、エルシニアは目くじらを立てながら声を上げた。トバリは「どっちも似たようなもんだろ」と肩を上下させながら、視線をパーウィック・ストリートへと向ける。

「まあ、情報ならそれこそ請負屋組合なり、情報屋なりと伝手は幾つもあるが、今回の件に関して言えば、此処に来ざるを得ない理由があるんだよ」

「此処じゃないといけない理由とは?」

「直ぐに判る――さあ行くぞ、護衛対象(お荷物野郎)

 食い下がるエルシニアに一言そう返すと、トバリは蒸気式四輪駆動の中へ戻ろうとするレナードの襟首をむんずと摑んで立ち上がらせ、その尻に蹴りを入れて歩くように促した。


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